16 東山道の研究で最近わかったことがあるか?
阿智村の場合、神坂峠から「阿知駅」があったと推定される木戸脇までは、ほとんどが山地で、ここでなければ通れないという地形ですが、阿知駅から先は比較的平坦地となりますので、状況が少し変わります。
東山道の研究もここ十数年の間に各県の発掘調査をすすみ、情報の公開・交換も行われて、東山道が予想以上に計画的・合理的に開設されたことがわかり、研究者を驚かせています。
飯伊地域の東山道研究の先鞭者は何といっても市村咸人先生です。
先生はその著書「下伊那史四巻」で、
「地形その他の地理的事情の許す限り、直線コースを採り迂回を避けたので、必ずしも古い文化地帯のみを目標としてはいない。(597
頁)」
と述べられながら、地形の悪い箱川〜梨洞〜三日市場〜殿岡のルートを選ばれました。
しかし近年の広域的な研究の成果は、より一層「直線コース」を絶対的な原則として路線を判定しています。それは伊那谷に例をとれば、中央自動車道に並行する春日街道の線となり、1300年の昔によくぞこのコースを設定したものと驚嘆させられます。
そして、このように路線を決めることは、阿知駅を北に踏み出した地点が起点になって伊那谷のルートを左右することになりますので、阿智の研究と責任も重大となるわけです。