匠のつぶやき Vol.10


小さな宝物


 明治時代の初め、シアトルに渡り、バブティスト教会の牧師となった岡崎福松という人は、父方の曾祖父七代目萬屋藤兵衛の弟です。彼の孫にあたる、いわゆる日系三世の従姉妹はアメリカの教育を受け、オーストラリア人の銀行員と結婚しましたが、二人とも無類の骨董好きでした。ご主人の転勤で世界の各地で暮らしましたが、何年か日本にも滞在していました。その間何度か一緒に骨董市に出かけたものです。たどたどしい日本語でしたが、日本の美術に関する知識と興味は相当なものでした。
 ある日、三人で大きな骨董市に行った時、私はすすけた短冊の貼り交ぜ屏風に引きつけられました。俳画風の水墨画に魅了されてしまったのですが、屏風そのものは、使えるものではありませんでした。さんざん迷ったあげく、我が家に連れて帰ることになりました。




屏風の下貼りにあった新聞の広告。変体仮名「 」と読める文字がある。


 翌朝、本紙をていねいにはがすと、いらなくなった屏風の土台が、なぜか急に気になりだしたのです。せかれるようにビリビリとはがしてみると、下貼りには明治四十三年六月十日金曜日の新聞紙が貼ってありました。驚いたことに、その広告欄には、なんと祖父が祖母と結婚する前に番頭をしていた、銀座まるはち、大坂屋松澤八右衛門の「ハミガキ」の宣伝があったのです。これだったのだ、胸騒ぎの原因は。と、ようやく謎が解けました。確かに屏風が私に語りかけていたのです。「連れて帰って」と(これは骨董好きの人間のセリフですが)。
 そんなわけで、表に貼ってあった短冊より、茶色に変色した下貼りの新聞紙が私にとってのいとしい宝物になてしまったのです。勿論その切り抜きの内の一片は、岡崎福松を頂点とする親戚が集まるパーティの席上で現在の当主にうやうやしくプレゼントしました。勿体なくもご自宅の神棚に上げて頂いたという事です。
 こういうささないハプニングが、骨董好きへと拍車をかけてしまうのです。

 


戻る