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庚申の夜は一番鶏の鳴くまで寝てはならない


南房総市千倉町瀬戸には今でもお庚申様という行事が続けられています。

60日に一度巡る庚申(かのえさる)の夜、当番となった家に講メンバーの男達が集まり、翌朝一番鶏がなくまで、語り合い、ご馳走を食べ、お酒を飲み明かすという行事です。

昔は日本のあちこちで行われていたようです。最近は、メンバーも次第に高齢化し、講そのものが廃止されたり離脱者も多くなってきました。我が家の帰属する講でも4軒になってしまいました。
サラリーマン家庭の増加などにより、開催も必ずしも、庚申の日ではなく、庚申に近い休日に行われるようになり、時には昼間に行われるなど、随分と様変わりもしてきました。旦那の都合がつかないと奥さんやお婆さんが出席することもあります。
農村の過疎、高齢、近代化などを象徴する変化だと思います。

お庚申様は、庚申講と呼ばれる行事です。
仏教では「青面金剛(しょうめんこんごう)」か「帝釈天」、神道では「猿田彦大神」を祀ります。
私たちの地域では、青面金剛を描いた掛軸を本尊として床の間に祀ります。

私たちの地域の場合、庚申の日に、セックスをすると、できた子供は不具になるので、それを避けるため、男達を家に帰さないようにしている、と言われています。だから一番鶏の鳴くまで夜通し起きて酒を飲むのです。
実のところ庚申講の夜は、いくつか禁忌があります。
講員は、入浴して身を浄めたあと祭神を拝し、夜を徹する。
先ほども触れた、同衾を忌むこと(子供作らない)、もしこの夜に子供ができると盗人や不具になるといわれます。
夜業や結髪なども禁忌とされ、食べ物も肉類やニラ、ネギ等は避けねばならない地域もあります。
金属を身につけることも禁止されます。

庚申講は、平安時代に中国から伝わり、江戸時代に隆盛を極めました。
なぜ、泥棒話や金属禁忌があるかといいますと、十干と十二支は木火土金水の五行にも対応しており、庚申の日というのは、十干の「庚」も十二支の「申」も金行に属するため、その作用で刀傷沙汰が起きやすいとされました。また、この日に子供を作ると泥棒になるという説もあります。
このため、元々庚申の日は、庚申待ちと称し、男も女もみんなで集まって徹夜で飲み明かしたのですが、のちに冷泉天皇の女御・藤原超子が庚申待ちで急死したことから、女性は免除になって男ばかり集まって飲むようになりました。
これが「さる」の日であることから、猿田彦神を祭神とすることになります。

ところで、道教の教えに、人間の体には、三尸(さんし)の虫が棲んでいる、という考えがあります。
上尸は頭に、中尸は腹に、下尸は足にそれぞれ棲み、人に害を与えます。
この虫が庚申の夜、人の寝ている間に抜け出し、玉皇天帝に、その人の悪事罪科を報告します。
その悪事を天帝は鬼籍という台帳に書き込み、罪が五〇〇条に達するとその人の死を決めます。

青面金剛の掛け軸

青面金剛は、腕が4本または6本、それぞれの手には、三叉戟(さんさげき)・法輪・剣・弓矢などを持ち、脇に童子を従え、邪鬼を踏みつけ、足元には三猿と二鶏が刻まれます。わが掛け軸には、猿や鶏は見当たりません。
陀羅尼集経という経典に「青面金剛咒法」というものが書かれており、これが「伝尸(でんし=結核)病」を取り除く秘法とされています。
この伝尸が三尸に似ていることから、庚申待ちをするところに、青面金剛が祭られるようになりました。
つまり庚申の日の夜は、青面金剛を祭り、一晩中起きていて、三尸が身体から出て行かないよう見張っているのです。

講に参加してみて、近所とはいえ、普段あまり接する機会のない人たちから色々な話をきいたり、特ににわか農業者にとって、農事について教えてもらえるよい機会だと感じました。
多分、これが講の隠された目的かも知れません。