太閤検地以降、租税の単位が村と決められたが、中関の場合、村と五人組組織との中間に「平」という集合体があった。あるいは五人組の別称かもしれないが、五人組よりやや大きく、戦後のある時期まで「十戸(じっこ)」と呼ばれ、連帯意識があった。呼び名自体が消えつつある中、地名との関連もあり、問題提起として私見を述べたい。 ☆籠平、片手石、月夜島、京田平、繁行平、溝垣外平、宮崎平、下の平、原の平