投稿(妄想)小説の部屋・別館

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祝夜

 
【1】

 ・・・柢王の母親からの使いの侍女達が置いて帰った品物の数々を見降ろし、桂花はため息をついた。
 二月に一回くらいの割合で、柢王の母親からの使いの侍女達十数人が手に手に品物を掲げ持って柢王と桂花の暮らす家にぞろぞろと現れるのだ。最初はこの光景に肝をつぶしたが、今では屋外で茶を振舞うぐらいの余裕は出来てきた。
 今日もそうして柢王と一緒に彼女達を送り出し、扉を閉めて振り向いた途端床に積み上げられた品々が目に飛び込んできて、げんなりとため息をついた、というわけだ。
 山海の珍味や、柢王の好物などの食料や衣服の類ならまだわかるが、宝石をちりばめた小箱や、豪奢な食器類、何反もの極上の飾り絹など、このシンプルな家屋のどこに置けというのか・・・
「・・・いつもながら、物量作戦と言おうか、人海戦術と言おうか・・・。あなたの母君は、息子がどういうところで暮らしているのかご存じではないのですか? このままじゃ、この家は品物で埋め尽くされてしまいます。」
「倉庫でも創るか?」
「そういう問題ではありません。・・・ああ、母君からの書状をこんな所にほったらかしにして。封も開けてないじゃないですか。」
 桂花はあきれたように柢王に書状を渡した。
 美しい文字の連なる母親からの書状は、最初は脅しあり、情に訴えありの、とにかく桂花と別れて帰ってこい一点張りの内容だったが、強情な所は誰に似たのか。片時も桂花を傍から離さずに二人で生活をはじめてしまった柢王にさしもの母親も匙を投げたのか、はてまた小言を書き尽くしたのか。最近の書状の内容は近況報告になりつつある。こっちのほうが百倍もおもしろい、とは柢王の言だ。
 片付けは桂花に任せ(というより手伝おうとすると邪魔だと追い払われた)、寝台に寝そべって母親からの書状を読んでいた柢王が顔を上げて桂花に言った。
「桂花、紗莉って憶えてるか? 彼女結婚するらしいぞ」
「彼女が?」
 片付けの手を止めて桂花が振りむいた。
「彼女の事は憶えてますよ。・・・いいえ。あの時のことは、吾は一つとして記憶にないのですけれど」
 片付けを一旦放棄して、桂花は寝台の端に腰を下ろした。
「・・・ああ、あの時は、お前意識全然なかったみたいだもんな。ほとんど夢遊病者みたいな感じだった」
「・・・聖水を飲むなど、もう、二度と経験したくありません」
 桂花の声に苦いものが混じった。
 柢王は起き上がって桂花を抱き寄せる。
「おれも、二度とお前をあんな目にあわせる気はないな。・・・それにしても、あの時には彼女に迷惑かけたからな〜。そーか、結婚するのか」
 
  
 ・・・聖水を飲まされ、桂花が昏睡状態に陥ってから数日が経つ。
 蓋天城の庭園の片隅にある離宮の一室の寝台の上で、桂花は横たわっている。
 もともと天界人よりも低い体温は、今は冷たくさえ感じられるほど低くなっている。呼吸も弱々しく、核の鼓動もひどくゆっくりとしたものになり、通常の半分以下の回数も動いていない。
 身体の代謝機能を極端におとすことにより、聖水が全身に浸透する事を喰いとめているという事実はわかるのだが、しかしこの状態がいつまでも続けば、桂花はいづれ本当に死んでしまうという可能性があるということも事実だった。

 蓋天城の離宮の一室で、桂花はただ一人眠っている。
 天主塔からの呼び出しで、柢王はその場を離れていた。
 離宮の窓や扉には、『人』だけが入れないように柢王が特殊な結界を展開させている。
 回廊を隔てて美しくととのえられた庭や四阿が見える開け放たれた窓から、さわやかな初夏の風が入って、桂花の髪を揺らした。
 桂花は、身動き一つせず、ただただ死人のように眠り続けている。

