RURUからコラム欄とエンジェルカード

お知らせがあります。。カードのメッセージを引いて見ます。
いくつかのオラクルカードを使って、エンジェルからのメッセージをお届けします。
基本的には私の解説は付きませんが、お話しないといけない場合にはたまに付きます。

基本的にキーワードだけお伝えします。

どのオラクルカードがふさわしいのか、メールを拝見してこちらで選ばせていただいたり、
または、依頼者様が、気になるカードの種類を選んでください。

使用可能なカード・●PINK大天使オラクルカード(英語のキーワード)●青と黄色エンジェルオラクルカード - 天使のヒーリング -●水色エンジェルオラクルカード2 - 天使からのメッセージ -●黄色
フェアリーオラクルカード - 妖精からのメッセージ -●ユニコーンカード●マーメイド&ドルフィン●小さいエンジェルカード(あの人と私の関係について・あの人は、どんな人ですか?っていうのに適しています)
(天使カードはいくつもあり、似ているので箱の色も書きました)




カードの意味付け、解釈については自分で行ってくださいね。

自分の抱えている悩み、問題についての答えが知りたいときは、

その内容を教えてください。または、詳しい内容でなくて
結構です。恋愛の事とか、ご自身で色々と頭で思い浮かべてください。
私は、ただ、カードを引きます。


カードを引きながら「依頼者さんのこういったことに対してのメッセージをください。」

といった感じでエンジェルに尋ねます。

特になければ、「依頼者さんが今知る必要のあることを、

どんなことでも構いませんので、教えてください。」

というふうにエンジェルに尋ねていきます。

リーディングの結果は、メールにてお送りします。

カードの意味付け、解釈については自分で行ってくださいね。

依頼者さんが一番よく知っていると思うのです。

ゆっくりメッセージを読みながら、エンジェルとの対話を楽しんでみてください。

お試し価格で1件につき500円です。お振込み確認後、引かせていただきます。
お知らせでした・


徒然日記みたいなものをたまに書いていこうと思います。


2004/5/2(日)

来年赤坂で、ミュージカルをする外国人エリックさんの、詩の作曲をすることになり
ました。
10個くらいの詩を見たら、いっきに曲が聞こえてきたので、原宿のピアノのある
部屋を取ってそこで、曲はこのような感じでよいか?と聴きました。
アンティークのスタインウエイの譜面台に何故か電話などを置いたのが
気になったので、傷になるといけませんのでイスの方においてもらったのですが・・
なんで、電話なんでしょうか?

何か、その後コミュニケーションが取れていない感じなのですが。
日本と、その方の国の信頼関係のためにも、良い音楽を作るためにも
お互いに信頼を持ち続けないといけないとはおもいます。

音楽も尊敬が大切だと思います。
因みに、その詩から聴こえた曲の録音を友達が聞いて、泣きました。
良い曲だと・・




2004/04/09(金)

ルビーは、何度かテレビに出た事があります。
そして、犬がレポーターである番組の予備取材も受けたことがあります。
その時は、ディレクターの前で、ピアノと共に一緒に歌いました。
その犬の犬種は、彼女が気に食わない事が多い犬種だったので、
取材は没になりましたが、その後、
歌と犬などで検索をしていたら、その番組では、
犬とのCDを出したみたいなのです。
こちらのほうはサンプリングを利用したものみたいですが。
良く、ruruの人生の中では、アイディアだけ、
向こうのものにされる事が多いみたいです。
ruruは、アイディアが豊富な方です。
でも、そのアイディアを一緒に生かす人や
アイディアだけを盗まないで生かしてもらえる人に
であったことがないので、悲しいです。

ルビーは、本当に素晴らしい犬歌手の第一人者です。
人徳いえ、犬徳もあります。
だから、ruruは、ルビーに出会ったことだけは
この人生の中で、ハッピーだと思っています。
だから、他の犬や、グループでは
出来ない事がRURU&RUBYでは
出来るのだから、どうか、そのアイディアだけパクらないで、
私達を、使ってくれれば良いと思うのですが。

こういうせちがらい世の中だったので、
あまり、表には登場したくなかったでした。

でも、生きているうちに、なんとか
良いものを造りだしたいと思っています。

因みに、以前テレビに出たときは、かなり可愛いいと
反響があり、電話がかなり鳴っていました。
でも、なんとお話してよいのかわからなくて、
一度も、電話を取れませんでした。
今度はチャンスをきちんと生かせるようにしたいと思っています。

