投稿(妄想)小説の部屋・別館

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火姫宴楽

 
【6】

「だってねえ、こんないい女が隣にいるってのに、クウクウ寝てるんだもの。子供よ。まだまだ子供」
 後朝(きぬぎぬ)の別れの時間にもまだまだ早い、朝と呼ぶにはたよりなさすぎる光が 川沿いの道いっぱいに立つ川霧の中に ほわりと満ち、白く濁ってほとんど前しか見えず 人影すらない大門に続く道を並んで歩く女がコロコロと笑った。
 その隣を歩きながら、柢王は怒るべきかどうか悩んでいた。文殊塾でティアと女子の人 気をほぼ二分する柢王だが、年の近い少女達がどうすれば喜ぶかということは心得ていて も自分の母親ほど年の離れた(といっても、母親はまだまだ若いのだが)女性に対しての 手管は(父親を見ていればある程度は分かるものの)まだ解らないのだ。
 というか、「泊めるだけ」とわざわざ念を押されているのに、どうして「何もしなかっ た」と後になって言われなければならないのかよくわからない。
(・・・わかんねえ。本ッ当―に! 女ってよくわかんねえよな)
 今まで付き合った文殊塾の少女達にも言えることなのだが、今まで笑っていたかと思え ば次の瞬間不機嫌になっているのは日常茶飯事。言っていることとやってることが全然違 う。黙り込んで怒っているのかと思えば実は嬉しがっていたり等々・・・、内心とまどう事 が多かったのだ。
 もはやそれにも慣れたし、どうすればこちらを向かせて笑わせることができるかも心得 ているが、それでも時々 いったいどっちなんだよ? と問い返したくなることがある。
 自分が元気な時はそれでもいいのだが、疲れている時にそれに付き合うのはかなりきつ いものがある。それならいっそ考えていることがすぐ表情に出る、嘘のつけない顔の年下 の友人とドタバタしている方がよほど気が休まるというものだ。
 そんなことを考えている柢王の表情から何かを読みとったのか、それともいぢめるのは これくらいにしておこうと判断したのか、女はふふ、と笑うと急に話題を変えた。
「そういえば昨日の話に出てきたコーヴィラーラがその後どうなったか知ってる?」
「知ってるわけないだろ。」
 ニコニコ笑っている女の方を見ずに柢王が返す。
「知りたい?」
「・・・・・・5年前の話だろ? だったら、今も現役で頑張ってるんじゃないのか?」
 こっちを見ようとしない柢王が返した言葉に、女はニコニコ顔のまま、「大外れ〜!」 と実に楽しそうに言った。
「花街で1年間bPの座をキープし続けた後、すぱっと引退して今は南領の実家に帰って 結婚して子供を産んで、家業を手伝っているそうよ」
 女の言葉に柢王が驚いて振り向いた。
「・・・1年?! ―――たった一年?! 」
 柢王の驚きようが可笑しかったのか、女はますます笑みを深めた。
「そう、『なんだか すっかり満足したわ』って。衣装代とかでかさんでいた借金も綺麗 に返済して、意気揚々と故郷に帰ったのですって。なにしろ、彼女の舞のおかげで南領の 知名度がグンと上がったわけで、彼女の実家は怒るどころか故郷に錦を飾ったって大喜び で彼女を迎えたのですって」
「なんだそりゃあ! いいのかよ! そんなんであっさり辞めちまって!」
「そう? いい引き際だと思うけど。」
 コーヴィラーラの舞の人気の追い風をうけて、若手の舞姫達が後に続けとばかりに南領 の舞を披露するようになっていった。中には四、五人のグループを作ってなおいっそう 華やかにかつエキゾチックな群舞を披露する者達も出てきたのだ。
 そんな中で彼女は目新しいものにすぐ興味が向かう、移ろいやすい花街の客達を相手に 一年間bPの座をキープし続けたのだ。トゥーリパン夫人の強力な後押しに支えられてい たにせよ、並大抵の事ではなかっただろう。
「・・・だからって、そんなあっさり変わっちゃっていいのかよ」
 並大抵の事ではなしえなかったとわかるからこそ、それをあっさりと手放してしまった コーヴィラーラに、納得がいかない柢王が気むずかしい表情でうなる。
「・・・ばかねえ、女は男よりも変化を愛する生き物なのよ」
 くすくす笑ってそう言う女の顔は、柢王にはサッパリ理解できないそのことを、きっち り理解し、なおかつ共感(そして羨望)すら感じているように見えた。
「・・・・・」
 柢王は内心で同じ言葉を繰り返した。
(・・・わかんねえ。本ッ当―に! 女ってよくわかんねえよな!)
 
