さとう動物病院
 長野県 千曲市
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ブラジル紀行(1994年)
パンタナールでワニを釣る

旅の始まり
 妻の家族はブラジルのサンパウロ州に住んでいる。したがって妻の里帰りは、片道だけでも地球半周の大旅行になってしまう。今回は三度目の里帰りだが、三人の子供を連れて帰るのは初めてなので、なにかと大騒ぎである。
 私達は結婚した翌年から二年間、アフリカのザンビアという国で生活していたので、これまでの里帰りは、すべてそこを起点としていた。ザンビアはブラジルと同様、南半球に位置し、日本から行くのと比べるとそれほど遠くはない。最初の里帰りは、長男を出産するために帰ったのでほぼ五年前、次は長女出産の時だったので三年前である。出産後、妻が生後二カ月の子供と一緒にアフリカに戻ってくるときは、私も二週間ほど休暇を取り、ブラジルまで迎えに行った。迎えに行くとは聞こえはいいが、根っからの旅行好きな私は「妻子を迎えに行くため」という大儀名文を掲げつつ、しっかりとブラジル旅行を堪能してきた。
 今回も事情はこれまでと同じである。せっかくの里帰りなので、妻は実家に二カ月半ほど滞在することにしたが、私は「妻子を迎えに行く」という理由で、彼女の帰国に合わせ三週間の休暇を取った。有給休暇は労働者に与えられた当然の権利ではあるが、世界で最も「豊かな国」の一つであるはずの日本では、三週間の連続休暇を、だれもがごく普通に取れるような労働環境には残念ながらまだ至っていない。だから大義名分が必要なのかもしれない。「妻の里帰りに随伴すること」が果たして大義名分になるのかどうか、本当の所、私にもわからないのだが・・・・・・。
 旅行は「行く」と決めたときから、もう始まったようなものである。たとえ準備が大変であっても、そのときは既に広い意味で旅行を楽しんでいることになり、決して悪いことではない。今回の里帰りは、義父宛の年賀状に「今年は、何とか時間をつくり、そちらの方へおじゃましたいと考えています」と書いたのが、そもそもの始まりであり、したがって半年間ほど、準備を楽しんだことになる。
 年賀状を書いた時点では、まだ漠然としていた里帰りであったが、早々届いた義父からの返事には、私たちが必ず行くことになってしまっていた。義父の早合点があったとはいえ、年賀状の文末には「アマゾンかパンタナールで釣りをしたいものです」の一文も入れてあったので、私は妻の里帰りを決めるのに、なんの躊躇も必要としなかった。
 七月一六日、いよいよ大旅行の始まりである。手荷物は数日前に慌ただしく梱包を済ませ、成田空港のABCカウンター宛に発送した。当日は私も空港まで見送りに行ったが、電車の中でさえもはしゃぎまわっている子供達をみて、飛行機の中ではいったいどうなることかと、いささか不安になる。妻の話では、飛行機は搭乗さえしてしまえば動ける範囲が限られており、何とかなるという。そして、どちらかといえば日頃はフニャフニャしている五歳の長男は、父親がいなければそれなりに長男であることを自覚し、不思議なほどしゃきっとするらしい。
 出発の時間が迫ってきた。出発ロビーで妻と熱い抱擁を交わし、しばしの別れを告げた。妻子の乗ったバリグ・ブラジル航空835便は定刻より二時間ほど遅れて夜の九時頃、サンパウロに向けて飛び立った。その瞬間、騒々しいほどの五人家族の生活から、いきなり単身の生活に戻った寂しさは、何ともいいがたいものであった。
 家族が飛び立ってからの日本は記録的な猛暑となり、「妻は暑さに弱いから、里帰りしてちょうど良かった」などと、弁解じみたことを考えながら寂しさを紛らわしていた。確かに閉め切った家に職場から戻ってきたときの、あのムッとする暑さには、ほとほと辟易させられた。幸い、「妻子を迎えに行くため」の長期休暇を控えていただけに、しなければならないことが山ほどあり、時間は速やかに流れていった。 
 九月三日の夜、私も同じ便でブラジルへ飛び立った。巨大なジャンボ機はほぼ満席で、通常はロサンゼルスでの給油後、サンパウロまでノンストップなのだが、どういう訳かその日はブラジルの首都、ブラジリアに着陸した。機内アナウンスでは、「乗客が多すぎて燃料が足りなくなった」とのことだが、本当は乗客が持ち込んだ手荷物が重過ぎたのであろう。バリグ・ブラジル航空の場合、乗客一人あたり一個口三二キロまでのものを二個口まで許可されている。しかし私自身は、個数、重量とも制限をオーバーしていたが、チェックインの時見かけた他の乗客も大同小異で、手荷物の超過が燃料不足の原因であったことは間違いないであろう。理由はともかくとして、ブラジリア経由となったため、サンパウロへの到着は二時間ほど遅れてしまった。
