Funochio's 

2002年10月22日(火)

私たちは、ストーン・マウンテンを観光した後、アボンデール駅からショッピング・モールへ行くためバック・ヘッドへ向かった。バック・ヘッドへは、アボンデール駅からファイブ・ポイント駅に戻り、ノース・ラインに乗換えて北へ向かい、バックヘッド駅で下車した。

バックヘッドにある大型のショッピングモール「レノックス・スエアー(Lenox Square)」は、ファイブ・ポイントにあるアンダーグラウンド・アトランタとは違い、規模もかなり大きく、ブランドショップが軒を並べる。店内にはMacy'sといったデパートも入っている。

アトランタに来て、CD屋を探したが、まずアンダー・グラウンドにはなかった。やっと見つけたのがこのレノックス・スクエア−に入っている2軒で、HMVとRadio Shackである。二つのお店とも規模は小さく、日本にあるCD屋に比べると貧弱であった。アメリカに来て思うのは、アメリカのショッピング・モールで売っているものは、ほとんどが日本で手に入り、価格もむしろ日本のほうが安かったりすることである。

レノックス・スクエア−を一回りし、Corner Bakeryで一休みしてから、MARTAの駅に向かった。帰りはレノックス駅を利用することにした。レノックス・スクエアーは車で来る人が多いらしく、地下鉄駅への案内板がないため、駅への出口を探すのに2度にわたり道を尋ねることになった。

レノックス駅からノース・イーストラインに乗って南に向かい、ミッドタウン駅で降りた。次の駅がFOXのあるノース・アベニュー駅である。地図を片手にピーチツリー・ストリートを南下し、探していた店を見つけた。スキナードがデビュー前に出演していたライブハウス「Funochio's」である。この読み方が本によって違うので正確な読み方がわからない。「フノチオズ」というのもあれば、「フノッキオ」や「フーノチオース」と記載されている資料もある。ここでは、「フノチオズ」で統一させていただく。

正確にはわからないが、たぶん1972年と思われる。スキナードはアトランタでこのフノチオズを根城として活動していた。アル・クーパーは自らのレーベルであるサウンド・オブ・サウスを設立し、新しいバンドを探していた。スキナードは、既にサウンド・オブ・サウスと契約していたモーズ・ジョーンズに推薦され、ここフーノチオースでクーパーとセッションをし、スキナードを気に入ったクーパーは、スキナードとの契約に至った。

現在のフノチオズは、名前をバックストリート・アトランタといい、ゲイバー、ダンス・クラブとして人気があるそうだ。私はそういう趣味がないので、店に入る勇気がなかった(この日、昼間であったことからか店は閉まっていた)。人一倍、興味と勇気がある方は来店して欲しい。この場所は車の通りは多いものの、人通りはそれほど多くなく、店もあまりない。フーノチオースの建物は30年以上、ここにあるのだろうが、いつ取り壊されてもおかしくないという感じだった。

元フノチオズの建物の外観を眺めた後、私は荷物を置きに一度、ホテルに戻ることにした。そこからホテルまで、あまり距離がなかったので、ここからタクシーに乗ることにした。アメリカは流しのタクシーが少ない。10分ほど待ってようやくタクシーをつかまえた。One More From The RoadのDELUX EDITIONの解説に、ロッシントンが「俺たちはピーチツリー・ストリートの先にあるフノチオズでプレイしてたんだ。同じ通り沿いだったし、3、4ブロックしか離れていない。だから毎晩フォックス・シアターを見ていたんだ。」と語っている通り、タクシーに乗ると、すぐにフォックス・シアターの前を通過した。

ホテルに戻り荷物を置き、再度ホテルを出て、ブラブラとアンダー・グラウンドまで歩いた。再度、アンダー・グラウンドをぶらついていたところ、ブルースの演奏が聞こえてきた。この中には「Blues In The Alley」というバーがあり、そこで生演奏をやっていた。私たちは夕食を済ませていなかった。アメリカで最後の夜ということもあり、生演奏は後で聞きに来ることにして、アンダー・グラウンド内にある南部料理のレストランへ行った。

