清坂堂(よさかどう/伊那坂東第20番札所)
所在地(江戸時代の村名):阿智村駒場伝馬町(駒場村)
<御詠歌>
もろ人の参る心は清坂や
松のひびきも歌舞の音楽
(注)下伊奈郡案内道中記では
〜かぞの音楽
下伊奈郡道中案内記(嘉永4年/1851)に、「同宮、清坂堂、辰巳向き、本尊十一面」とある。
同宮とは駒場村の鎮守の宮の意味である。新羅明神(安布知神社)の境内にあった神宮寺を神光寺というが、別名を清坂堂とも呼んだのだろう。社家(林家)の内庵のようなものだと思われる。
明治維新の神仏分離により廃寺となっていたが、昭和15年の伊那坂東開帳の頃現在地に再建した。長岳寺で預かっていた仏像を戻し、新たに弘法大師像を迎えて安置した。
終戦後に堂屋を増築し、伝馬町の集会所を兼ねることになった。現在の清坂堂は、更に改築されたものである。