 妻の故郷はサンパウロから真東へ五〇キロほどのところに位置する、モジ・ダス・クルーゼスという町である。日系人が比較的多い、こじんまりとした町で、人口は約三五万人、サンパウロからは電車も通っており、非常に便利なところである。実家は市街地から九キロほど離れた郊外にあり、かつては日系人の作物畑や養鶏場が広がっていたらしいが、今は宅地化がかなり進んでいる。実家の建物はお世辞にも大きいとはいえないが、五千坪ほどもある広大な敷地の中に、菜園や果樹園、鶏小屋、養殖池、竹林などが雑然と広がっており、その広さには圧倒される。
 義父は動物が好きで、五匹の犬を筆頭に、数匹のヌートリア(ビーバーのような水生の齧歯類)、軍鶏(シャモ)、テンジクネズミ(南米原産のモルモット)、ガチョウ、亀、コイなどたくさん飼っている。かつては牛や豚も飼っていたことがあったというが、義父は日系企業に勤めるサラリーマンであり、動物はあくまでも趣味で飼っているのである。日本でもこれだけの動物を自宅で飼えるほど贅沢のできるサラリーマンは少ない。
 わずか一カ月半とはいえ、このような環境で生活していた子供達は、見違えるほど成長していた。長男は池での魚釣りに挑戦し、生まれて初めて大きなコイやティラピア(カワスズメ科)などをたくさん釣り上げ得意である。日本では近所の犬すらも怖がっていた三歳の長女は、五匹の犬とすっかり仲良くなっていた。ヨチヨチ歩きの次男は、広い敷地の中を伸び伸びと飛び回っていた。子供達の成長を考えれば、これだけでもブラジルへやってきた価値は充分あったであろう。とはいえ、私にとって今回の旅行の最大の目的は、実はパンタナールでの釣りであった。前述したように、表向きは「妻の里帰りに随伴するため」ではあったが、それは三週間の連続休暇を取るための口実でしかなかったのである。

憧れのパンタナール
 パンタナールは、南米大陸の中央部、パラグアイ川の上流に広がる大湿原地帯である。ブラジル、ボリビア、パラグアイの国境をまたがり、ブラジル領だけでも、日本の本州に匹敵する。ここには九三四種類の野鳥、四一八種類の野生動物、そして四五〇種類の淡水魚が生息する、まさに地球上に残された数少ない野性の楽園である。
 パンタナールへは、義父と二人で行くことにしたが、予約などのアレンジはすべて妻が行ってくれた。ブラジル国内でもパンタナールの人気は高く、妻の説明では釣りのツアーは確保できなかったらしい。結局、自然を楽しむ観光ツアーで行くことになったが、旅行社からもらった四泊五日の日程表を見ながら妻は、
「ほら、自然探索ツアーがあるでしょ、写真撮影のツアーもあるわよ、それにホース・ライディング(乗馬)のツアーもあるわ、きっと楽しい旅行になるわよ」
 決して大きな声でいえることではないが、釣りのためにわざわざブラジルまでやって来たというのに、私の気持ちなど一向に理解できない妻は、さらに、
「プールつきの豪華なホテルに泊まるから、水着を用意した方がいいわよ。それに長距離電話もできるから、サルバドール(ブラジル南部の都市)にいるお友達にも電話しておいたらどう」
 日本から遠路はるばる釣り道具を持参し、大物釣りを夢見てきた私は、単なる観光ツアーではいささか期待はずれである。多少の不満はあったが、これをちょっとでも口に出してしまえば、夫婦関係に大きな亀裂が入ることは、火を見るより明らかである。ここは紳士的に彼女の労をねぎらった。国内旅行とはいえ、遠隔地へのツアーをアレンジすることは大変なことで、とくに予約が殺到していた時期での旅行だけに、妻には心から感謝している。
 パンタナールは広大な地域を包含するため、アクセスの仕方は様々である。今回は、サンパウロから南マットグロッソ州の州都、カンポ・グランデまで空路で行き、そこから車でパンタナールへ入る最もポピュラーなルートであった。
「観光ツアーだから、他にもたくさんお客さんがいるわよ、みんなに迷惑を掛けないように、一緒に行動しなさい」 
 出発の直前まで、妻は私に協調して行動するよう釘をさす。九月八日、いよいよ出発の日である。義母が用意してくれた美味しい朝食を済ませ、妻の案内で旅行社が指定した停留所でサンパウロのガリューリョス空港行きの車を待つ。ツアーであるから、迎えの車は当然のことながら私達を待っているものと思っていたが、その気配はまったくない。旅行をアレンジした妻は気が気ではなかったであろう。二〇分ほど遅れて、私達の前に無茶苦茶な運転で割り込んできたフォルクスワーゲンの小型乗用車が一台止まった。どうもその車が旅行社の用意した車らしい。こんな小さな車で荷物が入るのかと一瞬、不安がよぎったが、ボストンバックや魚を持ち帰るための大きなクーラーボックスを後部座席の背後に押し込み、義父と私もどうにか座ることができた。それにしても運転手はどう見ても頼りなさそうな青年である。
