15 東山道の道幅はどのくらいあったか?

 阿智村の中で東山道の道跡ではないかと推定されたのは、園原の「杉ノ木平(中央道の換気塔のある場所)」と「大垣外(平成九年発掘調査)」の二か所で、その道幅は約2m余とされています。
 (探4144)また上伊那の天竜川西岸の段丘上を直線状に通りぬける、いわゆる「春日街道」は約4mくらいです。同じ東山道でも群馬県や栃木県、埼玉県(武蔵国は宝亀2年(771)まで東山道で以後東海道に編入)滋賀県などでは道路幅12メートルという直線的な道路址が次々と発見されています。

 このように私たちの想像を越える道幅は何のために作られたのか、と思われますが、東山道が軍用道路として利用された場合、大人数の集結のためかと考えられますが、古代交通研究会の木下良先生は、車を利用するためではないかといわれています。この12mにも及ぶ道は、いずれもたたき堅められた路面で、両がわに側溝をもつ現在の道路にも劣らない構造になっています。