 ふと、開け放たれた窓のむこうで、微かな物音がおこった。
 砂利がこすれるような音と、重いものを引きずるような音だった。
 さわさわとさざめくような音も聞こえる。
 さわさわ さわさわ さわさわ
 さわさわ さわさわ さわさわ
 音は次第に近づき、窓の下までたどりついた。
 ・・・やがて、開け放たれた窓の桟の上にひょっこりと小さなものが姿をあらわした。
 それは、小さな葉をつけた、一本の緑色の蔓だった。
 緑色の細い蔓は、桟を乗り越えると床に伸び、するすると蛇のように這い進むと、真っ直ぐ導かれたかのように桂花の眠る寝台にたどりつくと、敷布を伝って寝台に這い上がり寝具の上に出ていた桂花の手に小さな蔓先で接吻のように触れた。
 桂花の手がぴくりと反応する。
 蔓はゆっくりと桂花の腕をたどり、そして上腕部の内側の一番皮膚のやわらかい所にたどり着くとその蔓先を押し付けた。
 ・・・不思議なことがおこった。
 蔓先が桂花の皮膚に溶け込んだのである。
 その瞬間、桂花の瞳が薄く開いた。
 そして、血の気を失った唇が震えながら、音なき声をつむぎだした。
(・・・来よ)
 窓の下の気配がさわさわと動いた。
(来よ)
 窓の下の気配はじょじょに膨れ上がりながら、立ち昇って来る。
(・・・吾は、ここにいる・・・!)
 瞬間、窓の下の気配は一気に膨れ上がると、室内に雪崩れ込んだ。
 蛇のようにうごめき、窓わくいっぱいにあふれかえりながら、鉄砲水のような勢いで桟を乗り越えて入ってきたのは、小さな葉をつけた、何百条何千条というおびただしい数の緑色の蔓であった。
 さざめくような音を立てながら、次々と蔓たちは桟を乗り越え、壁を伝って床に這い、さらに伸び上がりながら、瞬く間に部屋全体をおおってゆく。
 床に、壁に、天井に伸び上がり、高い天井から垂れ下がった何百条何千条というおびただしい蔓は絡み合い、天井と床の中間で蜘蛛の巣のように張り巡りながら、部屋の中央の寝台に眠る桂花の細い肢体にその蔓先を向けた。

 離宮の回廊が見える庭園の小道を、一人の侍女が小走りに駆けてくる。
 初夏の風に似合う夏物の涼しげな浅黄色の単衣は先日支給されたばかりのものだ。
 長い裾が風にふわりとひらめく。
 朝方に雨が降って柔らかくなった土を踏み、裾に泥が跳ねないように後ろを気にしつつ走る足がふと止まった。
 侍女の前の土の上に、緑色の巨大なものが横たわっていた。
「ひ・・・」
 蛇、・・・ではない。こんな巨大なものは東国には存在しない。
 では、これは なに?
 さわさわ さわさわ さわさわ
 侍女は口元に手をやった。ゆっくりと一歩さがる。
 朝方の雨で水分を含んでやわらかくなった地面をえぐり、泥にまみれながら、何百条何千条という蔓が、伸びながら這い進んでいる。
 植物である緑色の蔓が、まるで意志を持つもののように這い進んでいる。
「・・・・!!!」
 侍女は信じられないものを見たもののように、かたかたと震えながら、それでも荒らされたように伸びでた蔓の先を視線でたどり、庭に面した離宮の窓枠いっぱいに張り巡りうごめいている緑色の蔓の群生を見た。
「・・・・・!」
 小柄な侍女は悲鳴を必死に飲み込むと、動揺を押し殺し、じりじりと後ずさるとぱっと身をひるがえし、逸る足で柢王を探し出すために本宮へ向かった。
 ・・・果たして柢王は離宮へ続く回廊を戻ってくる所だった。
「柢王様!」
 血相を変えて庭から走ってくる侍女に何事かと足を止める。
 走り寄った侍女は回廊の手すりにぶつかるようにしてすがりつくと、あたりを見回して他に他人のいないことを確かめてから、息を整えもせずに小さな悲鳴のような声をあげて柢王に告げた。
「・・・離宮が・・・!」
 その言葉を聞くなり柢王は離宮に向かって走り出した。
 はしたなくも手すりを乗り越えて回廊におりたった侍女が慌ててその後を追いかけた。

 

【2】

 回廊から離宮までの距離を一気に駆けきり、桂花の眠る部屋の扉を開こうとした柢王は愕然と叫んだ。
「開かないっ? 何でだ!」
 結界を解除したはずの扉はびくともせず、焦れた柢王は扉を蝶番ごと引き剥がす勢いで引いた。後ろから駆けつけた侍女がわずかに開いた隙間から緑色のものがのぞくのを見て悲鳴のような声をあげた。
「お下がりください! 危険です!」
 声と同時に渾身の力で引き開けた扉の隙間から、なだれうつように緑色の塊があふれ出て、柢王の上に落ちかかってきた。とっさに飛びのいてその攻撃を避けつつ、柢王は扉の隙間を埋め尽くす緑色の塊に向かって風を叩き込んだ。
 緑色の塊はすさまじい風圧になぎ倒され、バラバラにほどけてもとの姿をあらわした。
 絡み合う蔓の形へと。
(・・・植物!?)
 さらにもう一撃加えようとした柢王の手が止まった。
 柢王の動きに合わせるかのように、蔓の塊も もうそれ以上攻撃しようとはしてこず、扉の内部でざわめいている。
「・・・私が庭で見つけたときには、もう、蔓が・・・」
 侍女を背後にかばい蔓の動きを見据えながら、柢王は心の中でつぶやいた。
(・・・お前か? 桂花) 
 この植物には見覚えがあった。
 天界に来て桂花が最初に妖力で飼いならした植物。
 天界のどこにでも自生する蔓性の植物で、桂花が見つけなければ男の柢王など一生気づかなかっただろう植物だ。