 
「このまま まっすぐ行けば、すぐ大門に辿り着くわ」
 川霧の立ちこめる白く濁る道の先に、わずかに色味が違ってみえる一角を指して女は言 い、立ち止まった。
「結構楽しかったわ。でも送るのはここまでにしておくわね」
 別れの挨拶なんかしなくていいわよ、無粋だから。と女は柢王を見て笑い、大門の方向 を指したまま、早く行きなさいと促した。
「・・・あ、宿代忘れてた」
 数歩行きかけて立ち止まった柢王が慌てて逆戻りし、懐にあった金を全部丸ごと彼女に 渡した。
「これで足りるか?」
 値を尋ねることもせず、おそらく全財産であろうずっしりと重い財布を丸ごと躊躇もせ ずにぽんと渡してよこすこの少年の豪気さに、受け取った女は目を丸くし、それから小さ く吹き出した。
「さすが、あのお人の子だね。何だかホントに憎めない。」
「・・・やっぱ ばれてた?」
 彼女が自分を見るまなざしから、何となく察していた柢王だった。
「一目でわかったわ。・・・よく似ていらっしゃるもの。それに何と言っても守天様と南 の太子様を連れていらしたからねえ・・・。守天様の御印はもうちょっとちゃんと隠してあ げるべきだったね。昨日、屋台街で見た時は腰を抜かすかと思ったよ」
「そんな時から俺が来てるって知ってたのか?」
「屋台街へは良く行くのよ。・・・見つけたのは偶然だけどね。」
 どうだか、と思ったが柢王はそれを口にはせず、「次からは気をつける」とだけ応えて 今度こそ背を向けかけたその背中へ、女が声をかけた。
「あ、最後にいいこと教えたげる」
 内緒話をするように口元に手を当て、にこっと笑って手招きされたので、耳を寄せる。
「守天様に伝えておいて。私の調合した香玉を気に入って下さってありがとうって」
「・・・え?」
「混乱と変化を愛して。それがいい男ってものよ。あんたはきっとそれが出来るわ。」
 優しい声でそう告げた唇は、そっと耳朶を噛んで離れていった。
 耳を押さえて飛び離れた柢王に、「じゃあね」と、実に艶やかな笑みを投げてよこすと、 女はすうっと川霧の向こうに遠ざかっていった。
 
「・・・・・!?!?っ?」
 混乱のあまり 耳を押さえたままよろめいた柢王は川岸の柳の木に背中を当てて体を 支えた。混乱したまま頭の中で女の言葉を反芻する。
「・・・ちょっと待て。てことはつまり」
 つまり彼女の正体は・・・。
 昨晩泊めて貰った個室を見る限りではそれなりの地位の女性とは思ってはいたが。
「・・・損したんだか、得したんだか。」
 柢王はつぶやきながら吹き出した。
 ・・・結局、昨日は自分がどれだけ考えなしの子供かという事を再認識しただけだったと 思う。
 自分の知りたいことは何も知ることが出来なかったし、ずぶぬれにはなるし 所持金は 全部渡してしまったし(それは別にいいのだが)、自分の母親ほど年の離れた女性(し かも親父のお手つき!)にはからかわれるしで、今の自分はなんだか情けない。
 けれどそれ以上に、何だか楽しい。
 得たモノなど何もないはずなのに、何だか満腹なこの気分は何なのだ。
 ずるずると柳の木の根本に座り込みながら、柢王は笑った。
「わっかんねーぞ。おい・・・」
 
 