もし、何か、協力をしてくださる方が居たらよろしくお願いします。
たとえば、この出版社やこの人なら大丈夫とか。
後は、出版社との付き合い方も教えてください。

このHPの、フランス語や英語の翻訳もお願いしたいです。
そんなボランティアはたいしたことはないと、思える軽い気持ちを
持ってくださる方に是非お願いしたいです。

ルビーの犬徳について、こちらにも書きます。

rubyは、とても優しい犬です。思いやりがあります。

rubyの女友達のネーネーは、rubyと仲良しです。いつもネーネーの家の前にあるネー
ネーのハウスに遊びに行きます。お散歩の時は、必ず、ネーネーとお話をします。女
の子同士、優しく静かにお話をします。ある日ネーネーは、rubyと私の歌を聴きまし
た。ネーネーは、びっくりしました。本当はネーネーも歌いたかったのは、ruruは
知っていました。なぜなら、たまにネーネーは、おーんと、吠え声を長くするロング
トーンをやっていたからです。でも、ネーネーは、ruru&rubyの演奏を聴いて、照れ
て居ました。ruruは、ネーネー良いんだよ。一緒に歌おうと言って、
ruby、lalala,,rururu  ♪の歌のスキャットの中に、ネーネーというフレーズも入れ
てみました。ネーネーは何度か歌おうとしたけれど、そんな風な身体の体制、つまり
上体をたてて、しっぽも立ててという感じにはなったけれど、やっぱり恥ずかしく
て、それからrubyに遠慮して、歌えませんでした。rubyは、その時、最初に、歌わな
くて、ネーネー歌ったら?って感じで、遠慮をしましたが、ruruが、ruby!!♪と大
きく歌ったので、すぐにノリノリになって、歌いだしました。その時は、ネーネーの
パパも見ていて、びっくりしていました。それから、ruru&rubyのコンビは、何度も
ネーネーの前で歌って、一緒にネーネーが歌えるようにしたけれど、やはり、遠慮し
たり、
uuuu♪と少し、小さく唸ったけれど、胸をぴんと張ってとまでは行きませんでし
た。ところが今日は、ネーネーと遊んでいたら、ネーネーーのパパが帰ってきたら、
uo--nuo-nnとロングトーンをしています。あれ?ネーネーは歌っているつもりなのか
な?と思って、ネーネーのパパに聞いたら、ruru&rubyの生演奏を聴くようになって
から、影響を受けてこんな風に歌うようになりましたと、教えてくれました。ruby
は、やさしいので、「ネーネー歌ったのね。」って感じで、しっぽをふって、ネー
ネーも恥ずかしそうにしっぽをふって、お互いに鼻や顔を近くに近づけて、親愛のラ
イトキスのような風にしていました。rubyはネーネーが歌っているときは、一緒
に歌おうとはせずに、黙っていました。

実は、昔のrubyだったら、黙っては居なくて、一緒になって歌おうとしたり、
「私のほうが上手いわよ!」って感じになっていたこともありました。その時は、他
のお友達で、「ボクに歌わせろよ!ふん!」、「ねえ・・ruruさん、どっちが上
手?」と競う感じになっていました。

でもネーネーとは、とても優しく見守って、「歌っていいわよ。さあ。どうぞ。」っ
て感じで、鼻をふん・・と上下に動かすようにするのです。

ネーネーはrubyと会うまでは、同じ敷地に住むシロ君以外とは、親しくしたことはあ
りませんでした。rubyが初めての親友だったのです。

さて、今日はルビーは新しい犬友達に会いました。飼い主はびっくりしています。
「いつもは、この子はワンワン吠えてうるさいのに、今日は何故かとても静か
です。」いつもそういう報告を受けます。そして、その新しい犬友達と飼い主に歌
を、お聞かせしたら犬は、首を180度近く、くるっ、くるっとふって、
とてもフシギそうに聞いていました。
実は、ルビーにはフシギな秘密があります。いつもは、ワンワンと吠えてうるさい犬
などと親しくなる能力をもっています。
大抵、他の犬とは遊ばない、他の犬にワンワンと吠えてしまう犬とは仲良くなれま
す。だから飼い主がびっくりして、「ルビーちゃんはとても
大人しくて優しいから家の子も静かになったのでしょうか・・」等と言います。

今日は、新しい犬友達の飼い主は、ルビーのさりげない気配りと繊細さにびっくりし
ていました。
新しい犬友達の飼い主がどうしてもルビーに触りたくなってしまって、なぜようとし
たとたん、飼い犬は嫉妬をしました。飼い主は
嫉妬をするのは、わかっていたけれど、どうしてもルビーに触りたくなったのです。
そしたら、ルビーは、飼い主に背を向けて、
別な方向を見て、そ知らぬふりをしました。そしてruruは通訳をしました。「ルビー
は、今は、飼い主さんと仲良くしたら、犬関係が
悪くなるのがわかるので、こうやって、そ知らぬふりをしているけれど、過去にそう
いうことがありましたが、もしオタクのわんちゃんが
傍にいないときには、さっきはどうもーーーってきちんと挨拶するんですよ。」と伝
えました。そしたら、本当に、すごい気配りで、
とびっくりしていました。

ルビーは、犬はとても嫉妬をするというのを知っているのでとても気をつけます。
そして、いつも、私の言葉に注目して、言葉のほとんどを理解していることを今日知
りました。



2004/03/1(月)