 ・・・かつて、植物の種に自らの『気』を送り込み、意のままに育て上げている桂花の姿を見たことがある。
 天界で最たる慈悲と再生の力をもつ守護主天であるティアですら、植物を急成長させる事は出来ても、意のままに操るなどということはできないというのに。 桂花の手のひらの上で発芽した植物の芽は瞬く間に伸び、桂花の『気』に応え、まるで意志を持つものように自在にうねり、枝葉を伸ばし桂花の腕に巻きつきながら成長した。
 それは、もはや、意志をもつ植物であった。
 間違いない。
 ・・・こんな事が出来るのは、桂花だけだ。
(・・・意識が戻ったのか?)
 だが、あの半死半生の状態で、あれほど多くの植物を妖力で呼び出すということなど、殆ど自殺行為にひとしい。
「・・・・・」
 わずかに開いた扉の隙間から、蔓がうごめき廻っている。
 扉が完全に浸食されていない今ならまだ部屋に入ることが出来る。
 柢王は剣帯ごと剣をはずすと、侍女に差し出した。
「預かっててくれ」
 侍女は目を見開き、両手を胸の前でかたく握りあわせ首を振って後ずさった。
「それでは柢王様の御身が危のうございます。・・・ましてや剣は武人の命と呼ばれるもの。お放しにならないほうが・・・」
「そう、武人だからさ。殺気を向けられれば、攻撃されれば俺は剣を抜いちまう。」
 黒髪の王子は、明るく笑うと一歩踏み出した。侍女は一歩足を後ろに引きかけ、そのままの姿勢で柢王の瞳を覗き込むように見上げた。
「抜けば俺は自分の力を行使するさ。・・・だが、俺は桂花を傷つけたくない。何があってもだ。だから、剣は置いていく。 ・・・頼む」
「・・・・・」
 黙って差し出された両手に柢王は笑って剣を乗せた。
「付近一帯に結界をはる。一時間で戻らなければ、悪いが天主塔に俺の名前で連絡をとってくれ」

「・・・・・」
 侍女は何も言えずに、閉じていく扉の向こうに姿を消した柢王の背を見送った。
 何といってよいのかわからなかったのだ。
 ・・・ご武運を? まさか! 誰と戦うというのだ。
 彼は、中にいる者を救い出しに行っただけだというのに。
 ・・・救い出す? それも少し違う気がする。
 けれど。そんなことはどうでもいい。
 どうか どうか 
 二人ともご無事で。
「・・・・・」
 無事を祈る事しか出来ず、柢王の剣を胸に抱いたまま、侍女は扉の前に立ち尽くした。

 柢王が扉の内部に体を滑り込ませると、部屋中に張りめぐった蔓が、侵入者に対して大きく揺れ動いた。
 さわさわ さわさわ さわさわ
 さわさわ さわさわ さわさわ
 だが、攻撃してこないところを見ると、この蔓は人の『気』に反応するようだ。柢王が攻撃的な『気』を発しない限り、蔓も静観の構えを見せている。
 蔓は部屋の内部全てを覆い尽くし、わずかに扉や窓から漏れ出る光の他は、深い緑色をたたえた闇の底に沈んでいる。
 ・・・まるで結界のようだ。
 ・・・あるいは、深緑の、檻か。
 刺激しないようにゆっくりと足を踏み出すと、床を埋め尽くした蔓が動いて床の色をのぞかせた。
 道を開くようにも見えた。
 だが、柢王にはわかっている。少しでもおかしなそぶりを見せようものなら、この部屋を覆い尽くすものたちが一斉に襲い掛かってくるだろう事を。