【7】

 グラインダーズが柢王にエスコートを申し入れた日からきっかり7日後、グラインダー ズからの極めて丁寧な内容の書状を託された(ふくれっつらの)アシュレイの案内で、柢 王は採寸のために一度だけ南領に訪れた。
 南領の離宮の一室でグラインダーズの丁重な出迎えを受け、アシュレイにからかわれつ つ、柢王は如才のない態度で頭周りから足首周りにまで至る細かい採寸を耐えた。
 採寸の中休みで、柢王はアシュレイとグラインダーズとお相伴に預かるデザイナー達と テーブルを囲み、よく冷えた後味がすっきりとする香草入りの清涼飲料水と香辛料の良く 効いた甘味の強い南領の菓子をつまみながら、とりとめのない話をした。
 デザイナー達は良く笑い、たくさんの話題を提供したが、どういった仮装衣装になるの かについては何も言わなかった。ただ笑って当日のお楽しみと言っただけだった。
 柢王は終始おとなしい態度でほとんど何も聞かなかったが、採寸が終わってから、デザ イナー達へ3つだけ条件を出して帰っていった。
 曰く、
 補正下着の類は一切駄目!
 ヒールの高い靴も却下!
 肌も極力見せないこと!
 だった。
 いっそ思いっきり大胆な仮装にしてやろうと考えていた(何のことはない。単にまだ何 一つ決まっていなかったのである)デザイナー達は足下をすくわれた形になり、「なぜ 〜?!」と半泣きになる中、「やっぱり男の子さんですわね」と、柢王と同じくらいの歳 の男児を子に持つデザイナーがくすくす笑いながら頷いた。
 その隣で、グラインダーズもくすくす笑っていた。奇しくも柢王が示した条件は、グラ インダーズがデザイナー達に事前に提案した衣装と条件がほとんど一致するものだった からである。
「・・・では、私のアイディアどおりに進めてちょうだい」
 くすくす笑うグラインダーズに、デザイナーの一人が、デザイン画を見ながら言った。
「・・・姫様、本当によろしいのでしょうか? こう言っては何ですが、前回に比べると面 白味に欠ける感は否めません。」
「いいのよ。今回は奇をてらう必要はないのだから。」
 前回のアシュレイと揃いの鳥の衣装は、立体感や羽の動きになめらかさを見せるため、  最後の最後までデザイナーとパタンナー達が額を付き合わせて喧々囂々しながら作り上 げた良いものだった。 しかし今回は豪奢さこそあれ、本当に「ただの服」なのだ。デザ イナー達としては腕の奮いどころがないので、がっくり来るのは仕方ないことと言えた。
「・・・なんだか今回のお題は、いまいち主体性がありませんわね。何だか意味合いが広すぎて曖昧ですわ。そもそも仮装向きのお題ではありませんわ」
「そうね でも」
 グラインダーズは肩に降りかかった髪をかき上げながら挑戦的な笑みを浮かべた。
「いろんな意味に取れるからこそ やりやすいって事もあるのよ」

 その夜、グラインダーズの寝支度を手伝っていた彼女の乳母が、ふと何かを考える仕草 をして問いかけてきた。
「姫様、そろそろではありませんか?」
 グラインダーズは下腹部に手をやり、わずかに考え、そして頷いた。
「・・・そうね。そろそろ来るわ」
 憂鬱な顔をして、グラインダーズは頷いた。月に一度訪れる「アレ」だ。始まれば文殊 塾を2.3日休まねばなるまい。腹が立つくらい毎月正確に訪れるたび、憂鬱になる。
 乳母は、それはどんな女性も大なり小なりそんなものですよ、と慰めてくれるが、グラ インダーズの憂鬱に拍車をかけるのは、毎回それが訪れるたび、初めて血を流した頃に起 きたあのことを思い出してしまうからだった。

