Just one victory



 あんな風に出逢った相手を、放っておけるはずがない。
 一度死んで、0から始めて500年。
 いきなり飛び込んできた、予想外もいいところのそれ。


「おい、何してんだ?」
 北の大国、雁の玄英宮。
 その最も奥まった一室が、今や足の踏み場もないほど散らかされていた。治世500年にも及ぶ雁の宮城において、そのような無体を敷くことができるのは雁広しと言えど1人しかいないだろう。
「見てわからんのか。捜し物だ」
 金の髪の子供の問いに、ぶっきらぼうに彼は答えた。この国の宰補であり、麒麟である六太の問いにそう答えることが出来るのも、また1人しかいない。
「…俺はまた、女官への嫌がらせかと思ったぞ」
「バカをいえ。自国の民に何故そんなことをしなくてはならんのだ」
 鷹揚なその背中を向けたまま、彼はまた散らかったその部屋をひっくり返すように物を散乱させていく。
 雁国の王、延王尚隆。
 胎果でありながら、滅亡寸前の雁を治めて500年。事実だけ見てみれば名君と評されて充分と言えるはずだし、実際外部での彼の評判は決して悪いものではない。
 だが。
「お前はバカ殿だからな。何考えてるか、わかったもんじゃねーだろうが」
 彼を良く知る人物になればなるほど、その言いようはひどく低迷していっていた。王を補佐するはずの麒麟さえバカ殿などと呼ぶことを躊躇わない。もっとも、尚隆をそう呼べる程度の平穏さというものと照らし合わせて考えてみれば、それは決して悪いことではなかったが。尚隆が真面目にならざるを得ないような事態、それはあまりあって欲しくないような時が多い。
 六太は呆れたように、散らかったそれをかき分けていく。転変でもして一足飛びに越えてやろうかなどとも思ったが、さすがにそこまでするのは憚られた。
「何とでも言え。俺は忙しい…っと、あった。あった。ここだったか」
「探し物って、それか?」
 ようやく尚隆の所まで辿り着いた六太が、その手元を覗き込んだ。そこにあったのは埃をかぶったままの変哲のない箱だった。だが、その中には見事な宝玉が納まっていることを六太は知っている。どこぞの風来坊(次男)と賭けをしてせしめてきた、といつだったか尚隆が自慢していたからだ。
「ああ。延の物を動かすのは時間も手間も必要だが、これは俺個人の持ち物だからな。しかも軽くて持ち運びにも問題がない」
 つまりは、それを持ち運ぶ必要があるということだ。今現在で最もその行方として確率の高いところを六太は瞬時にはじき出した。
「…慶か?」
 慶の新王陽子。
 その即位に、雁は一役買っている。もっともそれは隣国である慶の動向が雁とは無関係ではなく、国策上の有益さを無視出来ないせいでもあるのだが、陽子に出逢ってからというもの、それだけではなくなってしまったことに六太はちゃんと気付いていた。
「そういうことだ。景王においては、あろうことかこの雁の国内で妖魔の襲撃などという目にに合われてしまわれているからな。これは500年の名君としては不面目極まりないとは思わんか?」
「ごまかすなよ。だったら尚更延王として援助なりなんなりしてやればいいじゃねーか。景王にならな」
 景王にならなおさら、延王の名を持ってしてやれることがある。だがそれは、あくまで国策に乗っ取った延王がすることであり、具体的な実務をするのは官吏達である。それは尚隆が今したいこととは違うのだ。
「まったく、口の減らんガキだ。野暮という言葉を知っているか?」
「お前に言われたくねーや。バカ尚隆」
 言われなくても、六太だってわかっていた。初めて陽子に会った日の尚隆は何だかとてもワクワクとしていて、あんな尚隆を見るのは結構久しぶりだったから。あの時はまだ、陽子は何もわかっていなくて、登極などまったく考えていなかった。…それでも、尚隆は何も心配していなかったような気がする。
 今までの景王とは明らかに違う感じのする陽子。妖魔に襲われても、向かっていき戦える、尚隆と共に剣を振るうことの出来る存在はそう滅多にいるものではない。
 長い年月を経た末にようやく現れたような彼女。
 延王としてではなく、ただの尚隆が陽子を助けてやりたいのだと、多分そういったことなのだろう。
 国益を考慮して、予算を組んで、書面でのやり取りを交わしてではなく、ただ。
 何を捧げても惜しくはないほど、出来ることをしてやりたいだけ。
 それでも尚隆は延王で、陽子が慶の女王であることは否定できるものではない。王であることを否定することは、命を失うことと同義だ。…だが、逆にそれを利用することも出来る。
「陽子が、そんなの受け取ると思うのか?」
「陽子なら、受けとらんかもしれん。だが景王ならば受け取らざるを得んよ」
「何だ?それ」
「陽子個人でなら、このような品物は必要無いと断ることも出来るだろう。自分1人のことだけを考えるのならな。だが、慶の窮状を知る景王ならば慶の為に受け取るという選択肢がある。献上品とでも何とでも、体裁を繕うことは簡単だ。王ならば、使えるものは使わんことには話しにならん。俺はそこにつけこむのだ」
 埃を落としながら、尚隆はその蓋をそっと開けた。中にはやはり記憶の通りの宝玉が丁寧に納められている。雁の国費にしてみればこれ一つぐらいはどうというものではないが、新王が即位したばかりで人手も物資も足りない慶にとっては、きっとそうではないはずだ。
「…お前って、やっぱりバカだな」
 私欲の為に国を動かすことは出来ない。だが、私物ならどうにでもなる。そして、陽子の為にすべきことは、慶の為のことだけなのだ。
「たまにはこんなのも良かろう。ようやく面白そうなことになってきたのだからな」
 与えられたことだけで満足して終わりにするか、貪欲にそれを糧として前進するか。あの女王がどちらを選ぶのかなんて、わかりすぎるほどわかっている。
「勝手にしろ。バカ尚隆!」
 六太はそう言って、転変すると窓からポンと出ていってた。そして、玄英宮で一番高い屋根へと駆けて行く。