「あなた、この人は無茶苦茶な運転をしそうだから気をつけてね」
 と、妻は日本語で耳打ちする。そういわれても、どう気をつければいいのか私にはわからないが、とにかく時間に余裕がないので空港へ急いだ。
 妻の説明では、空港で旅行社の人が私達を待っていてくれるらしい。国内線専用のチェクインカウンターの前で、義父と私はまんじりともせず待っていたが、ツアーに参加するらしい人もおらず、係りの人もいない。カウンターの上に表示されている出発便の案内は、カンポグランデ経由クルゼイロ・ド・スル行きになっていた。
「お父さん、きっとあの便ですよ、時間がないのでチェックインしましょう」
 チケットを確認しながら、義父に声を掛けた。
「クルゼイロ・ド・スル行きでいいのかな? クルゼイロ・ド・スルとは南十字星という意味だが、私はそんな地名を聞いたことがないし・・・・・」
 と義父は若干不安げである。持参した携帯用の地図で調べると、クルゼイロ・ド・スルはアマゾン奥地のペルー国境に近い町で、サンパウロからは五千キロも離れた遠いところである。サンパウロから一五〇〇キロほどのカンポグランデはその途上にあり、クルゼイロ・ド・スル行きの便で間違いはなさそうである。それにしても、日本では北海道から九州まで縦断しても、せいぜい二千キロ足らずで、ブラジルの国土の広さには、ただただ驚くばかりである。
 チケットを差し出して搭乗手続きを始めると、チェックイン・カウンターの女性に、
「もう五分遅ければ、間に合いませんでしたよ」
 といわれ、冷や汗をかく。出発まで三五分しか残されておらず、国内線の場合は三〇分以上前に搭乗手続きを済ませなければならないとのこと。
 機内は比較的混んでいたが、私達のように釣竿を手にした観光客は皆無で、どちらかといえばビジネスマンや地方からの乗客が多かった。二時間後に到着したカンポグランデの空港では、体格のがっちりした運転手が私達を待っていたが、ツアーの参加者はやはり私たち二人だけであった。早々、フォードの大型ワゴンに乗り込み、パンタナールへ向けて出発した。

セッカは赤夏?
 南マットグロッソ州はブラジルでも有数の畜産地帯で、カンポグランデの市街を抜けると、周囲には広大な牧場が広がっていた。乾期の最中で乾ききった牧草は黄金色をしていたが、ネローレと呼ばれる背中にこぶのある白色の肉牛が、胡麻粒のように広い牧場に点在していた。平坦な牧場を左右に分けるように、道はまっすぐと続いている。運転手は時速一四〇キロもの猛スピードで、一路パンタナールをめざしてアクセルを踏み続ける。今がシーズンなのか、牧場のあちこちには、まばゆいばかりに黄色をしたイペーの花が咲き乱れている。イペーは乾期の終わり頃、まだ葉が芽吹く前に花だけを咲かせる美しい花木で、ブラジルの国花となっている。桜の花とみまがうほどの桃色の花を咲かせるイペーも、時折、景色の中を流れて行くが、これはイペー・ロッショという種類らしい。美しい景色にカメラを向けても、車の速度に追いつかず、シャッターチャンスをのがしてしまう。
「今年はセッカで、お客さんは少ないんですか?」
 義父が運転手に水を向けると、
「テレビでセッカ、セッカと騒ぐので私達こそいい迷惑だ。ここでは乾期に雨が降らないのは当たり前で、サンパウロと同じに考えて欲しくない」
 と、テレビでの大げさな報道に辟易している様子だった。
 ところでセッカとは「乾燥」を意味するポルトガル語だが、深刻な猛暑に見舞われていた日本から来た私は、実家の家族が盛んに「セッカ」について話していたとき、勝手に「赤夏(せっか)」と解釈して聞いていた。
「今年はセッカがひどくて大変だね」
 と誰かがいえば、
「ああ、ブラジルも猛暑で大変なんだ」
 と思ってしまう。考えてみるとブラジルは季節が日本と反対で、今は冬の最中であることにまったく気がついていなかった。ただし、雨がほとんど降らず、各地で水不足を招いていたのは日本と同様だったらしい。
 一五〇キロほど走って、アキダウナとい小さな町に着いた。ここには運転手の自宅があり、一〇歳くらいの息子を同乗させた。学校が一週間ほど休暇に入り、パンタナールへ遊びに連れてゆくらしい。実はこの運転手は、私達が泊まることになっているホテルの経営者で、ホテルには奥さんがいるとのこと。経営者であれば「セッカ」の大げさな報道に迷惑するのも道理である。いくら有名な湿原地帯であっても、「セッカ」で水がないと騒がれればキャンセルする人も多いに違いない。