(・・・植物にも意志はあるのか?)
 ・・・かつて、桂花の手の上であまりにも生物的な動きを見せる植物に驚いて、そう尋ねた事があった。
(・・・ありますよ。)
 返ってきた返事はあまりにもそっけなく、それがかえって真実味をおびて聞こえた。
(なんで、そういうことがわかるんだ? 魔族は皆そういうもんなのか?)
 ・・・綺麗な紫色の瞳が、一瞬剣呑な光をおびたような気がした。手のひらの上で遊ばせていた植物をもとの種のすがたに戻し、しまいこんだ時にはいつもどうりの桂花であったけれど。
(吾たち魔族には、植物の姿の魔族もいる。鉱物の姿の魔族もいる。・・・万物の、ありとあらゆるものを命の宿りとし、生きる。吾もそういったあいまいな存在の一つです。・・・あいまいだからこそ、全てとまじりあうことが出来る。・・・意志を通じ合う事も。・・・『魂』という確固たる存在を持ち、その殻としての肉体を持つ、人間や天界人のあなた達には、きっとわからないことなのでしょうね)

  ・・・綺麗な 綺麗な 魔族の男。
 簡潔に話す言葉、優雅な仕草、そしてかいま見せる膨大な知識は およそ、柢王の知っていた魔族像とは程遠いもので。
 人界で出会い、殺すことも出来ずに天界にまで連れて来てしまった。
 そして、ずっと傍においている。
  
 柢王が歩を進め、蔓がうごめくたびに天井からぱらぱらと土塊が落ちてきた。蔓が泥の上を這いずってきたときに一緒に持ち込まれてしまったものらしい。

 ・・・桂花は何も言わない。
 天界人のさげずむ視線のなかに身をおいて、きついまなざしのまま、立っている。
 おそらくは柢王にも心を許してはいないだろう。
(・・・連れてこなければよかったのか?)
 だが、殺す事は、どうあっても出来なかった。
 魔族は天界人の敵。その言葉を刷り込まれるようにして育ち、実際、魔界に魔族討伐に出かけ、多くの魔族を殺した。
 けれど、桂花を殺す事は出来なかった。
 魔族討伐が主だった仕事である軍人を選んだ以上、魔族を殺さないという事は許されない事だ。そしてそれは、柢王が今まで持っていた価値観や生き方をすべて否定するようなものだった。
 なのに、桂花だけは殺せなかった。
 東国の王子としての権限、天界最高の権威をもつ守護主天である友人を頼ってまでも、桂花を生かそうとしたのは・・・

 蔓たちのざわめきが高まり、柢王は足を止めた。
 数歩先に桂花の眠っていた寝台があり、その上にも蔓ははびこっていたが、そこには桂花はいなかった。
 ・・・寝台を中心としたその上。天井から、床から伸び上がり、絡み合った蔓が空中に作り出した一際密度が高く強固な深緑の結界。
 その深緑の結界の中央に果たして桂花はいた。
 くらい、深緑の光景の中で、そこだけがほの白い光を放っているかのようだった。
「桂・・・」
 呼びかけようとした柢王が口をつぐむ。
 蔓がうごめくたびに揺れ動く長い白い髪。そして、だらりと投げ出された両腕と、力なくあおのいた細い喉首。
 それはおよそ意識のある者の姿ようには到底見えなかった。
 寝台の上に蜘蛛の巣のように張り巡らせた蔓の上に、四肢に蔓をからませた桂花は壊れた人形のように吊られていた。

 

【3】

 さわさわ さわさわ さわさわ
さわさわ さわさわ さわさわ

「・・・桂、花・・・?」
 何千条何百条という蔓の織り成す深緑の褥(しとね)の上に、身をもたせかけるようにして桂花は横たわっている。
 柢王の呼びかけにも桂花は反応を示さない。
 室内が暗いせいと、乱れかかる髪で桂花の表情は見えないので、果たして目覚めているかどうかすらわからなかった。
 蔓はさらに桂花の髪に、首に、肩にゆるゆると巻き付いてゆく。
 蔓は夜着の下にも及んでいた。白く薄い服地を通して、桂花の体をつたう蔓の動きがはっきりと見えた。 
 何かひどく淫らなその情景に、いっしゅん視線をそらしかけた柢王は、だらりと投げ出された桂花の腕に信じられないものを見た。
 桂花の身体に絡んだ一部の蔓先が、桂花の腕や首に溶け込んでいるのだ。夜着に隠されて見えないが、おそらくは身体にも蔓は溶け込んでいる。
 いや、溶け込んだ蔓の先・・・わずかに皮膚を盛り上げ、四方に分かれたその形は根のように見えた。
 溶け込んでいるのではない。・・・根を下ろしているのだ。
 さわさわ さわさわ さわさわ
 さわさわ さわさわ さわさわ
 蔓は桂花の肢体に巻きつきながら、そのいたるところに小さな蕾を点らせはじめた。
 蕾の数は、瞬く間に増え、部屋をおおう蔓にも点きはじめている。
「・・・・・」
 蔓のあまりの成長の早さに柢王の背筋に寒気が走る。
 この蔓は、いったい何を養分にして、ここまで爆発的に成長しているというのか
 ・・・桂花の体に根をおろし、この蔓は何をしているというのだ?
(・・・まさか、弱っている桂花の生命のエネルギーを糧にして・・・?)
 そうでも考えなければ、この蔓の成長の仕方は、あまりにも異常すぎた。
「・・・桂花っ!」
 柢王の声が怒気をはらむ。
 柢王の攻撃的な『気』に部屋全体の蔓が反応してざわりとうごめいた。
 右手に収斂した風を生み出すと、間髪いれずにそれをはなつ。
 柢王がはなった かまいたちのような真空の刃は、結界の支柱のような役目をしている天井から垂れ下がった数本の蔓を断ち切った。
 それによって結界の重心が傾き、桂花の体は蔓を絡ませたまま結界の上から ずるずると落ちた。
 裸足の爪先が寝台について、意識のない桂花の体は立った姿で蔓に吊られた格好となり、ますます壊れた操り人形めいて見えた。