自分のことをちょっと思い出すと。
実は、あまり思い出せなくなっています。多分、最近色々な方々からヒーリング、癒していただいたからかもしれません。
もちろんその中には天使や神様や妖精達のお導きは沢山あると思います。本当に不思議です。
Kさんに、写真をみてリーディングをしていただきました。そのとき、あなたは天使でした。ずっと地球に人間として来たくて来ました。だから雲や空を見るのが大好きです。と。だから私は世界中を旅して見てみたいんだなあと思いました。
その手紙を受け取ってから、いきなり自分に羽が生えて足取りが軽くなったのを感じました。
今まで、この地球という所は、どこも駄目だ。私はどこの星に帰ったら良いんだろうかなどといつも孤独を感じていたら、とてもその一言で、楽になったのです。フシギです。
例えば、Tさんにキネシオロジーでやってもらった時、と後では顔が違うのです。身体の軽さも違うのです。
そして、先日アメリカの方Tさんにリーディイングをしていただきました。羽がついていますよ。声も天使のハイバイブレーションですね。と、言われました。
リンクにあるDaxCafe2 のkaeさんからも、あなたは、ライトワーカーです。言うならば、みんなに光を運ぶ人です。と教えていただきました。

今は、、地上に住みながらも天上界に居るような天使のような人たちと付き合いたいと願っています。
大分、人生に疲れてしまったようなので、羽の生えた人たちと付き合いたいです。

昔は、私がそこに存在するだけで、人のやっかみの対象になっていたようで、私という人間を把握できないために、攻撃してきたり、疑われたりしたのです。それまでは、私は何も悪いことをしていないのに、いつもびっくりしていていました。(少数の友達は、私に親切にしてくれて、私という人間をかってくれていました。)
そして身構えるようになりました。私はいきなり人から失礼なことをされてもその場で怒れないのです。何が起ったのか把握できなくて、理解できなくて他の人に、こういう状況はどういうことなんだろう?と、聞くと、え??どうして怒らないの?おかしいよ。と教えてもらったりしました。今は、教えてもらわなくても、大分後からあれは不条理だとわかるようになりました。

なんと人間とは難しいのだろうとおもっていました。
昔は私が悪いのだと思って、性格が良くなる本とか人から好かれる本、図太くずうずうしく生きる本、というのを沢山読みました。そして本の通りを実践しようとしたりしていました。

ほんとは、私は、宇宙の中で大きな一本の木だそうです。そして大きな羽が生えているらしいです。T・Hさんが教えてくれました。でも今では、そのことをすっかり忘れてしまって居て、地面に居る。

いつ地におちたんだろう?とか何時から人前にでるのが嫌になってしまっただろう?って色々と考えて思い出してみました。まだ、わからいんですけどね・・

ところでちょっとだけ心理学みたいな傾向のお話です。

以前、羽の生えた個展という、CDと絵と詩と写真の個展をしたときは、天使が沢山居た感じでした。天使のような人たちも沢山来てくれました。
天井には、白い和紙をふわふわと張って、壁も床も白。もちろん個展会場には、RU様も来ました。

最近は、私という人間を把握してくださるのは、天使のような方達で。私が沢山喋らなくても、好意的にとてもよくわかってくださるので楽だと感じたりします。
疑ったりする心をその方々が持っていないので、楽です。正直に普通に何でも話しができるからです。

把握という話で、思考の基盤という話を思い出しました。

犬との音楽をやっていると相手に告げると相手の反応が二つにわかれるのです。
口元が少しゆがんだ笑いを含んだ表情で、へえ・・・とか、、頭おかしんじゃないの?という感じの人と。
誠実に、謙虚にどんな感じなんでしょう?という人と。
つまり、知らない概念に対して、知らないということに謙虚になれる人と、自分が知らないから想像できないから考えない、またはコミュニケーションしないというパターンなど、、まあ中身は色々な推測が成り立ちますが、大まかに、反応としては、受け入れる、受け入れないの二種類があります。

それを考えると、昔の、天動説と地動説の話を思い出します。想像できないから信じないと。つまりその人の思考の範囲や未知へのものに対する謙虚さがそこでわかってしまうのです。

今までは、面倒になったのであまり人には犬とグループを組んでいることは言いませんでした。
HPをやっとするようになりましたが・・・
でも、実際に、アカペラなどで即興で二人で演奏すると、犬の声が、ケガレが無い美しい声だといって泣いた人が二人居ました。

そうなんです。
もう一つ。
犬との音楽で、の思考メカニズムでは、先ず、犬というのは、「歌わない吠えるものである。」という概念がその人の頭にしっかりと刻み込まれてそれがゆるぎない頑固な思考になっているときには、上記のような反応は出ないわけです。
ですから、犬の声が美しいといって泣く人は、犬だからという既成概念をあまり持たない柔軟な思考なのかもしれないと思うのです。だからそういう人に会えるととても嬉しいです。


2004/01/28(水)


今日お散歩ru様とお散歩の時、たまたまであった婦人に、私達の歌を道端でお聞かせしました。
そしたら何か、声楽でもやっているんですか?随分深みのある良い声ですね?とびっくりされたので、私が、リーディングをしてもらった時に言われた、「あなたの声は、天使と約束したハイバイブレーションです。」というような話をしたら、「そうですか・・とてもよくわかります。」といわれてびっくりしました。
またピアノの先生から、「あなたの役目は色々な人に音楽を届けることよ。」といわれて先生自ら沢山CDを買ってくださったのでもう、自分はきちんとしないといけないと思っていると、そのご婦人に話をしたら、「私もあなたの歌を皆に聞かせるべきだとおもう。なんとも深みがあるもの。わかるわ。」と私も買わせていただくわといって、家に私達を連れて行きました。そしてお金を渡してくれたのですが、私がお金は、「後でお届けする品物と一緒で良いです。」と言っても、「さっき歌を聞かせてもらったし、今で良いのですよ。」と、言われました。本当に、びっくりしました。そのご婦人が天使みたいでした。