 さらに五〇キロほど行くと、ミランダの町に着いた。ここで私達は昼食を取ったが、こぎれいなレストランでのシュラスコであった。シュラスコはブラジルを代表する食物で、野趣溢れる焼き肉料理である。いろいろな食べ方があるらしいが、ここではボーイが炭火でこんがりと焼いた大きな肉の塊を串刺しにしてテーブルまで持ってきて、お客の好みの部位を適量ナイフでそぎ落とし、お皿にのせてくれる。肉には種類が色々あり、どれを食べても香ばしい肉本来の味がして美味しかった。途中の牧場で見かけたネローネという肉牛のこぶの部分は「クッピン」と呼ばれ、脂肪分が多く非常に柔らかいので、日本人好みの味がした。

ベルメーリョ川をめざして
 ミランダを過ぎると、景色は一変し、所々に水たまりや湿地帯が見え始めた。水たまりの中にはワニや野鳥の姿も見える。いよいよパンタナールである。一〇〇キロほど走ると、ミランダ川の船着き場に着いた。ここにはモーターボートが迎えに来ていた。ミランダ川はパラグアイ川の支流の一つであったが、川幅が一〇〇メートル以上もあり、とても支流とは思えないほど大きな川であった。本流のパラグアイ川を見たことのなかった私は、当初、これが本流に違いないと思いこんでいたほどである。 
 船着き場の周囲にはキャンピングカーやテントが点在し、家族連れで釣りを楽しんでいる人々の姿が、何とも羨ましかった。「日本ではこういう楽しみ方はとてもできないな」と思ってしまう。私達はモーターボートに乗り込み、ホテルへ向かった。旅行社の案内では、ニェコランジアというところにファゼンダ・リオ・ベルメーリョというホテルがあり、そこに泊まることになっている。案内にはボートで行くとはまったく書かれていなかったので、五分か一〇分ほどでホテルに着くものと勝手に信じ切っていた。そう思っていたので、ここまで連れてきてくれた経営者には、何も尋ねなかった。
 モーターボートは、大きなミランダ川の水を左右に切りながら颯爽と上流に向け突っ走る。川岸には何軒かのロッジがみえ、釣り人がボートの上や桟橋から思い思いに釣り糸を垂れている。対岸には大きな木が茂り、その向こうには果てしない湿原が広がっている。
 三〇分ほど走ってもホテルには着かない。そうこうしているうちに、ボートはミランダ川の支流に入る。川幅はそれほど狭くはないが、流れはかなり緩くなる。水の色は、湿った落ち葉から滲み出すような赤味を帯びてくる。それもそのはず、この川はリオ・ベルメーリョと呼ばれ、直訳すると「赤い川」となる。おそらく上流の落ち葉が堆積した氾濫原から水が流れ込んでいるのであろう。川岸にはアガペーと呼ばれる水草の一種、ムラサキホテイソウの可憐な花が一面に咲き乱れている。流れが緩くなったせいか、ジャカレーと呼ばれる一メートル前後のワニがあちこちに姿を現し始める。
 ベルメーリョ川を三〇分ほど遡上すると、川幅はかなり狭くなる。深さもそれほどではない。ワニの数は著しく増え、ボートの脇を平気ですーと横切って行くほどである。川岸の土手にはカピバラと呼ばれる大型の齧歯類が、集団で私達を眺めている。ネズミを巨大にしたような奇妙な動物で、泳ぎがうまい。
 船着き場からすでに一時間半もボートに乗っているが、まだホテルには着かない。義父に頼んで、ボートを操縦しているガイドさんにどのくらいかかるか聞いてもらっても、
「もうすぐ着く」
 という返事が返ってくるだけである。
 川は大きく蛇行し始め、川幅は益々狭くなる。赤く淀んだ水面からは、強烈な魚の生ぐさい臭いがたちこめ、川岸のこずえではカワセミが魚を狙って待ちかまえている。赤い水は養分に富み、魚が豊富な証拠である。流れも益々緩くなり、時折、浅瀬が行く手を遮るようになる。
「ガリガリガリ・・・・・」
 船外機のスクリューが川底の砂にあたりボートが動かなくなると、ガイドは川に入り綱で引っ張り始める。浅瀬を抜け出すと、再びエンジンを始動させゆっくりと上流に向かう。こんな調子だったので、到着してすぐ釣りができるものと楽しみにしていた私は、時間が気に掛かる。義父に、もう一度どのくらいかかるか聞いてもらうが、返事は、
「もうすぐ着く」
 と返ってくるだけ。
「お父さん、すみませんが、時間で何分くらいかかるか聞いてもらえませんか?」
 とお願いすると、ようやく具体的に、
「大きなカーブを三つ越えれば着く」
 という返事が返ってきた。浅瀬に乗り上げると、ボートを引っ張らなければならず時間がかかるため、確かにこれは的を得た答えである。
 三つ目の大きなカーブを曲がりきったところで、ようやくホテル・ファゼンダ・リオ・ベルメーリョに着いた。長い名前だが、ファゼンダとは牧場を意味するので、さしずめ「赤色川牧場ホテル」である。ベルメーリョ川に面した牧場の一角に建っている赤い瓦葺きの建物がそれで、周囲はすべて緑色の防虫用の網でおおわれている。さぞかし虫が多いのであろう。防虫ネットの扉を開いて中にはいると、客室は一〇部屋ほどあった。