 ・・・その日は なぜだか 朝からイライラしていた。
 それは文殊塾の武術の時間に小休止を言い渡した武術師範が、汗をぬぐうために場を離 れたわずかな時間のことだった。 子供達が大人のいない間に悪ふざけをするのはいつも のことだ。数人でふざけあいながら長棒を振り回す男児の棒先が、たまたま近くを歩いて いたグラインダーズのとりまきの女児の肩口をかすり、その痛みに女児は泣き出した。
 それを見たグラインダーズが、その男児に棒先を突きつけて謝罪を求めた。それが発端 だった。
 その男児はグラインダーズよりも年長で、体も大きかった。自分よりも小さな、しかも 女児の権高な言葉と棒先にカッとなったのだろう。侮辱の言葉を吐きながら、男児は突き 出された棒先を横合いから打ち落とした。
 ・・・痺れる手を、呆然とグラインダーズは見つめた。力一杯握りしめていたはずの棒は グラインダーズの手を離れて地面に落ち、甲高い音を立てて転がっている。女児達の悲 鳴と、どっと男児達が周りで囃し立てる声に、カッと頭に血が上るのをグラインダーズは 感じた。
 やれるものならやってみろとこれ見よがしに棒先を繰り出してくる男児に、とり落とし た長棒を拾い上げてグラインダーズは打ちかかった。たちまちのうちに打ち返される棒先 の鋭さに長棒を握る手が痺れ、足がもつれかかる。
「・・・・・ッ!」
 ―――悔しかった。女だからとか、そう言われて悔しかったのではなく、本当に力で は叶わなくなっている自分の力が悔しかった。
 負けたくないと、この時、初めて痛切に思った。
 だから、本来避けられるはずの棒先を避けずに、わざと顔で受けたのだ。頬を薙ぎ、鼻 先をかすめた棒先にしぶいた血に驚いたのはグラインダーズではなく、相手の方だった。 ここまでして勝ちたいという、負けず嫌いというよりも、もはや意地としか言えない感情 を自分か持っていたことにも少し驚いたが、その動揺の隙をついて相手をたたきのめした 事についてはグラインダーズは今でも後悔していないし満足している。
 力で勝てないのなら、相手の虚を突く勝ち方もあると分かったからだ。
 ・・・しかしその後がいけなかった。グラインダーズは南領の王女、相手は貴族の子息だ った。文殊塾から城に帰り、グラインダーズが乳母に小言を言われながら、それでも勝         ったという満足感に密かにひたりながら擦りむいた鼻先と頬の再手当と鼻血で汚れた衣 装の着替えをしている時に、息子の首根っこを掴んだその父親が、父王に謝罪の面会を泡 食って申し込んできたのだった。
(・・・どうして子供の喧嘩に親が出てこなければならないの?!)
 乳母の制止の声を背中に聞きながら、ワンピースタイプの肌着一枚の姿でグラインダー ズは部屋を飛び出した。午後の日ざしが差し込む回廊の美しいモザイク模様を描き出すタ イルの床の熱さを素足の足裏に感じながら謁見の間へと走る。
 謁見の間の扉に向かうよりも、謁見の間の隣室である控えの間を通り抜けるほうが、父 の元に早くたどり着ける、と判断したグラインダーズは控えの間に飛び込んだ。
 彼女の父親はちょうど控えの間から進み出て、床に頭がつくほど平伏している親子の前 に立って、彼らに頭を上げるよう促しているところだった。
「父上!」
 娘の声に父親は振り向き、控えの間から走り出ようとしている娘の姿を認め、その格好 に目を見開いた。
 グラインダーズの着ているなめらかな肌触りの裏地がつく白い肌着の表地には、布の色 と同じ色の糸でびっしりと刺繍がされている。その豪奢なつくりのそれは一般市民の晴れ 着にも相当するものだった。
 だが肌着は肌着であり、そして、断じて王女が人前にさらして良い姿であるわけがなか った。
「一国の王女がそのようななりで人前に姿を見せるでない! 引っ込んでおれ!」
 叩き付けるような大音声だった。そのすさまじさに頭を上げかけていた親子は再び平 伏し、グラインダーズは思わず足を止めた。
 数歩で控えの間の入り口まで戻った父親に、その肩からむしり取ったマントをかぶせる ように投げつけられ、立ちふさがるように自分に背を向けたその背中は、なぜだか異様に 大きく見えて、自分の言葉など届きもしないように思えて。
「あ・・・」
 立ち竦んだところを追いついた乳母達に抱えるようにして連れ戻された。体を二つに折 って足に力を入れて抵抗しようにも、足先から力が抜けていって、声が喉から先に行かず、 きれいに磨かれた床と引きずられる自分の足先ばかりが目に入って、ひどく惨めだった。
 ・・・その足先に 赤いものが滴滴と落ちて流れ落ち、かかとに引きずられて床に赤い線 を引くのを見た時、堰を切ったようにグラインダーズは自分の声を喉から迸らせた。
 悲鳴だった。
 
 

【8】

 それから一週間、グラインダーズは文殊塾を休んだ。
 ・・・初潮が来たのだ。
「・・・―――――― 」
 開口部という開口部をすべて厚地の布で覆った部屋はうす暗く、蒸すように暑かった。
 その暗い部屋の壁際に置かれた籐の寝台の上で、グラインダーズは頭から掛け布をかぶ ってうつぶせになっている。掛け布の下で目を見開き息をひそめているその姿は、暗がり に潜む獣のようだった。
 ・・・・・事実、彼女は今、手負いの獣のように怒り狂っていた。
 しかし怒り狂うと言っても、大声を上げたり、大暴れをするわけではない。乳母達にと っては、いっそその方が楽だったろう。彼女は今にも弾けそうなピリピリとした激しい怒 りを周囲に発散させながら、ほとんど語らず能面のような表情で、人の手を静かに、だが 激しく拒んだのだ。

