種シリーズ小話:銀狼譚
▼ 小種92『月の歯車4』

 

 再び自分がこの場所に立てるとは思わなかった。
 今回の騒動でこれ以上巻き込まれることは望まないと、ここを去ったものも多かったが、同じだけ残ってくれたものも多い。
 その方々が「お帰りなさい」と迎えてくれたときには正直涙腺が緩んだ。

 年を取ったのかもしれない。
 自分で思っていたよりもずっと感情の起伏が激しいのだと初めて気がついた。

 陽だまりの園の子どもたちも怖い目に合わせてしまったというのに、変わらず私のことを『先生』と呼んでくれて、遠慮なく抱きついてきてくれる。

 この場所が永遠に変わらず守られるならば、今、私がどうなっても良いと思っていたのに、彼女はうんとはいってくれなかった。
 償いは役割を果たすことにあると教えてくれた。

 それを受け入れるならば、私はこの場所に戻ってこないといけない。
 この教会が私の居場所だ。

 説教台の上で、ぱすんっと分厚い教本を閉じ天井を仰いだ。
 背にしていた天井のステンドグラスから降ってくる色とりどりの光が美しい。
 この場所も廃墟と化していたのに、その様子を微塵も感じさせることはない。

 自分がどれほどの人間を相手にしていたのか思い知る。

 はあ、奇跡が起きた。
 白月は私に美しいときの在処を示してくれた。

「こんにちは」

 そんなことを考えていたものだから、幻かと思った。

「おや、どうしたんですか?」

 けれどこの世界に幻なんてものは存在しなくて、目の前の聖女は穏やかな笑みを浮かべて歩み寄ってくる。

「今日はギルド依頼できました」

 にこりと可愛らしい笑みを深めて、ギルドから受けてきたのだろう依頼書を提示した。
 それはもちろん私が依頼していたもので、マシロさんが受けてくれると良いなと思っていたものだ。

 それが叶うのだから、いろいろ捨てたものではない。

「こちらへどうぞ?」

 すっと踵を返しゆっくりと歩みを進めるとぱたぱた駆け寄って隣りに並ぶ。この場所は彼女に良い思い出を残してはいないだろうに、彼女は平然と訪れてくれる。

 もちろんここには彼女の従者である白銀狼(ハクア)も居る。
 お互いの確認という意味合いがあることも理解は出来るけれど、彼女の場合はそういう込み入ったものではなくて……。

「監視まだ続いているんですね?」

 ぽつと切なげに、苦しげに零す姿が愛しい。
 本来なら永遠に監視されるべきで、彼女からすればそうして貰わないと困るくらいの嫌悪感を抱いて貰っても良いのに。

「まだ一月と経っていないのですよ? 当然です」

 微笑んでそう告げたつもりなのに、彼女の表情は曇った。
 彼女には何の非もないというのに恐らく思い病んでいるのだろう。そう思うと更に愛おしくなる。

 何とか彼女に笑顔を取り戻して欲しくて、話を続けたが成功したかどうかは微妙だった。
 子どもたちの前に立つ彼女を見送って、私は執務室へと向かった。


 白壁に反射するような青い空。
 常緑樹に落ちる陽の光。

 どれも私の愛すべきものだ。

 内庭に植えてある大樹の根本に身体を伏せていた、二匹の白銀狼のうち一匹が私の姿を見つけて腰を上げた。
 ゆっくりと歩み寄る途中で、ふっと人型を取り「主の匂いがする」と口にした。

「ええ、陽だまりの園で教鞭をとっていますよ」
「そうか……」
「邪魔をしてはいけませんよ」

 そのまま通り過ぎ、彼女の元へ向かおうというのだろうハクアに注意を促すと、不機嫌そうに瞳を細め見下ろしてくる。
 私は身長にコンプレックスはないけれど、ハクアには見下ろされてしまう。威圧的な雰囲気はないが、ヘテロクロミアの瞳は人を魅了して止まない。

「そんなことをするつもりはない。顔を見に行くだけだ」
「それなら良いのですが」

 いって見送れば数歩先では白銀狼の姿に戻ってかけだしていた。

 忠犬。

 浮かんだ言葉に笑いがこぼれる。

「貴方はもう良いのですか?」

 じっとしていたもう一頭に歩み寄り、その前に膝をつく。
 私は白月の姫と違い白銀狼と言葉を交わすことは出来ない。

 そのことを知っている彼も、ハクアと同じように人型を取り「ああ」と頷いた。

「心配しなくても、マシロさんは貴方を責めはしないと思いますよ」

 私ですら責められなかった。
 その私の甘言に乗せられていただけの白銀狼を彼女が咎めるはずがない。

「貴様が嘯(うそぶ)いたとは思っていない。蒼月を沈めることは叶わなかったが、白月は現れた」
「貴方も彼女に”美しいとき”を見るのですか」

 大樹の根本に腰を下ろしたまま木漏れ日を仰いだ白銀狼につられて空を仰ぐ。ここからは白月がうっすらと見えるだけだ。

「その判断をするのはワタシではない。ワタシは長に宥恕された身、以後の判断は長に委ねる。いくらワタシが種屋を譴責(けんせき)したとしても、我らが長はそれを望まない」

 ということは必然的に今世界に二つ月が登ったことを認めるということだろう。

「人の生は玉響(たまゆら)のようなもの。我々の時の間とは違うもの。急く必要もない」

 ゆっくりと体重を大樹へと傾け残った片方の瞳を閉じ、風を嗅ぐ。

「ワタシは時期に山へ戻る。再び荒れるだろうと思うが」

 いってちらと私を見た白銀狼は瞳を細めた。

「理無(わりな)いことだ」
「え、それはどういう」

 再びこの場所が荒らされるのは非常に困る。
 慌てた私に笑みを深めると、立ち上がると同時に元の姿に戻り私を置いていってしまった。

 ざわざわと胸が騒ぎ。
 嫌な予感がした。


 それから、
 ここが白銀狼:シラハの襲撃にあったのはまた別の話…… ――





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