天照大御神が天の安河に於いて素盞鳴尊と宇氣毘(うけひ)給いし時、大神が素盞鳴尊の剣を三段に噛み砕き吹き捨てる時、その気吹の狭霧に成り坐せる3柱の女神。多紀理比賣、狭依比賣、多紀津比賣の順に生まれたと古事記は言うが、書紀では多紀理比賣(田心姫)、多紀津比賣(湍津姫)、狭依比賣(市杵島姫)の順である。
多紀理比賣命は又の名を
奥津島比賣命と申す。書紀では
田心姫ともいい、胸形の奥津宮に坐すとある。御名義、田心(たごり)は健心(たけこころ)、多紀理は河の早瀬を言ったもので、天之安河に因んだ御名であると古事記伝に言う。鈴木重胤は大御神の御心の雄健く御在します意であるという。
狭依比賣命は又の名を書紀では
市杵島比賣命と謂(もう)し奉り、胸形の中津宮に坐す神である。御名義、市杵(いちき)は大御神の武備の厳重なりしに因み、宗像島に坐す姫神という意味になる。狭依は、紀伝によれば「狭」が接頭語、「依」は眞宣(まよろし)の義の称名(たたへな)という。書紀通釈によれば「瀬寄り」であるという。
厳島神社は市杵島比賣を主神とし、田心・湍津二神を相殿に祀る。古くより名神に列ね、平家一門の信仰でも名高い。元官幣中社。
多紀津比賣命は
田寸津比賣命とも書き、書紀では
湍津(たぎつ)姫ともいい、胸形の邊津(へつ)宮に坐すとある。御名義、多紀津は多紀理と同じく河の早瀬を言ったもので、御神徳も多紀理比賣命と同じである。
この
三柱姫大神は、天照大神の大御心の進み猛り給える時に生まれ坐せるにより御心も猛く勇武に坐しければ、神功皇后の三韓征伐の時偉大なる神威を現し給った。またその鎮座の地は三韓との交通の要衝に当たり、これに関しても御神徳高き守護神であった事が想像される。
(『伊那の御祭神(小笠原 賢太郎 著)』より抜粋)
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