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あかねさす 紫の行き 標野行き
      野守は見ずや 君が袖振る 紫草の にほへる妹を 憎くあらば
      人嬬ゆゑに あれ恋ひめやも

左記の二首は額田王(ぬかたのおおきみ/額田女王とも書く)と大海人皇子(後の天武帝)が詠んだ相聞歌で万葉集でも有名な歌です。
額田王は古代史上最も関心と謎の多い女性で、出自は諸説があり、まだ推察の域を出ませんが、当時の有力豪族であった「鏡王の娘」という説が一般的です。
才媛として名高い額田王は、時の女帝・皇極に仕え、その皇子である大海人皇子と天智帝の二人にに寵愛されたスーパーヒロインです。

左側の「あかねさす〜」の一首は、天智天皇の御世に、宮廷ご一行様が蒲生野で大狩猟大会を催した時に詠まれた歌とされています。
この時、額田王は30台半ばと推測され、大海人皇子との恋愛に終止符を打ち、天智帝の愛人という立場にありました。
しかし、歌を交わしたお相手は何故か、別れた恋人・大海人皇子なのです!
歌意は「紫草の御料地で、私に手を振ったりしたら、野の番人に見つかってあなたが帝のお怒りにふれるのではと心配です」ってな感じです。
これに対し大海人皇子は「紫草の〜」という返歌をしています。
歌意は「紫草のように美しく香り立つあなたが憎いはずがない、人妻となったあなたにまだ恋をしているのですよ」(ちょー意訳)というものです。

額田王は既に天智帝のモノとなっていたワケですし、お年もミドルエイジにさしかかっていたことから、学説では本気の恋の歌ではなく、狩猟大会の宴席で場を盛り上げるための座興にすぎないという推測が定説になっています。
しかしながら、学説はともあれ、天然色の熱い情景が浮かび来る、浪漫あふれる美しいこの相聞歌が私は大好きなのです。
額田王は若く美しい頃に大海人皇子と激しい恋に堕ち、十市皇女という子まで生した仲です。
だからこそ生まれたこの相聞歌に座興だ何だと「いちゃもん」をつけないで欲しいと思っています。

いつか、蒲生野(滋賀県八日市市)にあるこの万葉歌碑を訪ねてみたいと思っています。

熟田津に 船のりせむと 月待てば
     潮もかないぬ 今は榜ぎ出でな 君待つと 吾が恋ひ居れば
  吾が屋戸の 簾うごかし 秋の風吹く 次に「熟田津に〜」(にぎたづに〜)の歌ですが、これは額田王の最高傑作でしょう。
万葉集の中でも傑作中の傑作ではないでしょうか。
歌意は「熟田津で出航しようと月(満月?)を待っていると、満潮になって来ました、さあ榜ぎ出しましょう!」という感じです。
この歌は皇極女帝が新羅討伐のため、九州遠征をした際に額田王もお供し、その時詠まれた歌と云われています。
熟田津は今の愛媛県の伊予近辺の港です。
長い船旅で疲れた官軍を、シャーマンでもあった額田王は歌詠みで鼓舞する役目を担っていたのではないでしょうか。(井上靖『額田女王』にそういうシーンが出てきます)
「今はこぎ出でな」とは「いざ、出発だーっ!」というニュアンスを含み、たいへん力強く、男性的で勢いを感じるフレーズです。
普通の宮廷夫人にはとても詠めない「光・力・動」を備えた額田王ならではの秀歌です。

右側の「君待つと〜」の歌は、額田王が天智帝に贈った歌だと云われています。
歌意は「あなた様をお慕いしてお待ち申し上げておりますと、(あなた様がおみえになったかのように)我が家の簾を秋の風が動かして参ります」というものです。
「待つ身の女の歌」は多々あれど、額田王の場合、時の最高権力者2人に寵せられた余裕からでしょうか、恨み節も無く、非常に爽やかな恋歌となっています。
「秋の風」に若干の淋しさめいたものを感じますが、そんなさりげないフレーズが天智帝の心を一撃したに違いありません・・・。
額田王は恋愛上手だったのかもしれませんね。

さて、額田王の歌をいくつか紹介しましたが、研究が尽くされた今日まで読み方さえも分からない歌があるのです。それは・・・
  「莫囂圓隣之 大相七兄爪湯気 吾瀬子之 射立為兼 五可新何本」
額田王の時代は「かな文字」はまだ存在せず、万葉集にはもちろん他の歌も含めてすべて漢字で書かれています。
それを訓読し、かなと現代の漢字に置き換えられたものを私達は読んでいるのです。
万葉集研究の大家である鎌倉時代の学者、仙覚や江戸時代の契沖、そして斎藤茂吉先生もこの歌に関しては決定的な解釈ができませんでした。
私は勉強不足で、誰の解釈が正しいとか述べるレベルにないので、今後の課題としたいと思います。

以上、スージーが語る額田王の巻でした。(このページは今後も増殖予定☆ウヒ☆)
=追記= 
蒲生野近くにお住まいの鈴さまから、お写真をいただきました〜♪
鏡山(竜王山)から臨む現在の蒲生野なのだそうです。
古代、御料地だった蒲生野 遠くに琵琶湖が見えます
豊かな自然と、四季折々の産物が才気煥発な額田王に名歌を詠ませたのでしょうね。
鈴さま、ありがとうございました。
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