想い出すと、たまに、例えば電車や、授業で、イベントで一度切り出逢った人、ただ、隣り合わせに座っただけの人、そんな人達が、私に、お金を先に渡してくれるのです。「大丈夫。」「信じているし。」「あなただから良いの。」と言われます。とてもなにか勉強になりました。

5日後くらいのことでしょうか?
そのご婦人(フォーションの紅茶が好きな方でした)のその後のお話です。
私は、今日太陽を見ながら、太陽に愚痴を言っていました。気がついたら。
そしてふとみたら、このあいだCDを買ってくださったご婦人が、立っていました。
私の事を、「あなたが歩いているとき妖精が歩いているかとおもったわ。。妖精みたいね。あなたを見ると大抵の人は妖精や天使に見えるか、何かとってもフシギな何かに見えるじゃないかしら。」みたいなことをいわれました。
私は私という得たいの知れないフシギな人間を見て、かえって私を、攻撃したり意地悪をする人もいる話をしたらとても悲しい顔をして、びっくりしていました。あまり悲しいことは話さないようにしようとおもいました。

でも、確かに、人間は合わせ鏡だし、その人のなかにあるものが見えたり、その人の中にないものを、得たいの知れないものとして恐れたりするのかもしれないなあとは思いました。

エンヤとかミリオンセラーの人はこういうfanの人に出くわすっていうのはしょっちゅうあることなんだろうなあっておもいました。
でも、本当にfanの人たちに励まされるということは、こういうことなんだなあと、思いました。




プロフィールをもう少し付け加えようと思いました。
仕事歴など。

プロだとは思わないと思われることが
たまにあるのですが、その方達からは
音楽能力検査などは受けた事も無く、
また、その方達は音楽の専門家ではないので、
どうして、そのように思われるのかと
今後の課題です。

音楽的にレベルが低くい高いは関係ないということは
良く世の中で見かけることも多々あります。

今年始めに、相手にわかりやすくする
工夫は必要だという、お話を見ました。
「貯金の話題」という冊子(2004年3月号)を郵便局で手にとったら、
ヘア・メイク・アーチストの藤原美智子さんのお話が出ていた。
ここから引用です。
*メイクというと、つい外見だけを取り沙汰しがちですが・・
「外見だけではだめなんです。日々蓄積されたものがでてくるのが人間。
やっぱり内面がにじみでてきちゃうんですね。一方『私はいつも誤解
される』と思うなら、内面と一体化できるような、外見にしていけばい
い。外見で内面をわかりやすくしていくことも、人に対する優しさだと
思う。」外見を支えるのは内面。悩んで見つめなおして、自分を受け入
れること。「自分を否定してるときって、自信がもてない。自分はこう
いう人間なんだと認める。私はこれでいいんだって、腹をくくったとき
に、自信の入り口に立てるんじゃないかな。」*引用終わり。

とても私の話題に大切な内容かもしれないと思いました。
誤解されにくくするには、外見で、内面をわかりやすくすることが親切
である。
単純な話ですが、私が、髪の毛を長くしていると女性らしく見られまし
た。そして、親切にされることや優しい風に見られることも
多かったです。そして、髪の毛を例えば、5センチくらいのカットにす
ると、ボーイッシュに見られて、男に見られることもありました。
髪の毛だけでもこんなに印象が違う。中身は同じ人なのに。だったら、
内面と外見を同じにすれば良い。
これは、音楽だったらどうなのでしょうか。
ただし、相手は、相手の投影で鏡で人を見ることが多い。
だから、人からこう思われるからこうしようとか、
いちいち相手には合わせることは不可能だし疲れるし
やはり自分らしく居たいと思います。

今まで、私は素晴らしい方達にも、出会ってきました。
世界的に名の残る歴史的に有名な研究者の方々・・他にも・・
生きているうちに人名辞典に載ってしまう方(恩師でもある教授も)・
・共通することは、とても謙虚で率直であること。
そういう方達は、とても気持ちが良い。
お話をしていても・・
天才なのだと思いました。
虚飾がなくて。

そのような先生方と触れ合ってから、
自分もそうなりたいなあと思ってきました。
偉ぶらない。去勢をはらない。そのままである。

しかし、そういう人を見るとつっつきたくなったり、意地悪を言いたくなったり
自分の方が上であるとかヒエラルキーを持ってこようとすることも
見たことはあります。

これはどうしてなんだろう?とその心理メカニズムを考えていたら、
精神世界の鉄人さんのメルマガに良いことが載っていました。

☆バックナンバーもあります。↓ 転送、OKです。☆とあるので
こちらに引用させていただきます。
"melten ID 5512" [ 精神世界の鉄人 No.191 2004/04/15]
人間 2 戦士の銃