 乾期で水が引いているためか、川岸から建物まで一〇〇メートルほど離れており、今は使う必要のない桟橋が続いている。ホテルというよりは、牧場の民宿といったほうが似合いそうな建物である。妻が出発の前に、
「プールつきの豪華なホテルに泊まるから、水着を用意した方がいいわよ。それに長距離電話もできるから、サルバドールにいるお友達にも電話しておいたらどう」
 と話していたホテルとは、趣がまったく異なる。どちらかといえば私が抱いていたパンタナールのイメージにぴったしのホテルであり、決して落胆したわけではないが、妻がいうように友人に電話しようとわざわざ持ってきた住所録は、ここでは役に立ちそうもない。
 ホテルに着いたときは、陽はとっぷりと暮れてしまい、残念ながら釣りはできなかった。しかしである。暗くなったホテルの周辺には、驚いたことに蛍が乱舞していた。日本ではめっきり少なくなってしまった蛍だが、まさかブラジルの奥地で目にするとは、夢にも想像していなかった。
 食堂前のロビーには、カラーテレビが一台置かれていたが、ボートで一緒に来た経営者の息子さんが娯楽番組を一人で見入っていた。中庭に直径二メートルほどの大きなパラボナアンテナが据えられていたので、どうやら衛星放送を受信しているらしい。国土の広いブラジルでは、衛星放送はうってつけである。
 ホテルにはヨーロッパから来た三人連れが泊まっていただけで、閑散としていた。冷たいビールを飲みながら夕食を食べ、翌日からのスケジュールを尋ねたが、旅行案内に書かれていたよう特別なツアーはないとのこと。釣りをメインに考えていた私には、むしろ好都合である。

ピラニア
 翌朝、六時起床。あたりはまだ薄暗い。外に出ると牧場の片隅からは「ダッダッダッダ・・・・・・」と、自家発電のエンジン音が低く響いてくる。まだ明け切らぬ草地では、馬が一〇頭ほど戯れている。東の空にうっすらと陽が昇り始めると、シラサギやコウノトリの一群が上空を颯爽と飛んで行く。周囲の梢からは小鳥たちの合唱が一斉に始まる。庭木の花に目をやると、親指ほどのハチドリが忙しそうに蜜をついばんでいる。チコチコベルメーリョと呼ばれる頭が赤色のツバメが数え切れないほど、木の枝から枝へと飛び回っている。パンタナールののどかな一日の始まりである。 
 朝食を済ませると、いよいよ待望の釣りである。わくわくしながら道具を持って川縁へ出た。川幅は一〇メートルほどで、大きく曲がっているため内側が淀みになっている。水面からは、
「ポチャン、バチャン、バシャバシャ・・・・・・」
と、魚のはねる音が盛んに聞こえてきて、私の気持ちをやたらと煽る。川のあちこちでは、ワニも水面からわずかに顔を出し、魚をつかまえようと身構えていた。
 道具は最近はやりのサバイバルショップで買ってきた安物だが、ルアー専用のものを用意してきた。かつてアフリカで生活していたときも、ルアーフィッシングを試みたことはあるが、竿もリールも投げ釣り用のものだったので、一匹も釣れなかった。妻に、
「あなたは釣りに行くのではなく、竿を振りに行くだけね」
 と、たしなめられたほどである。
 はやる気持ちを抑えながら、一〇センチほどの小魚の形をした木製ルアーを装着する。竿は一メートル半ほど、糸は三号でそれほど太くはない。グリップを握って一投目を投げる。
「シュルシュルシュル、ボチャン、カチャカチャカチャ・・・・・・」
 ルアーが着水すると同時に慎重にリールを巻き上げたが、まったく手応えがない。二投目も同じである。そう簡単に釣れるものではないと、気を落ちつかせながら三投目を投げた。その瞬間「ガツン」と、大きなアタリがあった。ぐいっと引くと、水面でバチャバチャと大きな魚が跳ねている。凄い引きである。ばらさないように慎重にリールを巻き上げて行く。なんと最初の獲物は二五センチほどのピラニアであった。用心のためルアーは三〇センチほどのワイヤーで糸とつないだが、そうでなかったら鋭い歯で簡単に噛みきられているところだった。
 ところで前回の里帰りのときのことだが、義父と一緒にアマゾン川へ出かけたことがある。二月のまだ雨季の最中で、アマゾン川周辺はこれが川かと見まがうほど、水、水、水に溢れていた。モーターボートをチャーターし一日だけ釣りを楽しんだが、そのとき義父が二〇センチほどのピラニアを釣り上げた。まだピラニアの敏捷さを知らなかったので、それまで釣り上げたナマズの仲間を扱うように気楽な気持ちで針をはずそうとした。ところが予想外の早さで飛び跳ねたピラニアに、義父はがぶりと左手の親指を噛まれてしまった。危うく親指をなくすところであったが、わずか五ミリほど掌部側の肉をえぐり取られただけですんだ。不幸中の幸いとはこのことであろう。
 その時のことが頭に甦り、今回はピラニアの頭を棒切れでごつんと叩き、ラジオペンチで針を摘むようにしてはずした。一匹目が簡単に釣れたので、気をよくして再び挑戦。二匹目も簡単に釣れた。  
