ロ シ ヤ                  7月11日から7月18日

 成田12時〜モスクワ17時20分  時差ー5時間到着後、
バスでコスモスホテルへオリンピックの時建てたホテル。 正面にガガーリン中佐宇宙飛行記念塔が空へ突き出すように建っている
モスクワが誕生したのは1147年とされている。 モンゴルの話 ナポレオンの話 その他
あるが1922年レーニン率いるソビエト政府はモスクワを首都と定めた。

翌日、バスで ボルガ河の船つき場へ行き。モスクワ運河を船旅しながら郊外の村を訪問する。 途中聖母マリア誕生教会へ立ち寄る。建物の内外が絢爛豪華。
 次にプロタソヴォ村の家庭訪問 農家で60歳前後のご夫婦と。  隣接する若い夫婦の4人
我々を歓迎してくれて。手作りの料理、ハウスワイン。 ご主人はアコーデイオンを引き、我々とダンスをしたり。 家の中とさらに庭に出て、草花を説明しながら、写真を写したり。
時間のたつのも忘れるぐらいでした、感謝。   
午後3時頃近くのレストランへ行く。
若い男女10人、ロシアの衣装、(女性は赤と白。男性は赤と黒のズボン) その地方の激しい踊り、数人で組になるダンス、コザックダンス。最後我々も参加したり、楽しい一時でした、
夜モスクワのレストランで食事をすませて。商店街を見て歩き、ホテルへ。

翌日、モスクワ市内観光、先ず赤の広場。モスクワ最大の広場、メーデーや十月革命記念日
のパレードが行われる所。  広場の中央にレーニン廟があり、衛兵が立っている。
中に入ると、レーニンの遺体が安置されている。静かに頭を下げる。  廟上のひな壇はパレードの時の政府の要人外国の要人が並ぶ所。を見て、 すぐ近くに有る
 聖ワシリー寺院。16世紀に建てられたロシア建築の代表作。  両側にある歴史博物館。
 鐘の王様1735年作、あまりの重さに釣りさげできず、一部欠けていた。 大砲の王様。
宝物殿、ロシヤの長い歴史を物語り、さらに諸外国からの贈り物他多数陳列してあった。
移動、 広い道路とたまねぎの乗ったような建物、モスクワ大学、レーニン丘の背後に巨大な
高層建築が広大な敷地に悠然と建っている。   その他市内をバスで見ながら、空港へ
モスクワからサンクト・ペテルブルグへ(旧レニングラード)  歴史と芸術の都
白夜のため、数時間しか日が沈まない、 ホテル近くの ピョートル大帝が1713年に建てたレキサンドル・ネフスキー修道院を見学し、チャイコフスキーのお墓を見たり、(銅像)

市内観光、スモーリヌイ女子修道院(1748年エリザベータ女帝の命で建立した)ひときわ目立つ次。
 血の教会20年かけて創った、ねぎ坊主の尖塔のあるキリスト復活教会。教会前の河はアレクサンドル2世暗殺の場。綺麗なバランスの取れた、建物。   
デカブリスト広場。ロシア革命の第一ページを飾ったところ。。 ピヨートル大帝を称えて建てた青銅の騎士像があります。
聖イサク寺院。聖イサクはビサンチンの修道僧高さ100m以上の大ドームと4つの鐘楼が有る
旧海軍省、細長い半円形の建物、ここを中心に三つの道路が延びている、アレクサンドルの
円柱、宮殿まえ広場の中央に有る。ナポレオン戦の勝利を記念して。
エルミタージュ美術館、外観綺麗大きい、エカテリーナが集めた美術品の数々世界最大を誇る
プーシキン・ドラマ劇場オストロフスキー広場に有る優雅な黄色の劇場。この劇場は1756年創立で最も古い。 「眠れる森の美女」を ゆっくり鑑賞。 さすが すっかり引き込まれました。
ペドロパブロフスク要塞、1703年  同じく寺院ほかの寺院と創りが違う金箔細い尖塔が有る
同じく、要塞司令官の建物。 政治犯の幽閉された独房。反革命の重要人物の収容所など。
エカテリーナ宮殿、300メートルの長さの大ファサードの青い壁と白い壁柱が清楚である。
江戸時代。大黒屋光太夫は漂流し苦労してエカテリーナ宮殿にきて、帰国を許された。
その後、ロシア人のアパートを訪問し私生活を見せてもらう。 お茶をご馳走になる。夜ホテル
夕食、ショウを見ながら楽しいひと時を過ごす。

地下鉄 モスクワ市内は発達した地下鉄網が張り巡らされて居る。 20mぐらい高速
エスカレータで降りる、各駅は豪華なシャンデリアと彫刻で飾られている。まるで地下宮殿の様。市内各所商店街他見て歩き。   レニングラード駅由緒ある駅、より  夜行列車
寝台車(4人部屋)で モスクワへ  モスクワから日本へ。

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