色々と中略をしています。


<自分自身も、多少そのような傾向もあると思いますが、友人に、この
タイプの男が、とっても多いです。
<このタイプに多い特徴として、「心がやさしすぎて、周囲からナメら
れる」ということです。

名前は伏せますが、友人に、ある格闘技の世界チャンピオンがいました
が、彼など、その典型的な人間でした。
あまりにも強すぎるために、格闘技の試合では、全力で相手を、殴った
り蹴ったりできるのですが、
普通の日常生活で、一般人を殴ることが、できないという腕力をもって
いました。そのため、日常生活で、
格闘技の素人たちから、侮辱されたり、バカにされても、じっと耐える
のです。耐えるしかないのです。武道家でもあり
、礼節に関しても、厳しく訓練さえれているので、礼儀正しすぎるので
す。理不尽なことを、言ってきたり、
やってくる人に対しても、常に、敬語を使い、礼儀をつくすのです。
普通の人であれば、怒ったり、ぶん殴ったりする場面でも、彼は、やら
ないのです。なぜなら、彼が、一発ぶん殴ったら、
相手が死んでしまうからです。彼のキック力など、ある大学の研究所で
、計測したら、1トンもあったそうです。
「強すぎて、その強さが使えない。全く、普段の生活に、活用できない。」
これが、彼の弱点でした。強すぎて、怒ることもできないのです。
私は「もう、一生、ぜったいに人は殴らないぞ。」
と自分で、自分に対して、ルールを決めました。
でも、この自分に対して決めた、このルールのために、24歳の頃、東
京に上京して、サラーリーマンになってから、
周りの人たちから、ナメられっぱなしになり、苦しい状況になったこと
があります。
私が、「人を殴れない」ということが、うすうす会社で、わかってくると、
「トーマ君って、本当にやさしいんだねー」と言って、
とても親しくなって仲がよくなる友達と、「トーマの奴は、体格はいい
が、あいつは、本当は臆病だ。ナメてやれ!」
とばかりに、喧嘩をふっかけてきたり、悪口を言ってきたり、理不尽な
ことをやってきたり、侮辱してきたりする連中も、いました。
入社したばかりの頃、最初に配属になったセクションに、佐藤さんとい
う主任さんに、お世話になりました。とっても、親切で、やさしい人で
した。
お兄さんのように、いろいろなことを、教えてもらいました。仕事のこ
とや東京での生活の仕方まで、とってもよく教えてもらいました。
ただ、たまに、こちらが、ムカッーとするような理不尽な仕事を押し付
けてきたり、悪口や皮肉を言ってきたりするのです。
でも、お世話になっていることもあり、なかなか言い返せません。歳も
7歳上だし、仕事の能力もぜんぜん違います
。だからといって、ぶん殴ったり、蹴ったりするわけにもいきません。
ただ、このままだと、毎日会社に行くのも億劫になり、
どんどん神経がすりへっていくような気がしてきました。
出張の時に、電車の中で、缶コーヒーを佐藤さんと二人で飲みました。
その時に、飲み終わった直後に、いつものように、
指で、その缶コーヒーを、二つに曲げて佐藤さんの前に、置いてみまし
た。ゴッキッという音がして、350ミリの硬い缶が、
簡単に曲がったのを見て、佐藤さんが、「すっ、すげー!! こんな凄
い握力、生まれて初めて見たー! トーマ君って、やっぱり、
凄い力持っているんだなー!」こう叫んで、、飛び上がらんばかりに、
驚いて、しばらく、目を丸くしたまま、その缶を眺めていました。
自分でも、その缶を握って潰そうとするのですが、缶は、ちょっと凹む
だけで、全く歯がたたないようでした。
佐藤さんは、その缶を、東京に着くまでの2時間以上、ずーっと、眺め
ていました。
面白いのは、その後です。翌日から、会社に出社して、気がついたので
すが、佐藤さんが、
私に対して、全く、悪口や皮肉も言わず、理不尽な仕事も押し付けてこ
なくなったのです。佐藤さん以外の人たちも、
私に、妙に、やさしくなったのです。どうやら、佐藤さんが、私の腕力
が、凄く強いという話を、皆に、言いまくっていたようなのです。
その後、このことをキッカケに、だいぶ、会社生活がやりやすくなりま
した。そのとき、気がついたのですが、
佐藤さんが、私に対して、悪口や皮肉、理不尽な仕事の押し付けなどを
、やったのは、確かに、佐藤さんの性格などの問題もあるのですが、
私のほうにも、問題があったということでした。その当時、何かの武道
の本で、
「男は、本当に強くなって、刀は鞘の中にしまう。そして、めったなこ
とでは、抜かない。しかし、もし抜いたときは、
一刀両断のもとに、相手を、一撃で、たたき斬る。それが、本物の武道
かであり、武士だ。」
このような文章を読み、「これが、カッコイイ!」とばかりに、普段か
ら、絶対に、自分の腕力が強いことを、人に見せないようにしていまし
た。
そのほうが、慎み深く、謙虚で、カッコイイような気がしたからです。
しかし、皮肉なことに、私のこの姿勢が、周囲から、ナメられ、自分自
身も不愉快になり、窮屈な思いをすることになってしまい、
また、結果として、周囲の人たちとも、うまくいかない原因になってい
たのでした。
「強さ」というものは、あまり見せないようにするのも、かえって問題
なのだということが、よくわかりました。この出来事が起こってから、
私自信、あまり謙虚になるすぎないように、すこしづづ、自分の強さを
、アピールするようにしました。
強い人たち同士だと、このような面倒くさいことをやらなくても、相手
の筋肉のつき方、立ち方、歩き方、姿勢、目つき、なにげない動作、
話し方などから、相手が、どの程度強いのかというのは、すぐにわかる
ものです。それまでに、私の周囲には、そういう人たちばかりだったの
が、
会社に入ってから、「いちいち、自分の強さなど、見せなくてもいい。
そのような行為は、男らしくない。謙虚じゃない。」
という理屈が、通用しないことが、わかりました。それを、「刀を、鞘
の中に、しまいぱなしだと、ナメてくる人間もいる。だから、全部抜い
て、
相手を斬る必要はないが、その刀は、竹光などのような偽物ではなく、
真剣で、人を斬れるだけの腕ももっている。こういうことを、たまに、
抜いて、人々に、見せることも大事だ。たまには、鞘の中の刀の光を、
チラリと見せる必要がある。それが、結果として、人を斬らないという
行為に
つながりやすい。」
こういう哲学に変えたのです。
上記の格闘技の世界チャンピオンの彼も、私が、この会社での話をした
後、
これの趣旨をわかってくれたらしく、それからは、たまに、嫌な相手の
前で、突きや蹴りなどを、これ見よがしに、
目の前で、やってみせるようになったそうです。やはり、それをやうる
と、周囲が、ビビってくれて、ナメられなくなり、
自分も気持ちよくなり、結果として、周囲の人を、殴りたくなる衝動に
も、ならなくなったそうです。周囲の人も、
彼に殺される危険が回避されたのです。
彼などは、ムチャクチャ強いのに、本当に、よくナメられていました。
あんまりにも、ナメられすぎて、
自分でも、たまに、世界チャンピオンだということを、忘れたような発
言をするほどでした。
「強さや怒りのエネルギーは、溜め込むのではなく、少しづつ、出すよ
うにしたほうが、状況がよくなることが多い。」
ということです。
自分が本当は弱いのに、強いふりをする。見栄をはったり、虚栄心をも
つこと、自信過剰のことを、仏教用語で、
「増上慢」というそうです。逆に、自分が本当は強いのに、弱いふりを
する。謙虚になりすぎたり、卑屈になったりする、
自信喪失のことは、「増下慢」というそうです。どちらも、エゴです。
「実るほど、頭の下がる稲穂かな。」
という表現もありますが、頭も下げすぎると、ナメられるということで
す。
日本の官僚などは、いわゆる、「育ちがいい」という人が多いのでしょ
う。コメントを聞いていると、やはり、
「性善説」のような世界観をもっている人が多いようです。たぶん、話
せばわかりあえるような友人たちに、囲まれて生きてきたのでしょう。
これは、「精神世界」が好きな人たちも、似たような傾向があるかもし
れません。
*******************いくつか中略しました。**

