■ 事実・・・
何となく目に付いたカフェ・・・。
今日は何だか、真っ直ぐ帰宅する気には到底なれなくて・・・。
つい、足を運んだ「こんなところにいつできたんだろう?」とか考えながら。
カランカラン
小さなウェルカムベルが店内に響き、私はひと時の涼を求めた。
外から見るより遙かに広い店内は、ゆったりと落ち着いていて、その空気だけで私を落ち着かせた。
壁で仕切られた個室に決めようと足を進めたのだけど・・・。
「今日は天気もよろしいですし、テラスの方がお客様にはよろしいかと。」
にこやかに、店員?らしき落ち着いた物腰で、細身の男性に、引き止められた。
―― 外・・か・・・。
今日の私は、逆に晴れ渡った空が憎らしかった。できれば陽の下になんて出たくない。
小さく頭を振って「ここで・・・。」と言ったのに・・・
「こちらへどうぞ。」
彼は譲らなかった。
―― 全く・・・。
小さなため息を吐きつつ。これ以上押し問答しても何も決まらないと思った私は、素直に彼の後ろについていった。
案内された、テラスは、緑豊かなガーデンが広がっていて、外なのに、何故か暑さを感じさせなかった。
庭の中央にある小さな噴水から、水が心地良い音を立てて、流れ行くのにしばし心を引きとめられた・・・。
「ご注文はどうされますか?」
そんな私に笑顔を絶やすことなく、静かに聞いた彼に私はぽつりと「エスプレッソを。」と答えたが・・・。
「ロイヤルミルクティーはいかがでしょう?」
―― 私の話は無視かいっ・・・。
と意気込みそうだったけど・・そんな気力も私には無かった。
「じゃぁ、それで。」
私がこくりと頷くのを確認して、満足げに微笑むと小さく会釈して席を離れた。
―― 変な店・・・。
ふぅ・・・・。
今度は長いため息を吐いてみた・・・。彼がいたなら、きっと「幸せ落とすぞ」とか言ってくるだろう。
ばかばかしい。目に見える幸せがあるなら、みせてもらいたいものだ。
―― 大体・・・。どうして・・・。
嫌・・・どうして、何て聞くまでも無く私には粗方検討はついていた。
―― これは罰だ。
うるさい・・・。みんなうるさい・・・どうしてそんなに同じ内容ばかり私に聞くのか・・それ以外の会話が存在しないように・・・。決してそんなこと・・・。
「子供できた??」
うるさい・・・。うるさい・・・。
「え〜・・まだ結婚して、1年くらいだし、もうちょっと貯金もしたいしねぇ〜。」
「ああ〜。だよねぇ〜。お金なんているばっかりだもん。」
違う・・・。
自分でつく嘘が悲しかった。だって・・できないんだもん・・・仕方ないじゃない・・・。うるさいな・・・。
「そうですね。子宮の大きさは普通ですし、これが済んだら、薬を処方しましょう。」
―― え・・・?
「大丈夫ですよ。頑張りましょうね。」
―― え?え?
なるほど・・そうか・・・。納得するまでに結構時間がかかった。
納得したら、急に空虚になった・・・。私は・・・そっか・・・このままでは、無理なんだ・・・。
どうやって、彼に打ち明けよう・・・。
彼は子供が大好きで・・・当初から、すぐにでも欲しいと言っていた・・・。
今の時代、そんなに珍しいことではないことくらい、私にも分かっていた・・けど、自分もそうだなんて・・・。
意味も無く、腹部が痛む・・・。胃も痛む・・・。もう・・・最悪・・・。
「どうぞ。」
のべぇっと、テーブルに突っ伏した私の上から、優しい温かみのある声が降ってきた。
私は急に現実に引き戻されて、一気に上体を起こした。
そんな私の動揺が面白かったのかどうかは、分からないけど、彼はにっこりと微笑んで、静かに私の前にグラスを置いた。
「今日は陽が優しいですね。」
「え?・・・はぁ・・・。」
空を仰いでポツリとそういうと、私の方をみた彼に私は何が言いたいのか分からなくて、曖昧な返事を返した。
その返事に納得したのかどうかは別として、静かに店内に戻っていく彼を見送った。
―― 陽が優しい・・・?
