13 一般の庶民はどのようにして通ったか?

 駅馬を使うことのできない一般の民衆は、公用の人の通行をさまたげないように、通行しました。

 「延喜式」(927成立)には、「およそ諸国駅路の辺には、菓樹を植え、往還する人をして休息を得さしめ、もし水無きところにては便を量りて井を掘れ」とありますが、菓樹とは梨、桃、梅、あんず、胡桃等であろうと市村先生の推定です。

 一般の民衆の通行といっても、今日のようにツアーで遊覧旅行に出掛けるという時代ではありません。
 国司などの命令によって労役に出かけたり、防人のように九州までも兵役に行くことを命ぜられたり、又は朝廷への貢物を持って山道を越えて行くというような苦しい旅が多かったと思われます。