ここまで、いろいろなところで食事をしたが、全体の印象として脂っこく、味が濃い。美味しいくてビールを飲むには最高なのだが、さすがに何日も続くと飽きる。また、アメリカというとステーキという印象があったが、ここ南部ではチキン料理が主流で、特にフライド・チキンが多い。味はまあまあの夕食を済ませ、先ほどのバーへ行ったが、残念なことに演奏は終了していた。21:00だったが、このバーの演奏はアンダー・グラウンド内の店舗と同じ時間に終了するらしい。そこのバーでバーボンを一杯飲んで帰ることにした。

余談だが、ジャクソンビルとアトランタで「Burbon & Soda」と注文して、バーボンのソーダ割りが出てきた店はハード・ロック・カフェだけだった。他の店は全て「Burbon & Coke」がでてきたのである。皆さんは私の英語が通じなかったからと笑うかもしれないが、私もそう思い、紙に書いて渡したにもかかわらず、でてきたのは「Burbon & Coke」だった。今後の勉強のため、「Burbon & Soda」の注文方法をお分かりの方は、教えて欲しい。

明日の朝が早いため、このバーを最後にしてホテルに戻り、テレビを見てからベッドに入った。この頃、テレビのニュースは、常に連続殺人を取り上げていた。確か、この日に犯人が逮捕されたはずである。

10月23日

5:30起床。天気は曇り。いよいよ帰国の日である。飛行機の時間が早いため、6:30にはホテルをチェックアウトした。ホテルの朝食が食べられず残念だった。ピーチツリー・センター駅からMARTAに乗り、ジャクソンビル空港へ向かう。早朝ににもかかわらず、乗客は意外と多い。空港駅を降りデルタ航空のカウンターでチェックインし、スーツケースを預けた。日本のようにスーツケースの中身はチャックされなかった。

身体チェックを受けたあと、無人モノレールに乗ってコンコースDに向かった。コンコースDに到着し、やっと朝食にありつけた。朝食後、免税店や土産物屋を見て回るかと思っていたが、免税店も土産物屋も一軒ずつしかなく、品数も非常に少ない。私は、空港で土産をいくつか購入する予定でいたが、あてがはずれてしまった。皆さんもアトランタで土産を買うときは、空港に入る前に買うことをお勧めする。

仕方なく一軒しかない免税店と土産物屋で、いくつかの土産を買い、ぶらぶらして時間を過ごした。そして9:30に搭乗開始。アトランタともお別れである。出発予定時間の10:10を少し遅れて飛行機は動き出した。また、長旅の始まりである。帰りは逆風のため13時間30分かかる。機内は行きより空いており、窓際ではない真ん中の席では、何人かが寝そべって寝ていた。帰りの飛行機での映画は、About A Boy。途中、窓から外を除くと、雪をかぶったロッキー山脈が眼下に広がっており、すばらしい眺めだった。食事、睡眠、読書などを繰り返し、13時間30分を耐え抜いた。

日本時間13:30に成田到着。出国のときとは比べ物にならず、入国手続きはあっさり終わった。天気は曇り。ジャクソンビル、アトランタと暖かい所から帰ってきたこともあり、少し寒い。私は、預けていた車の駐車場まで業者のバスに乗り、車に乗換えて無事に帰宅した。

中身の濃い今回の「スキナード・ツアー」が終わった。思い返すと、行けなかった場所や、買い損ねた物など、悔いも残るが、スキナード・ファンの私としては、概ね満足できる旅行だった。特にスキナードのライブ、ジュディ・ヴァン・ザントさんとの遭遇、ロニーらが育った街、ギミー・スリーステップで歌われた酒場など、印象に残るシーンが多くあった。

皆さんも、一度、ジャクソンビルを訪れることをお勧めする。ただし、あなたがスキナード・ファンであればだが。