彼に釣られるように見上げた空は別段いつもと変わりはしなかった・・・。
不思議なことに、まぶしくもなく・・・木陰に居るような、そんな日差しではあったが・・・。
―― 変なの・・・。
カランっ・・・。
まん丸の氷が、グラスの中で揺れる・・・。へぇ・・こんな氷どおやって作るんだろう・・・。
キラキラと、差し込む光に反射して、時折まぶしく、瞬きをする・・・。
こくんっ・・・
一口、口にしてみた。柔らかい優しい感触が口の中に広がって、喉元を通り過ぎていく。ほのかに口の中に残る甘さが何だか気分を落ち着かせてくれる・・・。
RRR・・・RRR・・・
バッグの中から「早くとれ」といわんばかりに、携帯が震えながら音を響かせる・・・。バッグの中を手探りしながら、私は着信音から彼からだと息をのんだ・・・。
私は、言葉を見つけることもできないまま、携帯に視線を落とし、相手に間違いがないことに、ため息をついて、意を決すると「もしもし。」とどこかやる気の無いような、気の抜けたような返事をした。
「どうだった?どこも悪くない?」
―― うん。悪くない・・・。
「本当に?大丈夫?なんだったの?」
心底心配そうな声に、声が上ずりそうだ・・・。
―― 止血剤はもらったから・・そのうち、止まると思う・・・。
「そか。なら良かった。本当に良かったんだろう?」
私の様子がおかしいことを、電話口でも悟ったらしい・・・。何度も何度も念を押される・・・。
下腹の方が、ずきりと痛む・・・。
―― ただ・・・。
言わなくちゃ・・・彼には知る権利がある・・・。
「ごめん・・・。私、今・・・子供無理だって・・・」
「―― え?」
「うん・・・。えへへ・・・。ごめんね・・・本当に・・・情けないね・・・。」
言葉は軽めに、笑い声を交えて言ったのに・・・瞳からは涙が止まらなかった・・・。「情けない」私にはぴったりの言葉だ・・・。
「うん・・・。誘発剤とか・・飲んだら・・きっと大丈夫と思うけど・・・治療しないと・・・うん・・・。止血剤が終わって一ヶ月くらい基礎体温のデータが取れたら・・・始めましょう・・・って・・・うん・・・。」
自分で自分に大丈夫だと納得させるように、一言一言に、相槌を打ちながら、電話口でしっかりと私の言葉を聞きうける彼に伝えた・・・。
彼が電話口で、私にかける言葉を探っているのが分かる・・・。
「今がダメなだけだろう?そんなに気にするなよ。これから、1年後でも、2年後でも5年後でもいいじゃないか。」
「―― うん・・・。」
私は彼の言葉に、なるだけ元気に聞こえるように、大丈夫なように頷いた。
―― 嘘だ・・。
その言葉が彼の優しい嘘なのは、分かっていた。
だって、あんなに楽しみに欲しいって、ずっと言ってたじゃない・・・。私が「まだ早い」って言っても、欲しいんだって言ってたじゃない・・・。
「元気出せよ。」
これは、彼の本心だろう・・・。私が元気で居なければ、彼はもっと苦しい・・・。どうにもしてやれない、自分に腹を立てるに違いない・・・。
「―― うん。大丈夫・・・。大丈夫・・・でも・・・ごめんね・・・本当に・・・。」
私の中では情けなさと申し訳なさで一杯だった・・・。
「ちゃんと家に帰れよ。」
私は消えそうな声で「うん」と短く答えた。
まだ、安心しきれないのは彼の声から窺い知ることができたが、彼はとりあえず電話を切った・・・。
カランっ
ゆっくりと溶け始めて、位置を確保しきれない氷が静かな音を立てて己の定位置をずらす音がかすかに響く。
私は零れてしまった涙を、ハンカチで、拭うと、心地良い音を響かせる噴水に視線を送り、長く息を吐いた。
いろいろな悪い考えばかりが、私の深窓に響き渡る・・・。
心のどこかで、これはあの日の「罰」だと、きっとお互いに思っただろう・・・。
―― 私は・・人殺しだ・・・。
10年20年後には、私と同じ形を形成するはずだった者を、私は死においやった・・・。
どうしても、軽はずみな決心ができなかった・・・といえば聞こえはいいが・・・。
―― 怖かったんだ・・・。
それは私のエゴ・・・。
冷たい紅茶が喉元を、すんなりと通り抜けていく・・・。
(おいしい・・・。)
―― もう・・・何年も前の話だ・・・。
今更全て遅い・・・。
私はいつも、心のどこかで、割り切れないこの感情に終止符を打たなくてはいけない・・・。
それに、自分の悪いことを全てその「所為」にしていては、彼女も報われないだろう。(彼かもしれないが・・・私は女の子が好きだ。)
私は強くならなくては・・・気も長く持たなくては・・・元気にならなくては・・・薬だけでは、きっと回復しない・・・。
ぼんやりと眺める先は、ゆったりとした時間が流れる・・・。
「―― だよねぇ・・・。」
誰に言うでもなくぽつりと呟く・・・。
ゆったりとした休息と、時間が今の私には必要なのかもしれないな・・・。
そして、微かに口元を緩めると、静かに席を立ち・・・心配する彼が戻ってくる場所へ、帰ることにした。
帰り際に、店員(?)の彼に「また、どうぞ。」と掛けられた言葉が妙に、気持ちよく心に残った。
その所為か、私は1週間後、再びその店内に足を運んでいた。
「今日は、ここでも大丈夫?」
「―― ええ、どうぞ。」
この間は、受け入れられなかった席を指定すると、今回はにっこりと通してもらえた。
ただ単に私のことを覚えていないだけなんだろうけど・・・。ちょっとほっとした。
「ご注文はどうされますか?」
この間と同じ様な間で、彼は声をかけてきた。
「何でも。」
意地悪な返答をしてみた。
きっとそんな答えに困った顔をしているだろうと彼を見上げると、彼は柔らかい表情を崩すことなく穏やかに
「この間、飲みそびれたエスプレッソなどいかがでしょうか?」
―― 驚いた・・・。
彼は間違えなく、私のことを覚えていた。
あまりの驚きに、頷くことしかできなかった・・・。
泣いてしまったところでも見られたのかもしれないな・・・。滅多にそんな奴いないだろうし・・・。
この間のことを思い出して、私は小さく笑った。
壁で仕切られた個室・・光取りようの窓から、柔らかい陽が、静かに差し込んでくる・・・。
今日だって天気はいいのに・・・。
「薬は利きませんでしたか?おかしいですね・・・。でも、癌の心配はないですよ。」
―― え?本当に?!