************************

○また、続きを書きますが。
私には照れのようなものがあります。一般に音楽をやっているというと
、いきなり私も音楽をやっていた(のに)。
とか「羨ましい。」と言われる事があり、
「羨ましい。」という言葉が苦手な私は、音楽をやっているとはあまり
人に言わないことにしてしまいました。
{「羨ましい。」と思えるくらい良いことは、沢山他の人の中にも転が
っているし。}
でも、最近は、そういわれたら、(本当はその期間は少しであっても)
、昔は一日6時間練習したとか、足の皮がむけるほど
電子オルガンのぺだりんぐの練習をしたと伝えます。そして3歳になる
前から、ピアノの習い、また、生まれる前から胎教で
音楽を聴いていたと答えると、何故か、相手から嫉妬というかそういう
エネルギーが少なくなることがあります。
これは少し不思議なことなのですが。
努力したのだったら、、、違うんだ。じゃー。認める?ってことなのか
わかりません。
話はそれました。
○ダビングしないで。

ある日友達の家にCDを持って遊びに行きました。
その友達は私がプロでどのくらいの経験を持っているか等は
知りませんでした。
自己紹介のつもりでお聴かせしたらとても気に入ってくれました。
私もとても嬉しかったです。
そしたら、そこの家の人が、「じゃあーあとでダビングしておいてね!

