大山祇命(おほやまづみのみこと)
 大山祇命は八柱の山神を統べ、又山を主宰し給う神で大山津見命とも記す。
 御名義、山津見は山津持にて山を持ち司り給う意。大は多に山の部分を知り分け持つ八柱の山神(正鹿、△淤藤、奥、△闇、志芸、羽、原、△戸山津見神)の上に坐してこれを統べ、又山の総てを総覧主宰し給うを讃えたのである。而して通例、山獄の守護神として祀られている。
*八柱の山神は、伊弉册神が火之迦具土神を生んで焼け死んだため、怒った伊弉諾神が迦具土神を斬った際にその遺体に生まれた。順に頭、胸、腹、陰、左手、右手、左足、右足から生まれたと古事記は伝える。
 日本書紀では5柱で、△印の神は記述がない。(さんま)
 山を主宰する大山祇神の他に、吾田之国(薩摩半島南部)の国津神大山祇命という神がある。この神の次女、木花開耶姫は天孫瓊々杵尊の妃だが、大山祇命は長女の石長姫も副えて妃に奉った。瓊々杵尊は石長姫を醜により返し給った。
 大山祇命は恥じ給いて、石長姫を奉ったのは天ツ神の御子の命が雨降り風吹けど恒(とこ)しえなる事石の如く常堅(ときは)に動かぬよう、木花開耶姫を使わしたのは木の花の栄ゆる如く栄えるよう請け合って貢進(たてまつ)ったのである。石長姫を返し開耶姫を留め給ったので天ツ神の御子の御寿、木の花の如く脆くはかなくなるだろうと云われた。これに依って今に至る天皇命の御命長くましまさざるのであるという。

 木花開耶姫は瓊々杵尊に嫁し、彦火々出見命を生み給いたるに依り、大山祇命は天津日嗣の外祖父に当たらせ給う事になる。又、大山祇神とは天孫降臨以前此の国に土着したる国津神の総称であり、後に大山祇族が山間地に移住したるにより、山地主宰の神と称されたのであるとも云う。

 伊予国一の宮である国幣大社大山祇神社は大山津見命を祀り、古来海上守護の神、武門の神として上下の信仰が甚だ厚い神社である。
 愛媛県越智郡宮浦村に鎮まります国幣大社大山祇神社の祭神、大山積神は一名、和多志神と申し、もとは百済の神で仁徳天皇の御代渡り来て摂津の御島に鎮まり、後に今の愛媛に移り三島大明神ともいう。安芸の厳島、讃岐の金刀比羅、筑前の太宰府、豊前の宇佐と共に五社参りといわれ、海上守護神として信仰され参詣者が多い。

 (『伊那の御祭神(小笠原 賢太郎 著)』より抜粋)

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