10 駅子はどんな苦労をしていたか?
駅馬をひいて、ひんぱんに峠を越す業務が続くと、過労に耐えられなくなって逃げだす駅子が多くなり、朝廷では税を免除したり、給料(稲で支給した)を上げたりしたが、それでも逃げだす駅子が多かったようです。「日本後紀」延暦18年(799)の記事に
「信濃国伊那郡阿智駅の駅子、永く調庸を免ず。道路険難なるを以てなり」
とありますが、「調庸」は租税と労役のことで、阿智の駅子が特別に険しい悪路を通らなければならない勤務だから税や労役を免除するという特典を与えられた記録です。
また、これは阿知駅のことではありませんが、神坂峠の向こうの坂本駅について、斉衡2年(855)に政府が書いた「太政官符」という資料があります。わかりやすい文にしますと、
美濃国坂本の駅と、信濃国の阿智駅は、その距離が74里(約40キロ)もあって、雲のかかる高い山が重なり合い、道は遠く、坂(峠)は高い。朝、星のある早朝に出発しても、夜遅くになってようやく到着するほどで、坂本駅と阿智駅の行程は、普通駅の数か所を行くほどに相当します。駅子は荷物を背負って常に運搬に苦しんでいます。寒い冬などは、途中で倒れて死ぬ人も少なくありません。朝廷ではこれを悲しみ、特別に恩典を与えて永く駅子の租税を免除しています。