 ・・・グラインダーズに初潮が訪れた事はたちまちのうちに天界に広まった。
 これまでは、天界中の大貴族達からせめて約束だけでも、と怒濤のようなオファーが押 し寄せても、子供であることを理由に炎王が沈黙をもって返答していたことにより今まで ずっと二の足を踏んでいた貴族達から、初潮がおとずれたということは、それは子供を産 める体になった―――つまり一人前になったと言うことで、グラインダーズ宛てに直接 求婚と贈り物が殺到したのだ。 
 ―――情報が筒抜けであることに頭を殴られたような衝撃を受けているグラインダー ズにさらに追い打ちをかけたのは、求婚者の殺到を我が事のように喜び合う乳母と使い女 達の姿だった。
 乳母や使い女達が喜んで部屋に運び込んだそれらの贈り物を、年頃の少女らしい潔癖さ でもって、グラインダーズはそれらすべてを窓から投げ捨てた。
 そして、乳母と使い女達を部屋から追い出したのだった。

「・・・・・・・」
 グラインダーズは掛け布の下で唇を噛みしめた。
 恥辱と屈辱のあまり死んでしまいそうだ。
 月経に関する知識はもちろんあった。だがそれが訪れた途端、いきなり、貴女は大人 の女性の体になった、子供を産める体になったと言われても、全然納得いかなかった。
 では今までの私は何だったというのだ。女の子だからと言われ行動の制限を受けていたあ の時はいったい何だったというのだ。
(そしてこれからはもっと・・・?)
 第一、一人前の存在になど、どこが扱われているというのか。
 そこにはグラインダーズの意志はない。あるのは南領の王女という肩書きと、子供を 孕む子宮だ。
(私は子供を産むための道具でしかないの?)
 彼らの誰も、本当のグラインダーズを知らない。知ろうとしない。
 そのことがただひたすら悔しかった。
 自分の存在というのはその程度でしかないのか―――。
 グラインダーズは自分の手をみつめた。乳母がいつも乳液でマッサージしてくれていた その手はなめらかで、形良く整えられた爪がならんでいる。
 手を返すと、手のひらには微かにだが剣だこが出来ている。グラインダーズは拳を握り しめた。
(こっちの方が好きだわ)
 この手のひらは自分で手に入れたものだ。爪が割れる、指が太くなるとどれだけ乳母に 言われようと、武術を習うことが楽しかった。強くなってゆく、という感覚が嬉しかった。
(・・・でも、力で勝つことは出来ない)
 長棒をたたき落とされた時の感覚がよみがえってグラインダーズは枕に突っ伏した。
 ・・・・・暑苦しい湿った空気に、ふ、と別の香りが混じったのはその時だった。かすかに 部屋が明るくなった。見回すと香玉を載せた皿を小さな手が、そっと扉の隙間から押しや るのが見えた。
「・・・アシュレイ?」
 その声に手はあわてて引っ込んだが、扉の外に弟の気配はまだあった。部屋の中に、甘 く澄んだ香りが広がっていく。もう一度名前を呼ぶと、小さな顔がひょこっと現れ、暗い 部屋にとまどったように目を瞬かせた。アシュレイはそれ以上は部屋に踏み込もうとはし なかったが、元気そうな姉の顔を見て(病気だと言い含められているらしい)嬉しそうに 笑い、これからレースに長棒の稽古をつけて貰うのだと言った。
 レースガフト・パフレヴィーは飛び抜けて背が高い南領元帥の一人で、一般的な武器の 扱いはもとより暗器の扱いにも長けていた。ついでに言うならグラインダーズの教育係の 一人だった。アシュレイの教育係は別にいるはずなのに何故レースなのか? と聞けば、 アシュレイはにっこり笑って「姉上が、勝ったから!」と言った。
「姉上は、姉上より年上の大きなヤツとやって勝った! だから俺もレースに今から教えて 貰って、柢王に勝ってやるんだ!」
 レースでなくても自分より大きな相手に勝つ闘法を教えてくれる指南役はいるだろう に、やけにレースにこだわるのがおもしろい。
 扉向こうで小声でいさめる乳母の声がして、アシュレイはなごり惜しそうにグラインダ ーズに笑いかけ、扉を閉めて軽い足音を響かせながら去っていった。
