さとう動物病院
 長野県 千曲市
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童  話
さよなら、僕のカマキリ

「お母さん、お母さん。僕、カマキリつかまえたんだ」
 すがすがしい初夏のある日、畑で遊んでいた小学一年生の光平が、一匹のカマキリを手のひらにのせて、家の中に駆け込んできました。身体の長さがわずか五センチほどの、小さなカマキリです。
「お母さん、僕、このカマキリ飼っていい?」
 光平はお勝手で洗い物をしていたお母さんにたずねました。
「かわいいカマキリね。ちゃんと自分で餌をあげるなら、飼ってもいいわよ。でも光ちゃん、カマキリは生きている昆虫でないと食べないことは知っているわね。必ず餌をやるって約束できる?」
 洗い物の手を休め、光平の所にやってきたお母さんは、まだ羽根さえも出そろっていない小さなカマキリを見ながら言いました。
「うん、僕、毎日餌をやるよ。約束する」
 光平は大喜びです。玄関にあった空っぽの金魚鉢に、カマキリを止まり木と一緒に入れました。そしてさっそくハエたたきでハエを一匹つかまえ、カマキリに与えたのです。飛べなくなったハエは、金魚鉢の底でもぞもぞと動いています。それをめざとく見つけたカマキリは、静かににじり寄って大きなカマのついた手で器用にハエをつかまえました。
「お母さん、ほら。カマキリが喜んで食べているよ」
 それを見た光平が、お母さんに言いました。

 その日から光平は、畑でイナゴやバッタ、コウロギをつかまえるのが仕事になりました。学校から帰ってくると、すぐに畑へ行って、カマキリの餌になりそうなバッタやイナゴ、コウロギをつかまえてきては、せっせせっせと与えました。金魚鉢に入れられた昆虫たちは、カマキリに食べられるのはかなわないので、じっと動かないようにしています。生き物同志の忍耐強い戦いです。しかしお腹を空かしたカマキリは、ちょっとでも虫たちの動きを察知すると、素早くつかまえてしまいました。
 ある日、大きなバッタを入れてあげたときのことです。カマキリの半分以上もある大物です。なかなかつかまえることはできません。バッタは後ろ足でもがきながら必死で抵抗します。カマキリはバッタをつかまえようとにじり寄って行きますが、逆にボカンと蹴られてしまいました。
「カマキリ、がんばれ!」
 光平はカマキリを応援しています。でもカマキリは、その大きなバッタをつかまえることができませんでした。
「大きすぎるんだね。このままではカマキリがやられてしまう。このバッタは逃がしてあげよう」
 光平はそう言うと、金魚鉢からバッタをつまみだし、庭に逃がしてあげました。その代わりに、少し小さめのバッタを入れてあげると、今度は素早くつかまえて食べ始めました。
 カマキリは食欲が旺盛で、光平が与える餌をもぐもぐと喜んで食べました。飼い始めたときよりもずいぶんと大きくなりました。
 二週間ほどたったある朝のことです。光平がコウロギを入れてあげても、どうしたことかカマキリはまったくつかまえようとはしません。
「お母さん、今日のカマキリがおかしいよ。元気がないんだ」
 光平はお母さんに言いました。
「どうしたのかしら? 本当に元気がないわね」
 お母さんも金魚鉢をのぞきながら言いました。
「光平、昆虫を飼うのは難しいんだぞ。このカマキリも死んじゃうかも知れないなあ」
 寛志が言いました。三つ年上のお兄さんです。昆虫が大好きで、クワガタやカブトムシ、アゲハチョウの幼虫を飼ったことがあります。
「だから言ったでしょう。早く逃がしてあげればよかったのよ」
 由紀が言いました。二つ年上のお姉さんです。光平がカマキリをつかまえた来たとき、「かわいそうだから逃がしたあげなさい」と、言ったのでした。

 光平は動かなくなったカマキリを心配顔で見守っています。
(あんなに一生懸命餌をやったのに、どうしたんだろう? やっぱり生き物を飼うのは難しいんだ)
 そう思ったときでした。プルルンとカマキリが一瞬ふるえました。そして背中がパチンと音をたてるように割れ、手足をもそもそさせながら皮を脱ぎ始めたのです。
「お母さん、カマキリが脱皮を始めたよ」
 と光平は大喜び。
「よかったわね、光ちゃん。羽根もずいぶん大きくなったわよ」
 お母さんはホッと胸をなでおろしながら言いました。
 脱皮をしてからのカマキリは、今まで以上に食欲旺盛で、光平が餌を与えるとすぐにつかまえて食べてしまいます。そしてお腹がどんどんと大きくなってきました。だれの目にも雌のカマキリだとわかるようになりました。
「山に放して、結婚させてあげなさいよ」
 由紀が真剣な顔をして言いました。
「これ僕のカマキリだもの、逃がすのはイヤだ!」
 光平はそう言いましたが、心の中では何となくかわいそうな気がしてきたのです。
(こんな狭い所で一匹だけで飼うのはかわいそうだ。でもせっかくここまで大きくなったのに逃がすのはもったいないな)
 光平の心は揺れたのでした。

 ある夜、光平はカマキリの夢を見ました。カマキリが自由になって大空に舞い上がる夢を見たのです。嬉しそう顔をして木の枝に止まり、たくさんの卵を産んだのです。その卵が孵化し、たくさんの赤ちゃんカマキリが生まれ出た来ました。そして無数の小さなカマキリが、うじゃうじゃと光平の身体にまとわりついてくるのでした。
 翌朝のことです。朝飯を食べながら光平は、
「僕、カマキリを逃がしてあげることにした」
 と、宣言したのです。夢のことはだれにも話しませんでした。
 朝食後、皆で裏山へ出かけました。光平は箱に入れたカマキリを大事そうに抱えています。裏山のススキの繁った所で、光平は箱の中からカマキリを出し、
「さよなら、僕のカマキリ。君のことが大好きだったんだ。元気でね」
 そう言いながらカマキリを放してあげたのです。
 光平の手のひらにのったカマキリは、光平の方を向くと口をぱくぱくと動かしたのです。
「お母さん、カマキリもさよならしているよ。僕、さみしくなるな」
 光平の目からは涙がにじみ出ました。
 カマキリは喜んで大空に羽ばたいて行きました。
「さよなら、僕のカマキリ!」
 光平は飛んで行ったカマキリに向かって、手をふりながら言いました。
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