匠のつぶやき  Vol.4


音の秘密


 裏打ちには、色々な種類の刷毛を用いますが、中でも圧巻なのは掛軸の総裏に使う「打ち刷毛」です。頼りがいあるお父さん、とでも言えるでしょうか?真っすぐな、良質の棕櫚(しゅろ)を手の平ほどの面積びっしりとくくってあり、人間技とは思えないみごとな逸品です。そう、「装芸画」にとっても打ち刷毛は無くてはならない存在です。
 入門された生徒さんには、初めての作品が仕上がると“宇田紙”という厚手の和紙で裏打ち体験をして頂きます。初めは大きなぶ厚い打ち刷毛を持て余し、こわごわと“トントン”と叩きます。



アトリエでお弟子さんに打ち刷毛を使って完成した作品の裏打ちを指導する筆者(左)

 かく言う私も、最初の頃は打ち刷毛を使った翌朝などはグローブのように手を腫らしていたものです。しかし、慣れてきますと、刷毛の断面の全体が理屈抜きに平均に作品に当たるようになり、いつしか堂々と豪快にかつ、リズミカルに“タン、タン”と音を響かせるようになるのです。
 そういえば、3年前の春のこと。教室として使っていた自由が丘のマンションを引き上げて、晩年を迎えた両親の待つ実家のアトリエに移ってすぐの頃は両親の寝室の真上に仕事場があったので、思い切って打ち刷毛が叩けなかった事を思い出します。残念ながら昨今、刷毛で叩く職人の音までが騒音と言われる時代ですから・・・。
 しかし、叩く事によって和紙と作品が一体となり、見事にシワが伸びたのを見届けて表に返して見ますと、その美しい色彩の変化に、自分の手を痛めた「苦労」が報われた事を目の当たりにします。手仕事というのは、老若男女を問わず、そのプロセスがもたらす結果に素直に興奮するようです。


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