裁判の日程
意見陳情書
 私は160人の原告団の団長をしております。
この160人は志免五町内会に居住する、約316世帯の内の160世帯で、1世帯に1人原告になったものです。この裁判には原告以外にも、多くの人の訴えが込められている事を知って頂きたいのです。
 今まで、裁判とは縁の無かった人達が、しかも自分達の町の行政を相手に、裁判を起こしたのはなぜなのかと言う事を判って頂きたいという思いで今から意見を述べさせて頂きます。

 私達の町内会には、「焼却場」と「し尿中継槽」が在り、つい最近まで30年以上も稼動していました。

 まず、最初に私事ですが、私達一家は、昭和57年に志免五町内会に家を建てました。小高い丘の上で見晴らしもよく、とてもよい環境だと喜んでいました。ところが、住んで2〜3年過ぎた頃より、妻が「車の上は白くなり、物干し竿はタールのような物がついている。又白いレースノカーテンが黒ずみべとべとする」と訴える事がありました。しかし、私達家族は移転してまもない為、以前から焼却場やし尿処理場をめぐる、住民の運動の経過を知らない上に、私自身が勤務で昼間は、外に出ている事もあって、こういう被害が、その当時この焼却場から出ているとは思いませんでした。ここにある焼却場は、行政である、町が管理・運営しているので法律は遵守され、環境の整備保全も当然守られていると信じていた事もありました。

 平成5年に、妻が地域の婦人部で、志免町の焼却場と福岡市西区の焼却場を見学に行きました。
妻は、志免町の焼却場は信じられないほどお粗末で、ゴミをを入れるピットは屋根だけで、周りに囲いがない為、生ゴミのクサイ臭いが一面に漂い、炉の手前には人が座り込み、ゴミを燃やす為の蒔きを投げ入れておられ、煙は煙突だけでなく建物の横からも出ている事を知りました。
その時、環境課長は、この黒い煙を水蒸気と説明されたという事を鮮明に記憶しております。しかし、この説明は後で全くウソだったことを知りました。私も妻も、この黒い煙に有害物が含まれているとは思ってもいませんでした。

 しかし、平成7年新聞等で、志免町の焼却場で夜間集塵装置を止め、17年間ゴミを焼却していた事や、不法な野焼きが行われて来た事が報道され、又町からの資料より、昭和57年頃より排ガスが国の排出基準をオーバーしていた事や、夜間焼却時にはダイオキシン類が230ngと言う膨大な量を放出し続けていた事等が判明し、今までの謎が少しずつ解るにつれ、今まで受けた煤塵による公害やダイオキイン類による被害の恐怖が募りはじめました。

この事がきっかけで、私は運動に参加する様になりました。

 平成3年に同居してきた義父がガンで亡くなり、平成8年には私が喘息と診断され、又平成9年には妻が肺ガンと診断され入院した時には、この焼却場によって一家が崩壊させられるのかと言う思いがしました。
妻は「どうせ死ぬなら、この焼却炉に飛び込んで死にたい。」と言っていました。私も、同じような気持ちを持つほど、この焼却場を恨めしく思いました。妻は幸いガンは免れたものの、2〜3年経って、これから先の不安から生命保険の加入を申し入れましたが拒否されました。その後多くの住民の人と話す中で長い間、私達家族以上に苦しまれていた家族が多い事を知りました。

 平成9年に、町内会で、住民の健康や環境に関する聞き取り調査を行いました。「雪が降っている如き焼却灰が降り、幼稚園のバスを待っている間、子供の紺色の帽子が白くなっていたのですよ」「燃えカスまで落ちてきて洗濯物や布団が干せませんでした。」「戸を開けると悪臭や焼却場の煙で涙が出るほどだったのです。」「孫がアトピーと喘息です。ダイオキシン類は私達だけでなく子孫まで影響すると言われるので怖いです。」等多くの訴えが語られました。

 調査の結果、1975年以降、ガンで亡くなった人が、54,9%と全国平均の 30%を大きく上回っていました。又呼吸器の疾患や喉の痛みを訴えた人が沢山おられました。周辺住民と他町内会の住民に対する健康診断の比較表によれば、平成8年以降要診断と判定した人の平均比率7.4%も多いのです。

 次にし尿中継槽についてですが、志免町の「し尿中継槽」は、囲いも無い昔の「肥溜め」の様なものです。
全町内の「し尿」が、毎日何十台も運ばれ、汲み出されて海洋投棄に運ばれていました。又周辺団地の浄化槽より出る汚泥も、2トンダンプで運び込まれ、「し尿中継槽」の蓋を全開にして直接投入していたのです。その時の臭いにつき周辺の住民は、「家の汲み取りという様なそんな生易しい臭いではありません。気分が悪くなるほどです。そんな臭いが朝から晩まで続くのですよ。」
「毎日佃煮に出来るほどハエの大群が飛んできて、食事も喉を通りません。」
個人で町に電話しているが聞いてくれない、と言われていました。
 
 後日、上記の件で、町に「この施設は廃掃法に違反していませんか」と質問した事がありましたが「つい最近まで法律違反の事実が判明できていなかった」と回答される惨めさです。
今思えば、、焼却場とし尿処理場から沸くハエの為か殺虫剤が毎年1本配られて来ました。なんとお粗末な環境行政でしょうか。
 町は長い間、法の規制や取るべき処置がどの様なものかも、関心を払う事無く、きわめてズサンに「し尿処理場」を運営してきた事を物語っています。