「桂花!」
 寝台に飛び乗った途端、うなりを生じて緑の蔓が鞭のようにとんできた。咄嗟に身を屈めてやり過ごしたが、次々とうなりを上げてとんでくる蔓を、狭い寝台の上でいつまでもよけきれず、柢王の体に何度か打撃を与えた。
 柢王の顔を打ち、蔓に付着していた泥が目に入って一瞬動きの止まった柢王目がけて蔓は乱打を浴びせ、体に巻きついてきた。
「・・・・・っ!!」
 この近距離では桂花をも巻き込んでしまうかもしれないので、もう力は使えなかった。薙ぎ払い、引きちぎっても、何百条何千条という蔓はあとからあとから捲きつき、瞬く間に柢王の四肢の自由を絡めとった。
「こ・・・のっ・・・!」
 柢王は絡んだ蔓を渾身の力で引きちぎりながら腕を伸ばすと、桂花の首元に溶け込んでいた蔓をつかんで思い切り引っ張った。蔓は意外にもたやすく抜け落ち、茎の先に伸びでた白い根から甘い香りのする透明の液を滴らせた。
 柢王になじみの深い、その、甘い香り。
(・・・聖、水・・・?)
 魔族には劇薬。 だが、他の生物にとっては、この上ない妙薬・・・

 その時。ひくり、と桂花の体が反応した。あおのいた喉首が2度、3度あえぐように引きつり、白い髪が乱れかかる紫微色の美しい貌がゆっくりと持ち上がって柢王のほうを向いた。
「・・・桂花?」
 桂花は、柢王を見てはいなかった。乱れかかる白い髪の下にあるその瞳は、薄くひらかれて柢王のほうを向いてはいても、何の感情も映してはいなかった。
 何の感情もうつさないその貌は、まるで植物のような冷え切った静かな無表情・・・。
 だが、それを補ってあまりある、この圧倒的な威圧感・・・
「・・・・・」
 さわさわ さわさわ さわさわ
 さわさわ さわさわ さわさわ
 ・・・年経た巨大な樹に見おろされているような気分だった。

(・・・植物に意志はあるのか?)
(・・・ありますよ。)
(・・・植物の進化の早さは凄まじい。環境の変化に耐え、自らは枯れ落ちようとも、何世代かの後にはそれに適応した子孫を生み落とす。たった一世代で突然変異をおこし適応する事すらもある。自らの体を環境に応じてつくりかえること・・・それを、意志と呼ばずに何と呼ぶのですか? 何億年もの時をかけて進化してゆく、肉体を持つ動物や人間、そして、貴方たちよりは、植物の方が、吾達に近いとすら言えるかも知れません。)

 ・・・・・。
 歌わない
 祈らない
 望まない
 願わない

 芽吹いたその地に根を下ろし、殆ど動くこともなく、果てしない時を生きる・・・。

 これは 蔓の、植物の・・・意志だ。
 桂花を護り、さわらせまいとする、植物の意志だ。
 ・・・外界のすべてのものから感情と感覚を遮断し、桂花は完全に植物と同調(シンクロ)している。
 たとえ意志があっても、植物はその身を動かす事が出来ない。そのように創られた。
だが、魔族の妖力を媒介にする事で『動く』事が可能というのなら、桂花が植物を呼び、そして蔓は自らを盾として桂花を庇護し、桂花を救うために根を下ろし、聖水を体内からろ過し漉しとった。
 そして植物は桂花の体を侵す聖水を糧にしてここまで増殖したというわけだ。
 ・・・だが、その後は?
 植物と完全にシンクロし、互いに支配し、支配されているこの状態から、いったいどうするというのだ?
 ずっとこのままだと言うのか?
 この離宮の一室の狭い空間で、蔓に護られ、そしてやがては蔓とともに朽ちていくというのか?
「桂花っ!」
 届かないのはわかっていても、柢王はその名を呼ぶしかなかった。