 再び暗がりに一人になったグラインダーズは枕に左腕で頬杖をつき、もう一度右手のひ らの剣だこを見た。
(・・・・・・もとはと言えば、アシュレイだったのよね)
 自分が武術に打ち込むようになったきっかけは。
 最初は戯れだった。
 遊びに行った文殊塾の友人の所で、友人の膝によじ登り抱っこされている内にそのまま 腕の中で眠ってしまった友人の弟の姿が可愛くて、自分もしてみたいと思ったのだ。
 ところが自分の小さな弟は人がいるとなかなか寝付かず、おとなしく膝の上にはいるの だが、いつまでも体を硬くしているのだ。
 何となくそれが悔しかったグラインダーズは走り回り始めて乳母達の手を焼かせ始め た弟に、文殊塾で習った棒術や剣術を見よう見まねで教え始めたのだった。
 そうやって体を動かせ疲れさせればそのまま膝で眠ってくれるかもしれない、と今思え ばとことん子供の浅知恵だと思うのだが、あの頃はグラインダーズなりに一生懸命だった のだ。・・・結果と言えば、自分も疲れ果てて弟の寝顔をろくろく見られずに一緒に眠りこ けてしまっていたということなのだが。
 しかしそれが功を奏したのか、アシュレイはグラインダーズによく懐いた。仲が悪い より良い方がいいと思う周囲の意向により彼女らの武術ごっこは黙認された。
 ・・・数年後にグラインダーズが父王に願い出て専任の武術指南役をつけて貰う頃には、 アシュレイは5歳上の自分と剣の手合わせをして3本に1本は取るという、なんとも恐る べき3歳児となっていた。
 ・・・そして今(回想中グラインダーズ11歳現在)では南領中を飛び回り、斬妖槍を使 いこなして一人で魔族討伐まで行っている恐るべき6歳児となっている。
 弟はみるみるうちに強くなった。大人顔負けの強さを誇りながら、飽くことなく強さを 求め続ける弟に、果たして今の自分が相手として通用するだろうか? さほど年の違わな い男児にすら力負けをした自分が?
「・・・―――」
 ふいにアシュレイの笑い声が窓の下でおこった。それから長棒が打ち合わされる音が。
 何事か、とグラインダーズが窓のおおいをかき分けて覗くと、窓に面した小さな中庭で ちょうど真っ正面からレースにぶつかっていったアシュレイが、特に力を入れたわけでも なさそうなレースの棒先に軽くあしらわれて芝生の上にころんと転がされていたところ だった。
(・・・どうしてレースには勝てないのかしら?)
 大型魔族を数撃で打ち倒す弟が、ああも簡単にあしらわれているのがグラインダーズに は不思議でたまらない。
 窓からのぞくグラインダーズに気づいたのか、レースガフトが長棒をぶんぶん振って笑 いながら言った。
「お嬢! 鼻血を1リットル流す事と引き替えに、相手に鼻血を5リットル流させて勝ったって話じゃないですか! おめでとうございます! 武術指南役の私としては鼻高々ですよ! いやあ、まさしく捨て身攻撃! まさしく肉を切らせて骨を絶つ! ――― って! そんな危ない戦法を教えた憶えはないのですが!」
 5リットルも鼻血が出る前に普通死ぬ。1リットルだって危ない。・・・いや、そもそも そういう問題ではない。
 何かを言い返そうとしたグラインダーズの視線の先で、アシュレイがまたしてもレース の棒先であしらわれ、ころんと転んで笑い声を立てた。レースも笑っている。
 小さな中庭は さんさんと差し込む陽光と 流れ込む水の音と 花の香りと 笑い声 に満ちあふれている。
「―――――・・・」
 ―――急に馬鹿馬鹿しくなった。
 こんな暗い自室で一人閉じこもっていろいろ思い悩んでいたとしても、何一つ変わりは しないのに。・・・情けない。これでは本当に子供だ。
 経血はとっくの昔に止まっている。グラインダーズは汗にぬれて張りつく寝着を勢いよ く脱ぎ捨てると、部屋の一角に置いてある盥の水を頭からかぶり、一つ大きく息をついて から、良く通る声で乳母を呼んだのだった。
 
 

