匠のつぶやき Vol.11


装芸画絵巻の誕生その1



装芸画で制作された筆者の作品

四年前の秋、銀座の清月堂ギャラリーでの初めての個展。その後、予期せぬ入院、手術と経て、運良く生きながらえ、命の有難さに気づかされた頃、ある人から・・・幻の秘宝と財界の巨人たち「三十六歌仙絵巻の流転」と題する小さな文庫本をいただきました。
三十六歌仙とは、その昔、藤原公任が古今の優れた歌人を三十六人選んだ事に始まり、その歌詠みの絵姿は、その後著名な絵師たちにより、次々と描かれることとなりました。
現存する歌仙絵の中でも、最も古く、かつ最高傑作と言われた「佐竹本三十六歌仙絵巻」は今からおよそ七百年余り前の鎌倉期に作られたものです。絵姿は藤原信実ふじわらのぶざね、歌は後京極(藤原)良経よしつねの筆になると伝えられています。
これまでに何度か美術館などで、ガラス越しに見ただけですが、何か不思議なオーラを感ぜずにはいられない気になる存在でした。美術好きの藩主が代々続いた秋田の佐竹家が、門外不出の宝物としていたこの絵巻物をやむなく手放すことになったのは大正六年のこと。今日の金額にして約四十億近い入札史上最高価格で売り立てに出たため、東京、京都、大阪の道具商が合同で入札したのち、大正八年益田鈍翁をはじめとする時の財界人、茶人たちが決断し、一枚一枚切り売りすることになったのです。
世に言われる絵巻切断事件です。もっとも実際には切ったのではなく、継ぎ目を剥がしたとのことですが、一人一人が分断されてしまったことには、変わりがありません。せっかく幾度もの戦火をまぬがれて来たというのに再び全員そろうという事は、不可能でしょう。
話は再び戻りますが、私は、その流転のストーリーを読んでいるうちに、三十六人の歌仙たちを、縁あって私の元に集まってきた古い布たちでよみがえらせて、一人一人手に取って見られるように巻き物に仕立ててみようと、がぜん力が湧いてきたのでした。(つづく)

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