 蔓性の植物は、その緑の褥に侵入するもの全てを拒んだ。
 ・・・それは まるで桂花の意志そのもののように思われた。
 この地に、桂花が心を許せる者など一人もいないからだ。
 ・・・魔族は、天界人の敵。
 ・・・天界人と魔族は決して相容れない。
(・・・人間や天界人のあなたたちには、きっとわからないことなのでしょうね)
 ・・・わからないというなら、確かにそうなのかもしれない。
 けれど。
「・・・俺もか? 桂花。」
 おのれの身を地にしばりつける鎖のように幾重にも繋ぐ蔓を、渾身の力を込めて引きずり、柢王は桂花の前に進み出た。
「・・・そうやって、すべてを拒みとおすつもりか?」
 「わかること」と、「分かり合うこと」は別だ。
 話してみなければわからないこともある。
 同じ天界人同士でも、血の近い者たちでも、分かり合えないこともある。
 けれど、分かり合おうとしなければ、いつまでたっても分かり合えないのだ。
 拒んでいては、何も分かり合えはしない。
「植物なんかと同調すんな! 目ぇ覚ませ! 桂花っ! 俺を見ろ!」

 

【4】

 渾身の力で蔓を引きずり、感情の発露のない薄く開かれた瞳を覗き込んだ柢王は息を呑んだ。
「・・・桂花?」
 見慣れた紫色ではなかった。
 銀緑色や桜灰色の光を凝らせる、黒紫色の瞳。
 魔界に海があり、その海の底で眠る貝が育む真珠があるとしたら、こんな色をしているのではないだろうか。
 天界にも人界にも存在しない、異形の、・・・瞳。
 開かれたままの異形の瞳には何の感情も感じられなかった。
 冷え切った静謐な沈黙の水をたたえ、何か、決して知ってはならない神秘の智識を奥底に沈み込ませた、深くて暗い淵のようだった。
「・・・・・っ」
 その瞳の色に意識を引き込まれかけ、柢王は頭を振った。
(・・・ああ)
 あまりにも柢王たちとはかけはなれた、その、姿。 その、能力・・・
 ・・・魔族は天界人の敵。
 そう教え込まれた。そうして多くの魔族を殺した。
 ・・・天界人と魔族は決して相容れない。
 そうだろうとも。互いのことなど ほとんど知らないのだから。
 知らないまま、殺しあった。
 ・・・なのに。
 桂花だけは殺せなかった。
 殺したくなかった。
 生きてほしいと思った。
 自分の隣で、生きていてほしいと思った。

 さわさわ さわさわ さわさわ
  さわさわ さわさわ さわさわ

「・・・ああ、ちくしょう。」
 歯噛みしたい気分だった。
 こんな状況で、つい桂花に見とれてしまう自分にだ。
 どうしょうもなく、惚れている。
 理由も何もない
 魔族だろうが
 男だろうが
 年上だろうが
 そんなことはどうでもいい
 ただ、どうしょうもなく惚れている。
 ・・・それだけなのだ。

「桂花」
 ・・・・・殺したくなかった
 だから、その名を呼ぶ。
 ・・・話さなければわからないこともある。
 そして、言わなければ、伝わらない言葉も。
「生きてくれ」
 ・・・・・生きてほしいと思った。
 まだ、何も知らないのだ。
 何が好きなのか 
 ・・・どんな表情で、笑うのかすらも
「俺は、命のある限りお前のそばにいる。おまえとともに生きる。」
 ・・・・・自分の隣で、生きていてほしいと思った。
 隣で、笑っていてほしいと思った。
 さらに絡みつく蔓を引きずって間近で覗き込んだ桂花の瞳は、暗く、見る者全てを深淵にいざなう透徹した深さをもって柢王を映していた。
「・・・だから、お前も俺とともに生きてくれ」
 けれど、わかっている。
(・・・それでも俺は、天界人として、軍人として、・・・結局は、魔族を殺すのだろう。)
 そして魔族を殺すその手で、桂花を護り、抱いて離さないのだろう。
 ・・・矛盾している。
 けれど。
(・・・俺は、この矛盾を抱え続けながら桂花と生きるのだろうよ・・・)
 異形の瞳に引き寄せられるように、柢王は唇を重ねた。
 ・・・桂花の唇は冷たかった。
 ぬくもりを与えようとするかのように、深く重ね合わせる。