【9】

 長い髪をきりっと一つにまとめ、身軽な服装で長棒を持って中庭に現れた姉の姿に、 病気だとずっと言い含められていたアシュレイは始め心配そうに見ていたが、レースと 姉が手合わせする段になって、ようやく安心したようだった。芝生の端っこに座って のんきに姉に声援を送っている。しかし残念ながら弟の声援はグラインダーズの耳には届 いていない。
「・・・・・!」
 レースに向かって打ち込みながら、グラインダーズはまたしても自分の力のなさに怒り 狂っていた。いくら打ち込んでも手応えがない。いや手応えがないのではなく、攻撃を すべて流されるのだ。あっという間に息が上がったグラインダーズに対し、レースは余裕 しゃくしゃくだ。
 小休止のあとでレースの提案によりアシュレイと二人がかりで攻撃することになった のだが、これもまたいくら攻めてもレースは びくともしない。
「アシュレイ!」
 姉に遠慮があるのか今ひとつ攻め込みが甘いアシュレイに、グラインダーズは目配せを した。何かぴんと来るものがあったアシュレイは飛び離れるとグラインダーズとタイミ ングを合わせて横合いから同時にレースに攻めかかった。
「?!」(×2)
 二人の目の前にレースの姿はなく、長棒が突き立っているだけだった。勢いが付いたま まだった二人の棒先はそれを左右から挟み込むように打ち据える形となり、衝撃で長棒は 跳ね上がってくるくると回りながら空を飛び、石畳の通路の上に落ちた。
 長棒が甲高い音を立てて中庭の石畳の上に転がった。
「・・・レース?!」
 同時に打ちかかってきたと判断するなりレースは長棒を支点に棒高跳びの要領で彼ら の頭上を飛び越えて二人の後ろに降り立った・・・・・ということに気づいたのは、慌てて振 り向いたところを大きな手にそれぞれ頭を掴まれて、側頭部同士をごつんとぶつけ合わさ れてからだった。
「〜〜〜〜〜〜っ!!!!!」(×2)
 ・・・姉弟仲良く頭を押さえてしゃがみ込むのを見て、レースは笑いながら長棒を拾って ゆっくり戻ってきた。グラインダーズより一足先に立ち直った(石頭だけに)アシュレ イは「俺もその技をマスターしてやる!」と長棒相手に格闘している。
 頭を抱えた手をようやく外したグラインダーズに、レースはにっと笑って聞いてきた。
「気は済みましたか?」
「・・・・・全然!」
 背の高い武術指南役を睨み上げ、目尻に涙を浮かべたまま怒ったように言い切るグライ ンダーズに対し、彼女を見おろすレースはただ笑みを深くしただけだった。
 