と言いました。私は、?????えええ??とびっくりして、
一応売っていますと伝えました。
話をしたので、もちろん友達は、私のCDを買ってくれました。
一応、きちんと話をしたつもりでしたが。
その後、友達との会話の中で、他人の著作であるお気に入りの本を、
「お金を取らないで皆にあげているの・・私は・・」といわれました。
多分、音楽とかそのような無形のものでお金の交流をするのは
嫌だったのだろうと推測しました。でもどうして
ものすごい気に入ってくれて私もその友達が好きなのに
そのように言われるのかわかりませんでした。
でも、一般に売られているCDは、買いますよね。
だからちょっと理解が出来ませんでした。
私は、音楽で生活をしているので。といっても通じなかったのかもしれ
ないと、
推測しました。
そして、その後話しをきいたら、音楽をやっている人というのは、
天上の存在か、または滅多に会えない、テレビの中の人のような
人であって、つまり有名人でなければいけない。
私のように、普通に喋って、そこに居る人は、認められない
のであることがわかりました。おまけに
{今まで自分がどんな事をする人だとはあまり言わなかった。
言っても、思考外だったらしく、反応はなかった。}
初めて、知っている人でCDを売っている人を見たとのこと。
これは、一つの話ですが、
こういうことは確かに、過去にも多々経験していました。
○CDは、私のピアノの恩師が沢山「私がこうやって買うんだから音楽
でお世話になる人以外には、
他の人に簡単にあげてはいけません。」と言われているので、
私はお世話になったときは、CDをあげるかわりに、別なものを
プレゼントしたりします。

○親友の家に行ったら、親友の家族と共にCDを聞かせようとしたら、
聴く事は中断され、CDジャケットの裏をみて、「大手じゃないんだ。

で、終わりました。多分、私がCDをプレゼントしてくれるのだろうと
思って、
途中で聴くのをやめたのかもしれませんが。
ここで同じ場所に存在する人が、音楽をやっていて、何か面白いことを
しているということが認められない、認めたくない、面白くない。
と、そう思っている人に多く出会いました。
{でも頑張っている人は、人が頑張っているのを応援してくれます。
 楽しんでいる人は人が楽しんでいるのも喜びになる。}
だから、そういう反応の相手を読み取って、
たいしたことないですから・・という自分を演じるようになってしまい
ました。

でも、自分の魂さんには失礼な話だったかもしれません。
可愛そうに・・・自分。「たいしたことない」とか、「素晴らしい」と
か、そんな
ふうに上げ下げシナクテ良い。
そのままでいい。
相手のプライドを高めるために、相手が自己満足していられるように
自分を低くする。
でも、これは、自分にも相手にも失礼なのですが。
相手の、「楽しい事をやっている人は面白くない・・・」
これは一番見たくないことでした。
最近は、楽しい事をやっている人に会うようにしているので
そういう人は、見ないみたいです。
でも、つい最近ピアノ関係の人から、ちょっとだけ嫉妬をされて
しまったらしくて、すごく疲れたので、本当に、私はなんでもないです
から。
と何度も言ってしまいました。このエネルギーも欲しくないので
自分を卑下しないでそれをそらす方法を知りたいです。


○片目でウインク

この間、冗談で、フランス語圏アフリカの人に、冗談で、
vagabon (住所不定無職の意味)と言ったら、
呆れられたか、おかしい人だと思われたかもしれません。
顔が引きつっていたし、その後の会話がおかしくなりました。
アフリカ人のフランス語の先生からは、絶対に使わない用にといわれて
いたのですが・・

でも、エリックサティだって、すごく生活に苦労したり、そんな風だっ
たんじゃないかなと
想像したり・・音楽って、吟遊詩人っていうのもあるし・・・
もっと自由にどこでも風のように存在する!
これは、OKで面白いと思っていたのですが・・
読んだ本で、きちんとした職があっても、自分は何でも為れる可能性が
ある
という意味も含めて、フリーターと自分を呼んでいるという
話を見て、面白い!自分に自信があってこそ、そう言える
すごい素敵な世界だと思うのですが。鉄人さんの話のように
話が通じる人以外は、無理な話ですよね・・
私の知っている教授は、名誉教授で退官後は、自分は
新たな学びだから、「学生さんです。」と言っていた
素敵な方が居ました。
でも、これも通じる人にしか通じない世界ですね。

でも、片目でウインクするようなこういう
事が通じると楽しいです。
さて話は戻りますが、
最近、でもどんな人の前でも、どんな所でも自分のパワーを出しても
かまいません。自分のパワーを出す事を恐れるなと、
天使カードは言います。

○昔は、だんだん、音楽をやっていることをいわなくなったら、
だんだんその世界からも遠ざかるようになってしまいました。
これも鉄人さんの話に少し似ています。
そりゃあそうですよね。
{昔読んだ本、アランさんの本だったでしょうか?
*:後で確かめます。
あるテレビ局がふざけて、あなたは○○様ですか?
見たいな、たしか宗教の教祖か何かみたいに
その人を神様みたいに優しい人であると
持ち上げることをやりました。
また別な人にもやりました。
皆そんな人格になりました。っていう実験番組があったそうです。}
一体自分は何者なんだろう?と思うようになりました。
過去に一度、真剣に音楽を考えたら、音楽の世界から遠ざかった事があ
ります。

絶対音感があります。
で、全ての音が、音感に反応して、音程としてとらえられ、
人の声もリズム。生活全てが、音楽。
歩く時は、裏拍で歩く練習をしたり。
音楽を聴いたら楽しめなくなり、分析してしまったり。
疲れました。
音楽が、苦になりました。それから
音楽の業界とかが、複雑すぎて
どうわたっていいのかもわからなかったり。
一度音楽から離れたらどんな風に音楽が見えるかと、おもって
それからは、しばらく写真を撮っていた時期がありました。

でも、ある日、プロのカメラマンに、
私の撮った写真から、音楽が聴こえるといわれて。

そうか・・「私は音楽」なんだ。とまた、なんとなく復活しました。

○ミツバチぶんぶんの話。

他人が私が音楽をやっているとか聞いた、昔の反応は、

所属は?学校は?専攻は?先生は?

