經津主神(ふつぬしのみこと)
 経津主神は伊波比主(いはひぬし)命とも申し奉り、磐筒男・磐筒女二神の御子である。御名義、フツは剣のブツッと鋭利に斬れる状をいった辞で、ヌシは尊称である。即ち此の神、武勇の御神徳の高きを称えて斯く負わせ給える御名である。
 天照大神、天孫降臨に先んじて芦原の中つ国を平定せしめんとし給える時、此の神を大将軍とせられた。これが我が国に於ける大将軍の首(はじ)めであるという。

 天孫降臨に先立って、天穂日命天若日子をして中つ国を平定せしめんとして遣わされたが、天穂日命は大国主命と和し、天若日子は心変わりをして任を果たさず、還矢(かえりや)に当たりて死した。
 大神再び諸神に議せしめ、中つ国平定の功を全うすべき神を選ばせしめた時、諸神みな経津主神是れ佳けむと答えられた。たまたま武甕槌神(たけみかづちのみこと)進み出で「あに経津主神のみ独り丈夫(ますらお)にして吾丈夫にあらざらんや」といった慷慨あふるる、その辞その威気に感じ、経津主神に副えて遣わされた。

 二神は出雲国五十田狭(いたさ)の小浜に下り、十握の剣を抜き倒(さかしま)に刺樹(さした)て、その鉾端(ほこさき)に踞(しりうた)げて、大己貴(おおなむち)命に告げて言った。 「天神今や天孫をして此の地に君臨(きみたら)しめ給わんとし、我等二人を遣わして平定の任に当たらしめた。果たして国を避けて天孫に献(ゆず)り給わんや」と。
 大己貴命は、「まさに我が子に問いて、然して後返言申さん」と対(こた)えて、出雲の三穂碕に居られた御子、事代主神と相談して、謹んで命を奉じ、「吾れ如何でか御旨に違い奉らじ」と答えて、嘗て大己貴命が国土平定の功を樹てられた広矛をニ神に捧げられた。
 是れより、経津主、武甕槌の二神は、岐神(事代主神か?)を先導として国内を巡周し、諸の命を奉ぜざる者はこれを討ち、帰順する者はこれを懐(たす)けて、悉く芦原の中つ国を綏撫し給い、後上りて復命をせられた。

 国幣大社香取神宮、その他各所に武神、武芸の神として祀られ、国民の尊崇が甚だ厚い神である。

 (『伊那の御祭神(小笠原 賢太郎 著)』より抜粋)

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