園原の神坂神社にある万葉集防人(さきもり)の歌碑は、園原を尋ねる人の見落してならない歌碑ですが、誰が揮毫したのかわからなくなっていました。
一般には月見堂の名月の歌碑と同じ北原阿智之助(痴山)といわれていましたが、郷土史家で著書も多い故人の村沢武夫さんが、筆跡から推測して飯田の木下倭志雄であると力説し、伊那史学会で実地見分の行事をしたほどでした。
それがこの程、元阿智中学校長の木下秋彦先生より北原痴山の「金石文揮毫控」が発見され、疑いもなく北原阿智之助の揮毫であることが判明し、多年の謎が解けました。
(H6・8)