まるでミツバチのようです。ぶんぶん。うるさい。

今はそういう人に出会わないようなりましたが。

これをヨーロッパ人の友達にしたら、
信じられないとびっくりしていました。
日本らしいね。
音楽を聴いてもそれで納得しない。
自分を持っていない。

他人が良いといえば良い。
有名なのは他人が良いといったから有名になった。
だから有名なのは良いとか・・

でも、私も分野外の事は良くわからない。
例えば医者の腕とかも、専門家から見るものと
患者から見るものは視点が違う。
だから同じなのかもしれない。

けれど音楽や絵は、違う。でもどうして違うかは
今はまだわかりません。

独り言なんですけどね。

○面白い話があります。

私は、先日とある作曲コンクールの最終選考舞台審査に残りました。
生まれて初めて気まぐれで出したら100人以上の応募の中残ったのです

が、
結果は落選しました。知合いの人のピアノを貸しましょうか?と言われ
たり、
親切にしてもらったり、音楽に必要な誰かを紹介してもらえたり、
曲や演奏についての批判ももっと尊敬と愛を伴ったり、
何か、自由に事が運びそうになることがわかりました。
結果がでていなかったので、上京でお世話になる人以外にはあまり、
言っていないけれど、何か、以前とは違った対応がありました。

これが社会の法則なのか??・・・って少し知りました。

何か、一つ世間体の良い所を通過しつつあると、あるタイプの人から、
物事がスムーズに動きやすくなる対応を受ける事を知りました。

今まで、そういうことは恥ずかしい事だと思っていたのですが、
どんどん、世間体を良くしてみても良いかもしれないと思い始めていま
す。

今までは、わかる人にだけわかってもらったほうが、
自分としては楽だと思っていました。

そして自分のことをいろいろと言わないせいか、
(有難いことに天才の人には理解されます!!言葉は要らない。)
ホールでピアノを借りる、有名なピアノを借りる時も
ピアノ屋に入るときも、商売で生きているような人には、
値踏みをされて、最初の段階で、、もう良いや・・疲れた。
と私も相手を値踏みしてしまう事がありました。

だれだれの紹介なら・・・という世界も見てきたし・・

あなた自身は、あなたという者をもっていないのですか??
って何度も言いたくなることは多々経験してきました。

ある程度何か、世間が認める何かを見せたり、得れば
私にとっては面倒な人種とは、摩擦を起こさなくてすむことは
理解しました。

多分、私にとって面倒な人種には、だれだれという有名人と
知り合いですとか、そういうことを言うと楽に何か事が、
運びそうな気はしましたが、それはしたくないとは思います。

以前は、そういうことで悩んでいたら、
アラン・コーエンさん(先日彼のセミナーを受けました)の
本に、その答えが書いてありました。有名人の名前がないと
存在できない人はその人自身はどこにいったのか。
その人自身もとても素晴らしいのに。

私もそう思います。
音楽だけが特殊じゃない。なんでも素晴らしい。
マッサージが出来る人も素晴らしい。料理が得意の人も
素晴らしい。優しい人も素晴らしい。それぞれが
皆素晴らしい。それは思う。
いつもそんなふうに相手には言います。

(でも、その発言は、ヒエラルキー好きの人には、私を下に見たくなっ
たり
良い関係が作れなくなる結果になることもあるみたいですが。その弊害
もある。)

最近は、世の中に旧時代的な面倒な人種が少なくなってきた
気がします。というかそういう人と出会わなくなってきて嬉しいです。

本当は大好きなピアノがあるんですが、うっとりします。
そこを借りる時、二人、人がいて、一人は大好きな
天才肌の人で、もう一人は、初対面で装飾を質問してきた
人なので、多分、借りる前に気分をそこねて、
即興演奏という生ものの、イマジネーションが
狭くなったら嫌だなって思っています。
でも、装飾好きの人を意識するのはもっと
ばかげているので、それはやめようと思っています。
でも、そのもう一人は私がそういう装飾な事を言われることが
一番嫌いだって、知らないでしょうけれど・・
まあ・・でも、この間、顎で、合図されてしまったしな・・

高級品を扱っていると自分まで高級な人になった気になる人が
居るのは知っているので。
本当に高級な人ってたぶん、違うんですが・・まあ・・いいか。

あまり色々なことを考えないで行こうと思っています。
その方が絶対良いので。


苦手なことは、先入観で見られること。カテゴライズされること。これ

はどちらも、その人の今までの経験が生み出した幻想。
これがあるとお互いに窮屈になります。相手が希望する良い子、それは

子供時代だけで十分。人間も物事も多面体。ありのまま。
周りの優しいエナジーは、幸いです。それは良い音楽の助けになります


お願いします。これは、HELP ME です。