 少し遅れて義父もやってきて、ルアーでの釣りは初めてというのに、簡単に三匹のピラニアを釣り上げた。
「さずがパンタナール、この調子ならたくさん釣れる」
 と、私たちは歓喜していたのである。
 ところが、それ以降は何遍投げても、いままでのことが嘘のようにアタリがこない。水面では、これまでと同じように魚がポン、ポンと跳ねている。イワシのような魚が群れになって泳ぎ回っている。にもかかわらずどんなに投げても、まったくの空振りである。しかたなく釣れたピラニアを一匹細切れにして、餌釣りに切り替えた。それでもやはり釣れない。ホテルの奥さんから分けてもらった肉片も試してみたが、何の手応えもない。結局、早朝二匹釣り上げただけで、お昼まではゼロであった。私は大の釣りキチであったが、どちらかといえば「下手の横好き」の部類に属する。もうこれっきり釣れないのではないかといささか不安になり、私と義父はかわるがわる四匹のピラニアをぶらさげて「パチリ」と証拠写真を撮った。これで家族にはとりあえず面目が立つと、お互いに思いつつ・・・・・・。
 頭上には南国の太陽がさんさんと輝いている。日中はこれ以上無理と悟って、釣りをあきらめた。客がくつろげるように、草葺きの丸い屋根の小屋が中庭に建っている。周囲には防虫ネットが張り巡らされ、中にはハンモックが二張り吊るされていた。昼食後はハンモックに揺られながら読書としゃれこんだ。気温はかなり高いが空気が乾燥しているので、日本のような蒸し暑さはまったくない。日陰は不思議なほど爽やかである。読書がいつの間にか午睡にかわってしまった。
 夕刻、再び釣りに挑戦。五時半をまわった頃から、ポンポンと釣れ始めた。あたりが暗くなる一時間ほどの間に、ピラニアを一〇匹ほど釣り上げた。義父はピラニアだけでなくイワシのような魚も二匹釣り上げた。どうやらここでは、早朝と夕刻のわずかな時間帯が釣り時なのであろう。

ピンタード
 翌日は、五時半頃起きて釣りに出かけた。周囲はまだ暗い。懐中電灯を照らしながら川縁へ出て準備をしていると、ようやく空が白み始めた。おもむろにルアーを投げる。数回投げたところで「ゴツン」と、とてつもない大きなアタリがあった。その瞬間、リールがいきよいよく回転し始め、糸が川の中へどんどん引き込まれて行く。リールを懸命に操作し、糸を引き寄せて行く。 
 しかし獲物は川底を這うように、ぐいぐいと糸を引き込んで行く。無理をすると三号の糸は簡単に切れてしまう。手に汗を握りながら一五分ほど挌闘し、大きなピンタードを釣り上げた。ピンタードとは背中に縞模様のある大ナマズのことで、パンタナールを代表する魚の一種である。釣り上げたピンタードは体長七〇センチ、重さが三キロ、身体のあちこちに切り傷がついていたが、これは挌闘している間にピラニアに襲われたためであろう。
 しばらくして義父がやってきて、
「大物を釣ったね」
 と感心しながら、記念写真を撮ってくれた。その後、二人でピラニアを十数匹ほど釣り上げたが、八時過ぎになると前日と同様、アタリがぷっつりとなくなってしまった。
 その日の昼食は、ホテルの奥さんが腕によりをかけて、ピラニアのスープを調理してくれた。たくさんのピラニアを一度湯がいて丁寧に小骨を取り除き、魚の身を布で濾してつくった手の掛かったスープで、こくがありとても美味しかった。
 午後はホース・ライディング(乗馬)のツアーがあるという。三時頃、牧夫が私たちを迎えに来てくれた。二頭の馬に鞍をのせ、鐙の調整をして出発である。牧場を突っ切り、パンタナールの大平原に出た。島のように盛り上がったところが点在し、そこには一塊の樹木が生い茂っている。ほかは見渡す限りの草原で、雨季になれば完全に水没してしまうという。
「向こうにシカがいる」
 と、牧夫はめざとく動物をみつけた。こちらが近づくと、シカも警戒して遠のいてしまう。アフリカで有り余るほどの動物を見てきた私には、何となく歯がゆい。
 手綱を握りながらパカ、パカ、パカと馬を進めて行く。島状に盛り上がった林の中に入ると、シダや広葉樹が所狭しと繁茂している。牧夫は私たちが通りやすいように、ナタで枝を切り払いながら先導してくれる。
「木の上にサルがいる」
 と、指さす方をのぞいても、何も見えない。牧夫は棒切れを拾い、威勢よく樹上に投げるつけると、大きな枝の上に寝ていたサルが、もっそり動きだした。身体の一部分しか見えないので、種類までは特定できない。
 のどかなツアーであるが、大平原のなかを走っていると、いつの間にか方向感覚を失ってしまう。最初は、どちらの方向から来たのか確認しながら進んでいったが、林の中に入ったり出たりしているうちに、完全に方向がわからなくなってしまった。一人で出かけていれば、間違いなく迷子になってしまう。たっぷり二時間ほど馬に乗り、ホテルに戻ったが、日頃使わない筋肉を使ったので、足が痛くなっていた。
