「〜〜〜ったく、なんで今日はこんなに風が強いんだ?」 吹き付ける風にばさばさと前髪を乱され、エドワードは顔を顰めた。 HONEY DROP EYES 三週間ぶりにイーストシティに戻ってきたエルリック兄弟を迎えたのは、季節外れの強風だった。 春一番というには遅すぎ、めったに来ない台風にしてもまだやって来るには早すぎる時季だというのに。 何故か台風もかくやの強風が街中を吹き荒れている。 ここ東方司令部でも、うっかり書類や帽子を飛ばされて右往左往する人の姿がそこかしこに見られる。 しかも、イーストシティではここ十日ほどずっと晴れの日が続いていたため、地面はからからに乾燥していた。 おかげで、ちょっとした風でも砂埃が舞い上がるほどだったのだが。 よりにもよって、そんな時にやって来たこの強風は、洗濯物や人々の目や口に甚大な被害を与えていたのである。 そして、エドワードたちもその例に漏れず。 「大佐いる…か…っぅげっ!! 砂が口に入った〜……うえっ、ぺっぺっ!!」 「に、兄さん、大丈夫〜?」 喋りかけた瞬間、風が巻き上げた砂塵が口の中にもろに入り、エドワードは慌ててぺっと砂を吐き出した。 「ああ、何とかな…。 アル、お前こそ気をつけろよ。 関節部分なんかに砂が入ったらマズイだろ」 「うん……早く用事を済ませて、宿舎に行った方がいいみたいだね」 頷きながらも、兄思いの弟は少しでも風除けの盾になろうと、風上に立つ。 「さ、これ以上被害を蒙らないうちに早く司令部へ行っちまおう」 弟の気遣いに小さく笑みを漏らしつつ、エドワードはぽんと鎧の腕を叩いて促した。 「やあ、鋼の。 今着いたのかね」 せーので走り出そうとした二人の背中から、聞き慣れた声がかかる。 振り向けば、ロイとその副官のホークアイ中尉がこちらへ歩いてくるのが見えた。 「あ、大佐、こんにちは」 「なんだ、あんたこそ今戻ってきたのかよ」 礼儀正しく頭を下げる弟と、やたらぞんざいな口調の兄と。 見事に対照的な挨拶も、ロイやホークアイ中尉たち東方司令部の面々には既にお馴染みのものだった。 「ホークアイ中尉、こんにちは」 「こんにちは、アルフォンス君」 律儀なアルフォンスと中尉がにこやかに挨拶を交わすその横で。 ロイはエドワードの側に歩み寄る。 「昼から視察に出ていてね……ちょうど今帰って来た所だよ。 行き違いにならなくてよかった」 「別に…あんたがいなくても、報告書はちゃんと置いてくし」 三週間ぶりに会えた愛しい恋人に、ロイは柔らかな笑顔を見せる。 しかし、意地っ張りなエドワードの口からは相変わらず素直な言葉は出てこないようだった。 勿論、彼の性格を熟知しているロイは、そんなつれない態度にも全くめげる事はなく。 「私が、早く君に会いたかったんだよ」 ストレートに己の心情を伝える。 作った笑顔ではなく、自然に零れてしまうエドワード専用の笑みを向けて。 その方が下手な駆け引きや手管よりも、この真っ直ぐな少年には有効だと知っているからでもある。 案の定、エドワードはばっと赤くなった。 「………ま、まあ、オレも無駄足になるのもイヤだしな」 などと言いつつそっぽを向いたのは、照れ隠しだとわかるから。 ロイの笑みはますます深くなる。 「で、今回はこっちには何日くらいいられるんだい?」 「んー…ここの図書館で調べたい資料があるから、三・四日くらい………っ…うわ…っ!」 不意に、今までにない強風が吹きつけてきて、エドワードの言葉は途切れてしまう。 思わずロイも片腕で顔を覆い、叩きつけるようなその強風をやり過ごす。 「………ったー…!」 「どうした、鋼の?」 ようやく風が収まったと思うと、小さな呻き声が耳に入って。 ロイは慌てて目を開ける。 「〜〜〜っ目に砂が……痛っ…」 片手で顔を押さえたエドワードが、痛そうに顔を歪めていた。 そして、事もあろうにそのまま目を擦ろうとするので。 