■ 合間・・・
あいつは今日も遅れている。
苛立たしげに何度も俺は時計に視線を送った。一人で入ったカフェは何だか落ち着かない。俺だけが場違いなところに足を踏み入れているようだ・・・。
大体なんでこんなところを待ち合わせにしたんだ・・・。
雨だって降ってないし・・・。
俺はタバコを取り出し火を探した。
―― あれ・・?
「どうぞ。」
確かに、持ってきたと思っていたのに、なかなか出てこない。
そんな俺の前に、にっこりと現れた店員はそっと、マッチをテーブルに置くと、軽く頭を下げて再び持ち場に戻った・・・。
―― どうも・・・。
俺は、もう相手のいなくなったマッチに軽く礼を言って、何とか火を灯した。
「・・・ふぅ・・・・。」
高く上っていく紫煙は、天井でゆっくりとまわっているアンティークな感じのするシーリングファンにかき回され、その姿を消していった。
何となく、その様子に落ち着きを取り戻すことが出来る・・。まぁ・・怒るほどのことでもないか・・・。
何か、最近「程のこと」ではないことが年取るたんびに増えてるような気がするのは、俺の気のせいだろうか・・・。
俺は本気になることがあるのか?
―― ま・・・いっか・・・。
あいつ、今日は何ていい訳してくるつもりなんだろう・・・。
俺は毎回遅刻してくるあいつのいい訳がほんの少し面白くて、ついそんなことを考えてしまう。
遅刻するのは、やっぱり、俺にとって許すまじ行為だ。
だから、俺はあいつが遅れてくるだろう予測をしながらも、時間通りにその場所へ足を運ぶ・・・・。
まぁ・・・別に「待つ」時間というのも、悪くない。
どんなに遅れても、必ず来るしな・・・。
灰皿の中身が本数を増やす中、何本目かの煙草に火をつけたとき、慌しくウェルカムベルが鳴り響いた・・・・。
―― やっときたか。
そう思って視線を入り口に移したが・・・違っていた・・・。
女には違いなかったが、俺の待ち人ではなかった・・・。
すらりと背の高い(とはいっても165くらいだろうけど・・・。)女だ・・・別段、美人というわけでも際立って、スタイルがいい訳でもない。
店員らしき男は、その女に、個室席を薦めているようだったが彼女は首を縦には振らなかった。
結局、1m50あるかどうかくらいのバーティションで仕切られた、オープンスペースの一角に腰を据えたようだ。
ま・・簡単に言えばパーティション越しの俺の一つ先斜め前・・・だな。
何でそいつが、そこへ座ったのか些か気になるところだった・・・。
俺だって、こんなところできることなら、壁で仕切ってくれているそこへ腰掛けたかった。
―― あぁ。こいつも「待ち合わせ」・・・ってことか・・・。
それにしても、入り口に背を向けて座ったんじゃ意味ないだろう?
別に話し相手でもない、その駆け込み女に俺は何となく、心の中で突っ込んだ。
「お注ぎしましょうか?」
ぼんやりと、その客を眺めながら、ふかしていた俺に高い位置から声が降ってきて視線を戻した。
穏やかな感じの、さっき女を案内していた店員だ。
俺は何となく、軽く頷くと、にっこりと微笑んで用意してきていた新しいカップを、ことりとテーブルに置き、柔らかな湯気と香りを漂わせる琥珀色の液体をゆっくりと注いで、カップを満たした。
そして、空になっていたカップを盆の上に乗せ、灰皿も新しい物と、そっと入れ替えてくれた。
「・・?どうかされましたか?」
視線を店員に向けたまま外さなかった俺に、困ったように眉根を寄せて微笑むと、柔らかい物腰で声をかけてきた。
「あ・・いや。何であの女あんなに慌ててたんだ?」
俺は小声で呟いていた。
「・・・いえ・・・。私には・・・。」
ま、当然の答えが返ってきた。
「何で個室は断ったんだろうな?」
「あぁ・・・見てらしたんですねぇ・・・。どうも、「一人」になりたくなかったそうですよ?」
「ふぅ〜・・・ん・・・。」
―― 一人・・ねぇ〜・・・。
それ以上俺の言葉が続かないのを確認して、店員は軽く腰を折りその場を去っていった。
・・・ってことは俺がここに座っているから、あの女はあそこへ座った・・ってことか・・。
―― 何かそれって恥ずかしいな。
ふとそんな考えが頭をよぎって、肘を付いていた方の手で口元を覆った。
と同時に、女と目が合った。
俺は瞬間湯沸かし器になったようにぼっと頬が紅潮したのが分かった・・・。思わず視線を落とす。
彼女は、その後暫らくこちらに視線をおいたようだが、そっと逸らして自分の手元に置いたようだった。
正直かなり驚いた。
あの女・・・別に・・そう・・・大した美人でもないくせに、憂いを帯びた微笑を見せたとたん、射抜かれたようだった・・・。
まだ、どきどきと煩い胸に手を置いて、煙草を深く吸い込んだ・・・・。
「お待たせっ♪」
―― げほっげほっ!