 平成10年10月4日の住民との話し合いの場で、当時の町長は、長年、私達が受けて来た健康被害や生活妨害等の訴えに対し、「よくわかっております。そういった条件面の話し合いを行いましょう」と言う提案をされました。しかし、今の町長に変わってから十何回も話し合いを行って来ましたが、何一つ進展しません。この協議は行政から提案されたのに、「内部で検討しないままこの会合に出てきた。」とか「その時自分は出席していなかった。」それどころか「自分はここに住んでいないから解らない。」とか信じられない答えが返ってきました。
 都合が悪くなれば黙りこみ、ただひたすら時間が過ぎていくのを待つばかりでした。挙句の果ては「事後の補償は出来ない」とか「協定書はチャンと守っている」と言って住民を欺き、その上、「一部の過激な2〜3人が騒いでいるだけ」と言った対応を取ってきました。町長は、町議会で「事故により被害が出たと言う事であればそれは法的に司直の結論によって、それはそれなりの対応をしていかなきゃならないと言うように思います。」と発言されました。「文句があったら提訴をし、司法の結論を得よ」と思われているようです。

 平成13年以降、特に協定書を無視し補修工事を行ったり、平成14年7月には、広報志免に、志免町では燃やせないと決めている、プラスチック類を10月からこの焼却場で燃やすと公表したり、焼却場の点検はしないといってくる等、周辺住民の気持ちを逆なでする事が多くなりました。

 私達は、行政が強引に持って来た、「焼却場」と「し尿処分場」により長い間苦しめられました。その上、快適な生活や健康を守る為の運動に、貴重な時間や費用を費やして来ました。そのストレスは言葉には言い尽くせません。

 すべての住民は公平に扱われる権利があるはずなのに、私達は行政から特別の犠牲を強いられてきました。もし行政が、法律・条令・協定書を守っていたら、私達は公害等による被害や精神的苦痛、将来への不安等の被害は受けずに済んだと思うと残念でなりません。

 行政を提訴する事は非常に辛く・悲しく・大変な事です。悩みもしました。しかしここで私達が訴えを断念したらならば、誤った行政は見直されずますます被害は拡大し、私達の様な犠牲者が出ると思います。
 
 又、2つの施設を受け持ち、長い間その被害に苦しみ、今なお、その被害や影響の不安と戦っている私達住民は、行政に虐げられたままでは、将来に立ち向かっていく事が出来ないのです。こうした事から今回の提訴に至りました。

 平成14年11月末で焼却が廃止になりましたが、私達にはダイオキシンの影響等、まだ沢山の問題が残っています。。ダイオキシンは簡単に消滅しません。焼却場解体時には周辺住民をどの様に守ってくれるのか、不安は尽きません。

 提訴をした事は今後の適正な環境行政にとって、きっと役に立つと信じています。人に被害を与えてはならない、与えたならば責任を取るという、ごく当たり前の事を今の行政は忘れているのです。
 どうか私達の訴えを聞いて頂き、公平な裁判を進めて頂く事を、最後に訴えて私の意見陳述と致します。

平成14年 7月28日            原告団結成集会を行う
平成14年11月 6日 訴状提出 福岡地裁に志免町を提訴する
平成15年 1月21日 第 1回公判 意見陳述を行う。(意見陳述書を提出)
平成15年 3月19日 第 2回公判 準備書面(1)と証拠説明書を提出
平成15年 5月12日 第 3回公判 衛生センターのビデオと写真を提出
平成15年 6月11日 第 4回公判 再度衛生センターのビデオを提出
平成15年 7月18日            証拠説明書を提出
平成15年 7月23日 第 5回公判 今後の予定の打ち合わせ
平成15年 9月 3日 第 6回公判 現地調査打ち合わせ
平成15年10月 6日 現地調査 裁判所の現地調査が行われる
平成15年12月24日 第 7回公判 今後の予定の打ち合わせ
平成16年 2月23日 第 8回公判 準備書面(2)を提出
平成16年 4月 6日 第 9回公判 立証への打ち合わせ
平成16年 5月18日 第10回公判 立証への打ち合わせ
平成16年 6月28日 第11回公判 陳述書作成準備打ち合わせ
平成16年 8月18日 第12回公判 同上
平成16年 9月29日 第13回公判 同上
平成16年11月 9日 第14回公判 同上
平成17年 1月25日 第15回公判 陳述を行う(陳述書を提出)
平成17年 3月15日 第16回公判 陳述を行う(反対尋問)
平成17年 4月26日 第17回公判 陳述を行う(陳述書を提出)
平成17年 6月14日 第18回公判 陳述を行う(反対尋問)
平成17年 7月26日 第19回公判 裁判所より進行協議の提案あり
平成17年10月 3日 第20回公判 進行協議を行う
平成17年11月28日 第21回公判 進行協議を行う
平成18年 2月 6日 第22回公判 進行協議を行う
平成18年 3月27日 第23回公判 進行協議を行う
平成18年 5月16日 第24回公判 進行協議を行う
平成18年 6月19日 第25回公判 進行協議を行う
平成18年 8月28日 第26回公判 進行協議を行う
平成18年10月24日 第27回公判 進行協議を行う
平成18年11月28日 第28回公判 進行協議を行う
平成19年 1月30日 第29回公判 進行協議を行う
平成19年 5月22日 第30回公判 進行協議を行う
平成19年 7月31日 第31回公判 進行協議を行う
平成19年 9月 4日 第32回公判 進行協議を行う
平成19年11月 6日 第33回公判 進行協議を行う
平成19年12月25日 第34回公判 和解成立
提訴に関する経過