因果応報
〜王舎城の悲劇の後日談〜
アジャセは父を殺害して王位を奪い取りましたが、アジャセもまた我が息子に殺害されて、王位を奪われます。因果応報。この世の変わらぬ法則です。

霊鷲山山頂から王舎城(王宮の町)を望む。ここから、鳥となって七重の牢獄まで、お釈迦様は飛んで行ったという記録があります。パラグライダーなら本当に飛んで行けそうです。
七重の牢獄跡から霊鷲山を望む 経典に悲泣雨涙とある。イダイケは涙で揺れるこの山に向かって、手を合せお釈迦様を頼ったのでした。
『観無量寿経』という経典に、一か所だけ仏様が笑う場面があります。それが「爾時世尊 即便微笑」「その時世尊(お釈迦様) すなわち微笑したまふに」のお言葉です。
王舎城の悲劇 〜お釈迦さまが微笑された背景〜
今から、2600年前、インドで最強を誇っていたマガダ国の王、ビンビサーラ王とその后イダイケ夫人は思いのままの生活をしていましたが、たった一つ跡継ぎが生まれないという不満を持っていました。そこで、王は占い師に相談すると、国内の山中に仙人がおり、三年後に命終えて王子に生まれ変わるといわれました。三年を待ちきれない王は仙人を殺害してしまいますが、仙人は死に際に「王は私を殺したのだから、私も王の子となって王を殺そう」と言い残します。さて、后が身ごもったことを知った王は、再び占い師に相談すると「この子は大きくなるとあなたを殺すだろう」と予言されます。迷ったあげく、王と后は出産の際、高楼から地上に産み落として死なせることにしました。ところが子供は地に落ちても小指を損なっただけで命に別状はなかったのです。
大きくなった王子アジャセは、お釈迦さまのいとこであるダイバダッタからその事情を知らされ、父から王位を奪い取り七重の牢獄に閉じ込め、殺害を企てます。又王を助けようとした、后もまた牢獄に閉じ込められてしまいます。
お釈迦さまが微笑された場面
ちょうどその頃、お釈迦様は牢獄の近くの霊鷲山で、弟子たちに『法華経』を説かれていました。 絶望した后は、その牢獄から見える霊鷲山に向かってお釈迦様に悲痛な思いを投げかけます。これを知ったお釈迦様は『法華経』を説く事を中断して、后の牢獄に赴きます。
后はお釈迦様に「なんで私がこんなひどい目に合わないといけないのか」と愚痴を言い始めます。「いや、あの子は本当は優しい子なのに、ダイバダッタ(お釈迦様のいとこ)にそそのかされてやっただけに違いない。だから、ダイバダッタが悪いのよ。そのいとこのお釈迦様も責任があるのよ」と、自分たちが仙人を殺し、アジャセさえも殺そうとしたことを棚に上げて、愚痴の限りをお釈迦様にぶつけます。
お釈迦様はじっと黙って聞いています。愚痴の行き所をなくした后は「もうこんな世の中は嫌だ、苦しみのない清らかな世界に生まれたい」と言います。お釈迦様は阿弥陀仏の国(極楽浄土)を見せます。
后が「私は阿弥陀様の国に生まれたい」と言った時、 「爾時世尊 即便微笑」
その時、お釈迦様は微笑ました。そして「阿弥陀仏ここを去ること遠からず」と続けます。
「阿弥陀仏の国は、実はあなたの近くにあるのだよ」と
お釈迦様が笑われた理由
お釈迦さまが一番手を差しのべたかった人とは、出家をしてお釈迦様の教えを忠実に守る者ではありません。出家をせずに世俗の中で暮らす后のような者にこそ仏の教えによって救いたい人でありました。
愚痴を言う后に対してお釈迦様は何も言わずにじっと聞いています。なぜ「仙人を殺し、我が子アジャセさえも殺そうとしたからだ」と言わなかったのでしょうか。それは、言っても仕方がない。そういうふうにしか生きられない者だからです。例え指摘した所は反省しても、また知らず知らずの間に同じような罪を作り苦しむだろうと。后が「苦しみのない清らかな国に生まれたい」と言って、初めてお釈迦様は反応します。阿弥陀仏の国を見せます。后が「阿弥陀仏の国に生まれたい」と言った時、そう思ってほしかったんだよ。それが唯一あなたが幸せになれる道だよ。良かった、わが願い(浄土に生まれたいと思ってください)がかなったと、思わずにっこり微笑まれたのです。
私は后を愚かな人だと笑うことはできません。后は現代の私の姿を映し出していると思えてなりません。因果応報といって、原因は自分自身が作り出しているのにもかかわらず、何か悪い事が起こると「私は何も悪いことをしていないのに」と思ったことは一度や二度ではありません。自分では気付かないだけで、多くの悪因を作り続けているのが私の姿だと、王舎城の悲劇を通して知らされます。
私もまた、后と同じように仏様から、阿弥陀仏の国に生まれてほしいと願われている一人です。

爾時世尊 即便微笑(そくべんびしょう)