「こら、擦るんじゃない! 眼球に傷がついてしまうぞ」 寸での所で、ロイはその手を掴んで止めた。 「だって、痛いんだよ〜〜っっ!」 左目を不規則に瞬かせながら、エドワードは喚く。 かなり大きな塵が入ったらしく、ひどい異物感と痛みで涙がぼろぼろと零れた。 「擦ったりしたら、余計に痛いだろうが。 ほら、見せてみなさい」 覗き込んだ黄金の瞳は、涙の中でゆらゆら揺れている。 どこか情事の時のそれと似ていて、ロイを一瞬どきりとさせた。 が、そのゆらめく瞳はすぐに苦しそうに瞼を閉ざしてしまう。 「っ……痛くて……目ぇ開けてらんないよっ」 その気になれば、どんな苦痛も耐えて平静を装う事のできるエドワードが、子供のようにこうして痛みを訴えるのは 相手がロイだからである。 心を鎧い隠す必要のない相手だと知っているからこそ、無意識に出る反応だった。 「少し我慢しなさい、鋼の。 取ってあげるから」 どうやって、などと考える間もなく。 宥めるような声とともに、頬に指を添えられ、そっと目を開けさせられる。 涙でぼやけた視界にロイの顔が近づいてくるのが映った。 そして、痛みを堪え無理やり上げた睫毛にふと何かが触れて。 次の瞬間――――ぬるり、と滑った感触がエドワードの眼球をなぞる。 「……ひぁ……っ」 暖かく柔らかな、濡れたものが目に直に触れていく未知の感覚。 ぞくりと肌が震え、思わず声が洩れた。 微かな吐息が目元に触れ、零れた雫をそろりと舐め取られて。 ようやくそれがロイの舌だと気づいたのは、その感触が離れていってからだった。 「……どうだい? まだ痛いか?」 「え……っあ、ああ………」 言われて初めて、エドワードは我に返る。 ぱしぱしと派手に瞬きをしてみたが、もう何の異物感もない。 痛みも消えていた。 「取れてる……」 「よかったな」 呆然と呟いた声に、ロイがにこりと笑う。 「ああ、ありがと………って、ちょっと待て! てめぇ今、一体何しやがった!」 礼を言いかけた所で、さっきされた事を思い出したエドワードは途端に真っ赤になって。 猛然とロイに食って掛かった。 「何って……目の中の塵を取ってやったんじゃないか」 「だからって、他に方法があるだろうが!! 何でわざわざ……目をな…め…っ」 しれっとぬかす恋人の胸倉を掴み、怒鳴りつけるが。 流石にその行為を言葉にするのは恥ずかしく、最後の方は歯切れ悪く口の中に消えた。 「そう言われても、ねえ……ここは外だし、洗い流そうにもすぐ近くに水はないし、こうするのが一番手っ取り早いと 思ったんだが」 君の苦しみを長引かせたくなかったからね、と真面目な顔で言われてしまえば。 確かに、方法の恥ずかしさという点を除けば、あれが最も早くかつ安全に塵を取る方法だった事は認めざるを得ない。 しかし、しかし。 エドワードとしては、まだ納得できかねる部分もあるのだ。 「じゃあ、てめぇは目に塵が入った人間に、いつもいちいちんな事して取ってやるのかよ!?」 「まさか。 君だけだよ。 ………ひょっとして、妬いてくれてるのかな?」 即座に否定を返されて、ほっとしたのもつかの間。 にやにやと笑いながら言われた後半の台詞に、エドワードはまたしても盛大に赤面させられる羽目になる。 「だっ誰が…!! バカも休み休みいえっ!」 「バカは君だろう。 そもそも、私が他の人間にそんな事をしてやる理由がどこにある? せいぜいが早く泣いて涙で流せ とか洗面所へ行けと勧めてやるくらいのものだ」 そんな二人のやり取りを、アルフォンスとホークアイ中尉が横で呆れて見ているのにも気がつかず。 ロイとエドワードは延々と巷で言うところの痴話喧嘩を繰り広げていた。 「………相手が美女だったら、あんた喜んでやりそーじゃん」 「ご期待に添えなくて悪いが、今まで付き合ってきた女性たちにもした事ないぞ。 