法座の様子


1月1日の元旦会の様子




報恩講法座の様子

                   
 報恩講法要。御講師、福岡県飯塚市杣山先生。
 
友人が、入院したのでお見舞いに行きました。病室のドアを開けると、振り向く友人の目が黄疸で黄色でした。ギクリとして、その場で固まっている私に「こんな姿を見ると言葉が無いよな」と言いました。そして「このままでは終われない」とも言いました。何故、このままでは終われないか?分かりますか?自分が何者かというのが分からないからです。自分はどこから来て、何の為にこの世に生まれたのか?そして、何処に行こうとしているのか?そのことが分からないまま死ねない・・。


 聖典学習会の様子


 聖典学習会(阿弥陀経)14時~16時まで
 阿弥陀経に阿弥陀仏とはどのような仏様なのか?と言うと「彼仏光明無量・彼仏寿命無量」とあります。「光」とは空間という意味。「寿」とは時間という意味です。
つまり、時間と空間が無限な仏様であるという事です。空間と時間が無限という事を分かりやすく言うと「いつでもどこででも」という事「何時でもどこででも」という事は、私にとっては「今(今とは私なので)、私に」という事です。つまり、今私に届いている仏様の事を阿弥陀と名付けている・・・。

         お彼岸法要の様子



 秋季彼岸会。法話・西法寺住職。
 経典は必ず弟子の質問から始まっていきます。しかし唯一『阿弥陀経』だけは、お釈迦様がご自分の意志でご法話されておられます。
そして、このお経が晩年にお説きになられたということから「もう自分の命は短い、最後にこれだけは言っておく、大事な事だからよく聴けよ]
というお心でお説きになられたのでしょう。それでは、お釈迦様は最後に何を私達に伝えたかったのか?それは・・。

         お盆法要の様子





  盂蘭盆会法要。法話北畠晃融先生(前・築地本願寺宗務長)
 「子供の頃、朝のお勤めで誰かの命日の日には、三部経を父はお勤めをしていました。三部経はとても長いお経なので、私たち兄弟はお勤めが
始まってもなかなか本堂に集まろうとはしませんでした。三部経の終わりに近い、仏説阿弥陀経の六方段に入っても、兄弟たちが全員揃わないと、
六方段を繰り返し繰り返し同じところをお勤めして永遠に終わりませんでした。兄弟がそろうと私が父にそっと全員そろったことを伝えると、次に進み
やがて、三部経が終わりました。
 私が大人になって、父にその訳を尋ねたことがありました。当然、兄弟が集まるまで待っていたんだという答えが返ってくると思っていましたが、父の
返事は、そうではなく有難い返事でありました。それは・・。六方段はあらゆる数えきれない仏様が私を護って下さっておられるというご法話です。それが
有難くての〜。つい何度も何度も繰り返しあじわってしもうた。これを聞いた私は・・・。」」

戻る
  

              聖典学習会の様子


 仏説阿弥陀経は、お釈迦様が晩年に解かれたものです、そして唯一弟子の質問がなく、自らご自分の意志でお話が始まります。
 「もう自分の命は短い、最後にこれだけは言っておく、大事な事だからよく聴けよ」というお気持であったのでしょう。『阿弥陀経』が「出世本懐の経」と言われる所以です。
 それでは、最後にこれだけは言っておきたかった事とは何か?それは、他力念仏の教えでした。これに応えて聴き手代表である舎利弗は、お釈迦様がお話しされる間、36回名を呼ばれても、さらに4回も質問されても、仰せのとおりでございますと、ただ黙って聴いておられます。つまり、一切はからわずに聞く=「他力の信心の姿」を顕わされます。

 仏説阿弥陀経は短く親しみやすく、宗派を超えて多くの方々に読経されているお経ですが、とても大事な事を伝えておられるお経です。是非、ご参加されてお釈迦様のお心にふれてみませんか?きっと人生の見え方が変って参ります。皆様のご参加を心よりお待ちしております。


戻る