 乗馬から戻るや否や釣りを再開した。ピラニアがたくさん釣れたが、遂に糸を噛みきられ愛用のルアーをとられてしまった。

夜釣りのハプニング
 夕食後、夜釣りに出かけた。夜になると、ワニが我が物顔で足元の川縁までやってくる。水際に石ころを投げつけて追い払おうとするが、魚と間違えて、石ころにかぶりつく凄まじさである。しかたなく二メートルほど水際から離れて、釣りを始めた。ルアーは見えないので、餌釣りである。針に魚の切り身をつけて適当に投げ込むと、すぐにピラニアが食らいつくので、面白いように釣れる。入れ食いとはまさにこのことである。
 いい気になって釣っていると、いきなり手に響くように「ガツン!」と大きなアタリが来た。朝のピンタードの比ではない。リールが勝手に逆回転して、糸がどんどん川に引き込まれて行く。
「この川の主に違いない」
 と密かに思い、歯を食いしばった。餌釣りには五号の糸を使っていたが、それでも無理をすると切れてしまう。竿も折れそうなほどしないでいる。
「無理しちゃいけない。落ちついて引き上げるんだ」
 と自分にいい聞かせるが、まったく引き上げることはできない。
「生まれて初めての大物だ!」
 私の心臓は、いまにも喉から飛び出してしまうほど激しく鼓動している。
「いったいどんな魚なんだ?」
 あまりの引きの強さに、私は次第に不安になってきた。あいにく義父は仕掛けを切られてしまったので、部屋へ取りに行ったまま一向に戻ってこない。一進一退を繰り返しながら三〇分ほど挌闘し、何とか水際まで引き寄せることに成功した。腰を低くしてポケットから懐中電灯を取り出し、素早く水際を照らした。ところが糸の先の水面では赤い二つの目が、キラリと光ったのである。
「ワニが釣れたのか!」
 とてつもない大きな魚を期待していただけに、一瞬、力が抜けてしまった。どうやらピラニアが釣れた瞬間、それをワニがガブッとかぶりつてしまったようである。ライトに驚いたワニは、バシャンと大きな水しぶきをあげ、勢いよく水の中に潜り込んでしまった。そうこうしているうちに、義父が戻ってきた。ワニは向こう岸の土手にでもへばりついてしまったのであろう、まったく動かなくなってしまった。こうなってはもうお手上げである。義父と一緒に引き寄せようとしたが、糸はプッツンと切れてしまった。と同時に、私はガクガクッと腰が砕けるような思いがしたのである。今回掛かったワニは一メートルほどあったので、重さは少なくとも二〇キロはあったであろう。疲れるのも道理である。
 ところで、パンタナールに棲むワニは、カイマンと呼ばれている種類で、大きいものでも体長は二メートル前後、アフリカに棲むナイルワニの半分ほどの大きさである。カイマンは魚を主食とし、シマウマさえも食べてしまうナイルワニのような獰猛さはない。したがって日中であれば、人を襲うことはまずない。むしろ人が近づくと、ワニのほうが遠慮して逃げていってしまう。ただし夜間は別である。石を投げても魚と間違えてしまうので、不用心に水の中へ入ろうものなら、ガブリッとやられてしまうのは想像に難くない。
 
 あるいはピラニアといえば、手足を水に入れただけで噛みきられそうな印象を受けるが、こちらもそれほど攻撃的ではない。普段は小魚を食べているので、ピンタードのような大型の魚と大差ない。昼過ぎのことだが、このことを証明するかのように、好奇心の旺盛な義父はワニやピラニアの巣のようなベルメーリョ川で泳いだのである。アマゾンでは親指を噛まれるという不覚をとってしまったが、ここでは噛みつかれることはなかった。ただしピラニアもワニと同様、夜間になると食欲旺盛になるので、不用意に水の中に入るのは慎んだ方がいい。
 その日は、朝から大漁である。早朝に大きなピンタードが釣れ、夜はバケツに入りきらないほどのピラニアが釣れた。しかもワニが釣れるという、おまけまで付いてしまった。

ドラードは黄金の魚
 翌朝は、やはり暗いうちに起きて釣りをしたが、残念ながらピンタードは釣れなかった。柳の下に二匹目の「ドジョウ」ならず「ナマズ」はいなかった。
 朝食後、ホテルの従業員が私たちを上流へ釣りに連れて行ってくれるという。経営者の息子さんも一緒に行くらしい。二艘の手漕ぎボートで出かけたが、小さなボートはすこぶる安定が悪い。案の定、息子さんたちが乗ったボートは、途中で何遍もひっくり返っているではないか。私は大事なカメラバッグを持ってきたことを後悔したが、もう遅い。転覆しないことを祈るのみである。心配しながら、ふと川の中に目をやると、底の方で淡水のエイが数匹泳いでいた。