そんな最中、俺の待ち人が肩を叩いた。
上手く吐ききれていた無かった煙が肺の中でむせ込む。
「なに、ぼさっとしてたの?」
「あ〜・・・。別に。お前が遅いからだ。」
へへっ。ごめんねっ。にこにこっと笑いながら、俺の向かい側に腰を下ろした。
タイミングよく、水とお絞りが差し出される。
「ありがとっ、マスター。えっと、私、ミックスジュースね。」
「はい。かしこまりました。」
―― あいつ・・マスターだったのか・・・。若そうだったから、店員だと思った。
何となく、そいつの後姿を見送りながら俺は煙草を灰皿に押し付けた。
「禁煙するんじゃなかったの?」
「苛々するとほしくなるんだ。」
こんなに遅れてきたのに、悪びれる風も無い彼女に、素っ気無く答えた。
「あ〜・・・っと。ごめんねっ。グレーチングに嵌っちゃって、足ひねって、病院寄ってたの。」
―― おいおいおい・・・・。
ぽんぽんと軽快な口調でそこまで一気に言った彼女に、脱帽だ。
「今、疑ったでしょうっ!!」
「あ〜・・・いや?」
見てみろっ!と言わんばかりに、テーブルの外へ足を放り投げた。
ため息混じりに俺は、その投げ出された足に視線を移す・・・。
確かに、巻かれたばかりのような綺麗な包帯が足首を包んでいた。
「心配?」
「あ?はいはい。心配心配。足引っ込めとけ、邪魔になる。」
俺の返答に満足なのか、うふふっと笑ってお手拭のタオルをくるくると巻きもとの位置へ戻した。
―― 結局は、こいつのペースだ・・・。
それが俺にとって気に食わないような・・・それでもいいというような・・・。妙なもんだな。
ちらりと彼女の肩越しに、例の席へ視線を移したが、女はこちらを気にもしていなかった・・・。当たり前か・・・。
しかし、あの笑顔が俺の中に残って・・・消化不良を起こしている。
「ほら。また」
再び煙草を取り出した俺の手から、それを抜き取る。「んだよっ!」と思って睨みつけると、にこりと笑われてしまった。
「あたしが来たのに、苛々しなくていいでしょ?の〜すも〜きんぐ、OK?」
「・・・ふん。」
「どうぞ。」
多分会話を聞かれていたんだろう、マスターと呼ばれた男は、笑いを噛み殺しながら、彼女の前にコースターを置き、そっと。細長いグラスとストローを置いた。
「ねぇ、マスター。この人これだけ?」
2.3本吸殻の入った灰皿を指差しながら、楽しそうに聞いた彼女に、マスターは「ええ。そうですよ。」と同意して微笑んだ。
「ほんとにぃ〜?」
かなり疑わしげに、マスターと俺の顔を交互に見たが、「ま♪いっか。」と口にしたのを確認して、マスターは席を外した。
「・・どうした?」
「ん〜。遅れたお詫びに、どっちかあげようと思ったんだけど・・・決めかねて・・・。」
真剣にグラスに添えてあるバナナとチェリーを睨みつけていた彼女がそういったので、俺は長くため息をついた。
「いるか!そんなもんっ!」
「え〜・・・っ」
「―― ・・・じゃぁ、両方くれ。」
「いやだ。」
―― アホだなこいつ。
また、つまらない会話を交わしてしまったと、テーブルに肘を着く。
どっちもあげないわっ!と怒りながら、結局、両方自分で食べてしまった彼女を、見ていると・・・ふと、視線を感じて、そちらに視線を送った。
―― ・・・
あの女とまた、目があった・・・。今にも泣き出しそうに潤んだ瞳を向けながら、口元は淋しげに微笑んでいた。
―― もう駄目だ。
「出るぞ!」
「え?まだ飲んでないよっ!」
「お前が遅れるからだ。早く出よう。」
すっくと立ち上がって俺は、彼女の腕を掴んで出入り口に向かった。
「全部飲めなかったよ。ごめんね」と彼女がマスターに詫びている声を聞きながら、俺は会計を済ませて、店を出た。
半ば足を引きずっていた彼女の嘘は、本当だったんだろう・・・。俺は少し、スピードを落とした。
「どうしたの?らしくない・・・・。」
不安そうな声が隣から聞こえる。
「お前が遅れるのは「らしい」な。」
「意地悪。」
―― 意地悪で結構だ。
何か、いやな予感を起こさせる女だった。
縋るような瞳に・・・何かいいたげな口元・・・。
あのタイミングで、彼女が入ってきてくれたことに僅かながら感謝していた。
そうでなければ・・・俺はきっと・・・
あの女に声をかけて・・・・。きっと・・・・。
―― 火遊びが始まっていた・・・。 ――
それは・・・ほんの些細なきっかけで・・・。