確かに、青や緑や茶色などそれぞれ 美しい瞳の女性はいたが…君ほどおいしそうじゃなかったからね」 「………はあ?」 オイシソウって何それ? 訳がわからず、エドワードは首を傾げる。 すると、ロイはふっと笑って。 「ほら、君の目は蜂蜜みたいに綺麗で、甘くておいしそうだから」 「………な……っっ!!」 恋人のとんでもない台詞に、エドワードは絶句する。 固まってしまった少年を見てくすくすと笑いながら、ロイは更に止めを刺した。 「ああ、勿論……目だけではなく、君はどこもかしこも甘くておいしいけどね?」 こっそり耳元で囁いた声は、腰まで響きそうな低くて甘いバリトンで。 途端に、共に過ごした熱い夜の記憶がエドワードの脳裏に蘇る。 かーっと頭に血が昇った。 昼日中にはあまりに恥ずかしすぎるものを思い出させてくれた厚顔無恥な恋人に。 怒りにわなわなと震えつつ、エドワードは。 「こっ……この変態セクハラエロ大佐〜〜っっ!!」 叫んで、容赦ない右ストレートを勢いよく繰り出した。 が、しかし。 渾身の一撃ははあっさり避けられた上、そのままロイの手に捕らえられた。 それどころか、伊達に大佐まで昇りつめた訳ではないと納得させるような強い力で引き寄せられて。 「君が、あんなかわいい声を出すから悪いんだよ?」 「っな……オレがいつ…!」 聞き捨てならない台詞に、エドワードはぎっと目の前の恋人を睨みつけた。 しかし、ロイは涼しい顔であっさりと答える。 「目に入った塵を取る時」 「〜〜〜〜っ!!」 せっかく夜まで我慢しようと思ったのに、と喉の奥で低く笑う恋人を見て。 このままではヤバイ!とエドワードは逃げの体勢に入るが、時既に遅し。 がっしりと腕を掴む手は万力のように彼を戒めて離してくれない。 「という訳だから、私の部屋でゆっくり報告を聞こうじゃないか」 「うわ、放せよっ! ちょっ…こらっ、待てったら! 人の話を聞け〜〜っっ!!」 「だから、部屋で聞いてやると言っているだろう」 有無を言わせぬ力で、ロイはもがくエドワードをずるずると引き摺っていく。 「おいっ、ちょっとアル、見てないで助けろよ〜!!」 最後の頼みの綱とばかりに、弟に助けを求めるが。 アルフォンスは困ったように首を傾げるばかり。 「ごめんね、兄さん……ボクはまだ馬に蹴られて死にたくないし」 「アルっ、てめぇ〜〜覚えてろよ!! 中尉ーっっ!!」 薄情な弟に恨みの視線を投げかけると。 いつも大佐のストッパー役となってくれる美人副官を呼ぶが、何故か今日に限っては。 「ああなった大佐はちょっと止められないわ。 ごめんなさいね、エドワード君」 これまた、さらりと救援要請は却下されてしまった。 しかも、事態は更にのっぴきならない方へと転がっていく。 「ああ、中尉。 今日は私はこれで上がらせてもらっても構わないだろうな」 「……はい、とりあえず明日の分の書類までは全て片付けていただきましたので」 確認を取る上司に、ホークアイ中尉はいつもの冷静な表情で頷いた。 「けれど、明日は会議がありますから、遅刻はなさらないで下さいね」 「わかっている」 「大佐っ! てめぇ、いい加減に放せよっ!!」 なおも往生際悪く暴れるエドワードに。 「エディ、このまま素直に私の邸までついて来るのと、お姫様抱っこで運ばれるのとどちらがいい?」 「うぐ……っ…」 確信犯の笑みと共に、突きつけられたのは全くありがたくない二者択一の選択肢。 というより、殆ど脅しである。 「………頼むから、お姫様抱っこだけは勘弁してくれ…」 ついに観念したエドワードは疲れたようにため息をついて。 がっくりと肩を落としたのだった。 そんな傍迷惑なバカップルを見送った後。 アルフォンスとホークアイ中尉が揃って大きなため息をついた事は言うまでもない。
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