 三〇分ほど遡ると、巾が二メートルほどの小さな川が合流する地点に出た。釣りには絶好のポイントである。さっそくルアーを投げてみた。
「ピューン、ボチャン、カチャカチャカチャ」
 釣りも三日目になるとだいぶ慣れてくる。初めての本格的なルアーフィッシングであったが、竿が自分の腕の一部のように馴染んできている。ホテルではまったく釣れない時間帯であったが、ここでは簡単にピラニアがかかった。義父も餌釣りでピラニアやイワシの仲間を釣り上げている。
「グググッ、バシャン、バシャン」 
 私の竿に、これまでとは違うアタリがあった。引きは最高である。ばらさないように慎重に引き寄せると、三〇センチほどのドラードがピチピチと跳ねながら上がってきた。ドラードは、その名のとおり黄金色をしたパンタナールを代表する魚で、大きいものは一〇キロを超すこともある。とはいえ水量の少ないベルメーリョ川では、大物はそれほど期待できない。小物とはいえ、ドラードを釣り上げることができて本当に嬉しい。義父は私の心を察したのか、
「良彦さん、ドラードが釣れれば、それだけでパンタナールへ来た価値がありますよ」 
 と祝福してくれる。

パンタナールの夜
 昼食後しばらくして、ガイドが上流の滝のあるところまでモーターボートで案内してくれるという。ドジョウのような餌用の小魚も用意してくれた。バリバリとエンジン音を響かせながら遡ったが、一時間ほどかかったので、着いたときは既に四時頃になっていた。
 そこは大きく蛇行した川の一部に天然のバイパスが通じてできた巾二メートル、落差一メートルほどの小さな滝のあるところであった。釣りには絶好のポイントである。ガイドの話ではピンタードが釣れるらしい。餌をつけ滝壷の近くに投げ入れると、すぐにアタリがあった。釣れたのはピラニアである。場所がいいせいか、餌をつけてポチャンと釣り糸を垂れればすぐにかかる。問題は糸をちょっとでもゆるめようものなら、あの鋭い歯ですぐに噛みきられてしまうことである。そのたびに、仕掛けを作りなおさなければならない。ピラニアが多いとほかの魚がかからないので、滝壷から下流方向にポイントをかえ、ルアーを投げてみた。しかし釣れるのはやはりピラニアだけ。
 川縁では、数匹のワニが私たちの釣り上げたピラニアを狙っている。ワニの目の前にピラニアを一匹投げると、バシャンと大きな水しぶきをあげ、素早くかぶりつく。その敏捷さに驚かされると同時に、昨夜の夜釣りでワニがかかったのが納得できる。ワニは強力な顎でグシャ、グシャとピラニアを噛み砕きながら食べているが、あのピラニアの鋭い歯が痛くないのかと、いらぬ心配をしてしまう。
 釣りに熱中していると、あっというまに時間が過ぎてしまう。六時半頃、太陽が美しい夕焼けを残して西の空に沈むと、あたりは急に暗くなり始めた。急いで道具をボートに積み込み、ホテルに向かう。三〇分ほど下ると、もう真っ暗闇である。浅瀬にスクリューを取られながら、ガイドは慎重にボートを進める。夜間は非常に危険なので、ガイドは決して水の中には入らない。幸い小さな懐中電灯を持ってきていたので、周囲を照らすと、川面には無数の赤い目が光っていた。パンタナールは魚が豊富なので、ワニの数もすこぶる多い。
「すごい数だ!」
 私と義父は感嘆の声を上げた。昼間は大きな口を開け、日光浴をしているワニたちだが、夜になると動きは活発である。両岸に生い茂っている木々の梢では、ねぐらになっているのか無数のシラサギが羽根を休めていた。夜の世界は、パンタナールに繰り広げられている大自然の、違った一面をのぞかせてくれた。

旅の終わり
 翌日の朝、モーターボートに乗って帰途についた。途中の土手ではカピバラの親子が草を食べていた。卵からかえったばかりの可愛いワニの赤ちゃんが二〇匹ほど、砂浜で戯れていた。大きな木の枝に巣を掛けているハゲコウの仲間が、不気味な姿をみせていた。ベルメーリョ川に別れを告げ、再びミランダ川に入ると、モーターボートは全速力で船着き場をめざす。上空には朱色をした美しいフラミンゴの一群が飛び去っていった。パンタナールでの釣り旅行は終わりである。エキサイティングな数々の思い出が、走馬燈のように駆け抜けて行く。
 釣った魚はホテルの従業員が内蔵を取り除き、冷凍にしてくれてあった。発泡スチロール製の大きなクーラーに入れ、モジの家族のもとに持ち帰ったが、五歳の長男はたくさんの魚を見て大喜び。そして無邪気に、
「お父さんは、僕よりも釣りがうまくなったね」
 と、生意気なことをいう。その脇では、一歳半の次男も大きなピンタードをみて興奮している。
 私は「この次は、必ず息子たちと一緒に釣りに行こう」と、心に決めたのであった。
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