 ・・・瞬間、蕾がいっせいにふるえた。
 甘い芳香を漂わせながら、孵化したばかりのかげろうを思わせる小さな白銀色の花は、おののくようにその花弁を広げてゆく。
 桂花を中心にして、天井に、壁に、床に、輪を広げてゆくように白い花は咲いてゆく。
 深緑の空間に、またたく星のように白銀の花が咲いていく。
 ・・・・・。
 歌わない
 祈らない
 望まない
 願わない
 ・・・けれどそれは、まるで歌のようだった。
 声なき声をふるわせて空間を満たす、植物が歌う祝福の歌のようだった。

 甘い芳香と、白銀の花ひらく深緑の蔓に埋め尽くされた空間の中央で、二人は言葉もなく唇を重ねる。
「・・・・・」
 ふ、と唇が離れた。桂花が身じろぎをしたのだ。
 柢王を見おろす異形の瞳が、わずかに強い光を放ったように見えた。
「・・・桂・・? うわっ!」
 瞬間、柢王の体は蔓に引き倒され、寝台の外側に投げ出された。
 そして、桂花の体も再び結界の上まで持ち上げられた。
  さわさわ さわさわ さわさわ
 さわさわ さわさわ さわさわ
 室内を埋め尽くす蔓がいっせいに強くさざめきあう。
 白銀の花に満たされた深緑の結界の上で、体の両側に下がっていた桂花の腕がぴくりと動いた。
 ・・・両腕がゆっくりと上がってゆく。
 蔓はその腕にも花を咲かせながらさらに巻きついた。
 体の上に差し上げられた手に、ゆるくひろげた指に、蔓は愛撫のように絡みついてゆく。
 祈るように 願うように 花は次々と咲いてゆく。
 白銀色の花の点る指先をゆっくりと握りこみ、右手をその上に重ねる。
 そうして、胸元にゆっくりとひきよせた。
 それは、祈りのかたちのようにも、護りのかたちのようにも見えた。
 意識のない、異形の瞳のまま、桂花は微笑んだ。
 幸福な夢にまどろむもののような、笑みだった。

 異形の瞳が眠るように閉じられた時、白銀色の花はその色を変えた。
 白銀色から淡い金色へ、・・・そして、まばゆい黄金色へ。
 ・・・そうして一斉に散った。
 惜しみない潔い散り様だった。そしてそれが合図だったかのように、握りこまれた手を中心に、蔓は急速に枯れていった。
 鮮やかな緑の葉や蔓は白茶けた色に変じ、水分すらも全て失ったかのように枯れ落ちてもろもろと砂のように崩れおちた。
 吊られていた桂花の体は支えを失い、金色の花とともに柢王の腕の中に落ちてきた。
「桂花!」
 ・・・受け止めた体が温かいことに柢王は気づいた。
 呼吸が落ち着いている。
 金色の花がふりそそぐ中、柢王は腕の中でおだやかな表情で眠る桂花を見おろした。
「・・・よかった」
 万感の想いをこめて抱きしめる。
 桂花がかえってきた。
 もう、それだけで充分だった。
 二度と離すまい、と思った。
 何もかも、これからだ。
「なあ、早く目を覚ませよ 桂花」
 額に唇をおとし、柢王は笑った。
 そして桂花を抱いたまま、扉へと歩き出した。

 

【5】

 扉が閉まってしまってから、ずいぶん時間がたったような気がする。
「・・・・・」
 柢王の剣を抱いたまま、小柄な侍女は、柢王を見送ったままの姿で扉の前に立ち尽くしていた。
(・・・どうしょう)
 蔓のさざめくような音が聞こえなくなったような気がする。
 何かあったのかもしれないと、侍女はおろおろと逡巡した。
 ただ『待つ』ということが、こんなにつらいと思わなかった。
 意を決し、扉を開けてみようかと、侍女はおそるおそる一歩踏み出した。
 瞬間、扉が勢いよく開いた。
「?!」
 体の両側をすさまじい突風がすり抜けていく。
「きゃあ!」
 思わず身をすくめた侍女の上に、金色の花びらがはらはらと落ちてきた。
「悪い。待たせた」
 金色の花を頭や肩に積もらせてきょとんと立ち尽くす侍女に向かって、開け放たれた扉の向こうから魔族の男を抱えて出てきた黒髪の王子は、泥だらけ、擦り傷だらけの顔で明るく笑った。
「部屋の片付けを頼む」
 開け放たれた扉の向こうの部屋の惨状を、柢王の肩越しに見て侍女は困ったように笑い、そして襟元の合わせ目から手巾(ハンカチ)を取り出すと、精一杯背伸びをして柢王の顔の泥をを丁寧にぬぐってくれた。
 泥は桂花の頬にも跳ねていた。柢王の顔を拭いて泥だらけになってしまった手巾を困ったように見、それから袖口を端折って汚れをぬぐってくれた。