「・・・ええ?! 力一杯握ってたって? 両手で? そりゃ駄目ですよ、お嬢。長棒っての は伸縮自在を利点とするエモノなんですよ。剣と同じように扱っちゃ駄目ですって」
 文殊塾での事の次第をグラインダーズから聞き出したレースは「そーいえば、城では 剣の稽古が主でしたね・・・」と頭を掻いて天を仰いだ。
「私がそれで良いって言ったのよ」
 グラインダーズの武術指南としてよこされた彼は、最初 剣の扱いよりもむしろ暗器の 使い方を教えたがった。
 暗器というのは、体に隠し持つことの出来る小さな武器のことで、護身・暗殺などの非 常事態のために作られ、発達した武器の総称である。
 暗殺にも使われる・・・ということもあって、暗器というとあまりいい印象がないかもし れないが、小さいため、たとえば上衣の飾り襟の裏やハンドバックの中、あるいは装身具 そのものに仕込めるため、女の護身用具としてはこれ以上に使い勝手の良いものはない。  使いこなすことが出来れば、不当な暴力から身を守るのにこれほど適した道具はないだ ろう。
 しかしグラインダーズはそれをきっぱりと拒絶したのだ。
 剣がいい、とはっきりと言ったのだった。
「・・・でも。・・・・・結局、力では勝てないのね」
 ため息をついて言うグラインダーズの言葉を、レースはあっさりと否定した。
「何を言っていらっしゃるのか・・・勝てるに決まっているじゃないですか。」
 振り向いたグラインダーズが「どうやって・・・?」と不審そうな顔をして聞くのに、レ ースは何でもないことのように笑って言った。
「・・・・・お嬢。あなた『霊力』の存在を忘れてやしませんか? 霊力は第三第四の見えな い巨大な手のようなものです。喧嘩の時だって霊力を使えば、長棒ごと相手の腕をへし折 ることだってできたんです」
 レースの言葉にグラインダーズはきょとんとした。・・・武器を使っての闘いの時に霊力 を併用してつかうなんて考えたことはなかったからだ。霊力をつかうのはお互い霊力を 使っての遊びに近いじゃれ合いか、素手の時ぐらいだ。
「・・・そんな馬鹿な。文殊塾の武術の授業でも普通に教えて・・・あ―――」
 レースが顔をしかめて口ごもったその先の言葉は、聞かなくてもグラインダーズにはわ かっていた。武器と霊力を併用しての稽古をしているのは、男児のグループだけだ。 この歳になると基本的な体操の他は、男児と女児に分かれて武術指導が行われているのだ。
 まあ、もちろん、習う前から習うより実戦で慣れてしまった、という弟のような変わり 種もいるわけだが・・・。
 グラインダーズはため息をついた。
「問題は山積みね・・・。でもレース、もしあの時に霊力を使っていたとしても勝てたかど うかはわからないわ。・・・だって私の霊力は最近とても不安定になっているの」
「勝ててますって」
 相も変わらずこともなげにレースは言い放つ。
「・・・レース。一体そう言えるだけの根拠はどこにあるの?!」
 振り向いたグラインダーズが いらだつように睨み付ける。
「お嬢、自分が成長期だって事を忘れてんじゃないですか? 体が急激に成長するこの頃 は成長に伴って霊力だって増大する。力そのものが弱くなったわけではないのです。 ・・・ただ、成長が急激すぎて体と霊力のバランスがうまく取れなくなるから、不安定にな っているだけです」
「・・・だったら、なおさら!」
「―――そして最大の根拠。・・・それは王族の霊気が ふつうの天界人が持つ霊気とは まったく違うというところです。 ・・・密度も練度も精度も。大気中の霊気を共振させる その力も、何もかも全てが―――。」
「―――――嘘。」
 レースが笑ってこちらを見ている。 
「・・・ただ存在しているだけで、強者―――。王族とはそういうものなのですよ。」
 どうして、そんな恐ろしいことをあっさりと笑って言えるのだろう。
 その笑みの中に、何かが含まれていれば、少しは安心が出来ると思うのに。
「・・・・・ ・・・・・ ・・・でも、レース・・ ・・・・・それなら・・・私が、霊力を使って他の人に攻 撃するのは・・・卑怯、と言うことになるの・・・?」
「何故? 自分が持っているモノを使うのが悪いことですか? 使えるモノを使って何が 悪いのですか? 下手な出し惜しみをして使わずにいればそれの価値は下がり、自分が危 なくなるだけ。・・・・・そんなことを言っていたら、蜂に針があるのも、鹿に角があるのも、 それこそ花に香りや蜜があることすらも、卑怯って事になりますね。」
 最後の言葉は何だか余計だと思ったが、グラインダーズは黙っておいた。
「・・・・・強者の『霊力』・・・か。 ・・・でも、レース。それじゃ何だか変だわ。だって、アシュレイは血肉に溶け込み、霊気を精製しやすくする霊槍である斬妖槍で魔族 退治を行っているわ。・・・アシュレイはほとんど教わることなく武器と霊気とを併用して闘う術を身につけた。 そして確実に腕を上げ続けている・・・たった一人で大きな魔獣をたくさん倒している。アシュレイは強いわ。・・・それなのに、どうしてさっきあなたに、あんなに簡単にあしらわれてしまったの?」
「・・・・・」
 レースはアシュレイが離れたところで長棒相手に一生懸命格闘しているのを確認して から、ぼそっと小さな声で言った。
「標的が大きいからです」
「・・・は?」
 話をそらされたのかと思ったが、レースは笑っていない。
「的(マト)が大きければ大きいほど矢は当たりやすいものです。アシュレイ様の霊力と行動力は大人顔負けですが、いかんせん技術が全然追いついていない。・・・言ってしまえば、思いきり力をぶつけていらっしゃるだけですからね。・・・だから小手先技では簡単にあしらわれてしまうわけです」
「・・・・・でも、強いことには変わりないのよね?」
「申し上げておきますが、「攻撃は当たらなければ意味がない」です。正確に、相手のダ メージになるような場所に当てなければ、たちまち反撃されます。・・・今はまだ大きな魔 族が相手だからいいですが、人型魔族の強者が相手だと確実に負けます」
「・・・・・・厳しいことを言うのね」
「魔族相手に負けることは「死」を意味します。 死より厳しいものなどありませんよ」
 レースは あっさりと怖いことを言う。 真実だから、怖いのだ。
 グラインダーズは何度目かのため息をついた。
「・・・結局、どんなに霊力が強くても、それを使いこなすだけの技術を身につけなければ、 意味がないのね」
 アシュレイが、レースに稽古をねだっている。レースが立ち上がった。
「・・・ま、そういうことです。どうします? 今まで通り稽古を続けますか?」
「続けるに決まっているわ。今まで通りだけじゃなく、文殊塾では教えて貰えないことも ちゃんとね! ―――でも、そうね・・とりあえず喉が渇いたわ」
「承りました。王女さま」
 レースが笑い、思いがけない優雅さでお辞儀をして見せた。

続く。


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