「ええ。お腹もそんなに痛まないのでしょう?大丈夫ですよ。」
―― そっか・・・。
「薬を変えましょう。これを10日ほど飲めば必ず止まります。そして数日すると、また始まりますから、いいですか?それから5日後から、これを5日間飲んで見て下さい。」
私がそのときの話を、半分も耳に入れていなかったことを察したのか、医者は「分からなくなったら電話してくださいね」と付け加えて、処置を終えた。
―― 癌ではない。
この一言が、私の心のどこかを救った。
母も祖母も、同じ様に子宮にできる癌(腫瘍)で、子宮を失っている・・・。
私もそうだと半ば「大丈夫」という医者の言葉を疑い、諦めていた。
そんな思いに光を差し込ませたのはその一言だったのだ。
―― まだ、大丈夫・・・。
一つの大きな不安から開放された私は、頑張って治療を続けようという気になった。
過去はやり直せない・・・。
そんなことは、分かっている。
でも、せめて、今から先のことは、そんな過去の上にあることを忘れないように、顔を上げることにした。
たくさんの犠牲の上に、立つことは厳しいかもしれないが、これほど安定した土台は無い様な気もした。
僅かに窓から差し込んでくる光は、まるで、私を許してくれたようにも感じられたが・・・それは、ポジティブすぎだな・・と思いなおした。
「どうぞ。」
小さなカップに、注がれた琥珀色のそれは、とてもよいほろ苦い香りを運んでくれた。
軽く会釈をして、その場を離れようとした彼を、呼び止めた。
静かにゆっくりと振り返った彼はやはり、不思議そうな顔をして「はい?」と私の言葉を待った。
「今日も天気がいいと思うんだけど?」
「―― ええ。そうですね。」
怪訝な顔でそういった私に、にこやかにさらりと答える。
「私のこと・・・覚えてますよね・・・?えっと・・・マスター?」
もしも、店員と思われる彼が店主だと申し訳ないので、確認するように問いかけた。
「ええ。覚えていますよ。」
―― やっぱり・・。
「じゃぁ、どうしてこの間はテラスで、今日はここなの?」
「―― ?お客様が、こちらがよろしいとおっしゃったので。」
「前も私はここが良いと言ったと思うんだけど?」
食い下がった私に、ほんの少し困ったような顔をしたが再び、その顔に柔らかい笑顔を戻すと静かに答えた。
「今日は、陽の栄養がなくても、お顔の色がよろしいようでしたし・・・ミルクと紅茶の香りと甘さが必要なほど、お疲れでもないようでしたので・・・」
続けて聞こうと思っていたことの答えまで添えて丁寧にそういった、マスターに私は「そう・・・。」としか、答えることができなかった。
私の合点がいったのを確認してかどうか、彼はもう一度笑顔を残して
「ごゆっくり・・・」
その場を、離れていった・・・。
―― 陽が優しい・・・。
確か彼はそう言っていたような気がする・・・。
・・・暑くは無かった・・・不思議と・・・ミルクティーもおいしかった・・・。
その両方がじんわりと身体に溶け込むような気もした。
うなだれていた頭も、何とか持ち直したような気もする・・・。
「―― ふぅ〜ん・・・。」
私は小さく納得した。
そんな私の鼻を、濃いコーヒーの香りが刺激する。
くぃっと「早く飲んで」と言うように、そこに鎮座していたエスプレッソのカップを空けた。
―― くぇ・・・。
口の中に、広がったそれに思わず苦い顔をする。
コーヒーの苦味と香りが凝縮されたそれは、今日の私の気付薬になったらしい。