 柢王は裏庭に出ると桂花を抱いたまま四阿(あずまや)に腰を下ろした。
 ふと目をやると、四阿の片隅に白茶けた色になって枯れ落ちた蔓草が目に入った。
 ・・・あの蔓草だ。
 根こそぎ枯れ落ちてはいるが、泥を引きずった跡が残っている。
(・・・この四阿の柱に絡んでいたのか。)
 泥の跡をたどると、手すりと回廊を隔た離宮の窓からあの小さな侍女がたすきがけで箒片手に奮闘しているのが見えた。しばらくして、彼女を捜しに来たのだろうその様子を見つけたほかの侍女が、部屋の調度を整えるために応援を呼びに行くのが見えた。

 桂花の左手が何かを握りこんでいる事に柢王は気づいた。
 細い指を一本ずつ解いていくと、中から小さな植物の種が出て来た。
 あの花の種だろう。柢王は思った。
 エネルギーのほとんどを桂花に与えながら、己の子孫をも桂花に託した。
 桂花が目覚めたら、この種を見せよう。
 柢王は侍女から貰った手巾でその種を包んだ。
「・・・そういえば、彼女の名前を聞くのを忘れていたな」

 ・・・結局、その侍女の名前を聞いたのは、かなりの月日が経ってからだった。
 彼女は、城を飛び出した柢王と桂花が二人暮しをはじめた家へ、柢王の母親が心配してよこした品物の数々と書状を携えた数人の侍女の一人としてその中にいたのだ。
   母親あての書状を渡すという名目で、彼女だけについてきてもらい、その時にようやく名前を聞き、あの時の礼を言えたのだ。
「・・・咲いたのですね」
 木の幹に絡んで、初夏の日差しに鮮やかな白銀色から金色へ変化する花をつけた蔓草を彼女は見ていた。
 ここで暮らすようになってから桂花が植えたあの種が成長していたのだ。
「・・・わたし、あの花が好きだったんです。だから、あの時も蕾がついていないかどうか毎日こっそり観察に行ってたんです」
 お仕事を抜け出してね、と首をすくめて見せる。
「・・・ようございました」
 並んで立つ柢王と桂花を眩しそうに見て、彼女はやわらかい笑みを見せた。
 
 
 
「・・・今考えるとな、彼女はお前が好きだったんじゃないのかって俺は思うんだ」
「・・・吾を?」
 書状を丁寧にたたみながら、桂花が首をかしげた。
「そうだろ、あの花はどこにでも咲いてる。それこそ城の他の庭園にも。いくらあの花が好きだといっても、わざわざ離宮の庭園まで見に来るか?」
 ・・・あの花の咲く四阿から、桂花が眠る部屋が見えるのだ。
「・・・・・」
 桂花はしばらく気難しげな顔で考え込んでいたが、柢王を覗き込んで生真面目に言った。
「・・・吾は、彼女はあなたを好きだったと思うのですが」
「なんでだ?」
「あの時、彼女はあなたに剣を離すなと言ったのでしょう? ・・・命の心配をするのは好いているからこそじゃないですか?」
 二人は顔を見合わせた。
「・・・・・」
「・・・・・」
 思索を放棄したのは柢王が先だった。考え込む桂花を引き寄せて髪に唇をおとし、やんわりと抱きしめる。
「ま、今更あれこれ詮索するのは無しだな。彼女は幸せになるんだし」
「・・・そうですね。」
 彼女とは、あの初夏の日に、ひとこと、ふたこと言葉を交わした。ただそれだけだ。
 けれどあの花が咲けば、彼女の事を思い出すだろう。
 毎年、毎年、花が咲くたびに、あのやわらかな笑みと共に彼女の事を鮮やかに思い出すだろう・・・

「・・・話をむしかえすようなんだがな。彼女は俺達二人が好きだった・・・こういうのはどうだ?」
 柢王が桂花の瞳を覗き込んで笑いながら言った。
「・・・悪くないですね」
 桂花も微笑んで柢王の首の後ろに腕を回した。

 そうして二人は最愛のものを腕に抱きながら、胸の内で微かに甘い感傷とともに彼女のために祈る。

 ・・・幸せに・・・


終。


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