 温かい瓦屋根、風は穏やかで昼寝をするには丁度良かったが、あいにくとそんな気には少しもならない。
 ぼうっと空を見つめながら、六太は一つため息をついた。
「何で、よりにもよって陽子なんだ?」
 他国の王なんて、どうしようもない。
 この雁でなら尚隆が手に入れられない物なんて、きっと無い。それなのに。
 どうして一番欲しいものほど、手の届かない遠いところにしかないのだろう。
「あいつは俺に、約束通り緑の山野をくれたのに。本人は女1人自由にできないのか」
 自分が王にしたせいで。
 だが、同時に王でなければ出逢うことすらなかったのも本当だ。皮肉なものだと六太は思わずにはいられない。
「おいおい、勝手に人をそんな甲斐性なしにしてくれるな」
「尚隆」
 すぐ背後から声がして、六太はそちらを振り返る。そこにはすう虞であるたまに騎乗し、とらを従えた尚隆がいた。とらえどころのないその空気はいつもと少しも変わらない。声をかけらたのは突然だったが、しかしあまり驚かなかったのは近づく王気に気付いていたせいだろう。
「さっさと乗れ。慶に行くぞ。…それとも1人で留守番でもしているか?」
「冗談、俺1人で帷湍達の相手してろて言うのか?絶対やだね」
 そう言って、六太はとらに騎乗すると尚隆を置いて、さっさと飛び立った。
 追いかけてくる王気。すぐに近づいてくるそれに、六太は呑み込みかけて失敗した言葉をポツリと呟いた。
「でもな、…やっぱり陽子は、難しいと思うぞ。尚隆」
「なんの。500年の治世を誇る名君ならば、これぐらい余裕で何とかしてみせろという天帝の思し召しだろう」
 …これぐらい、とはよく言えたものだ。どこまでこいつは脳天気なんだか、と六太は思う。だが、ただの脳天気でないことは長いつきあいでもう知っている。どうやらもう、腹をくくるしかないらしい。
 尚隆だって、きっと全てわかっているのだ。わかった上で、それでも手を伸ばそうとしている。
「わかった。わかった。もう好きにしろ。どうせ一蓮托生なんだ。どこまでもつきあってやるよ」
 少しでも後悔のない方法を、いつだって選んできた。だから、そうせずにはいられないというのなら、それできっといいのだろう。
「なんだ、今頃になってそんなことを言うとは。お前は今までそのつもりがなかったということか?」
「あったり前だろ。俺は俺だ。お前の馬鹿さ加減なんかで死ぬのはまっぴらごめんだ。失道したら、さっさと首でもはねてやろうと思ってたんだぜ」
 それは、あまりにも仁獣麒麟としての発言なのかどうか疑わずにはいられないものだった。しかし、尚隆は声を上げてそれを豪快に笑い飛ばす。
「それはいいな。麒麟に討たれた王など古今東西探してみても1人もおるまい。俺の名は最初の1人として長く歴史に刻みこまれることだろうよ」
「そんな理由で喜ぶな。バカ尚隆!」
「こ、こら、六太、叩くな!」
 こんなにしょうもないような奴だというのにどうにも心配してしまう、それが全く持って悔しいけれど、見捨てるわけにもいかないから。
 だから、いっそ。
「ったく、こんなバカ殿のことなんざ、誰も味方しないだろうからな。…俺だけは最後まで味方してやるよ。ありがたく思いやがれ」
「…そうだな。ありがたいな」
「笑ってんじゃねぇ!」
 そんな賑やかなやり取りが、慶に着くまでえんえんと続けられたということだった。
 延王、延麒の2人の声が妙に枯れているように思われた景王は、神仙も風邪を引くものなのかどうか、傍らの冢宰にこっそり尋ねてみたらしい。
 

 例え何も掴めなくても、手を伸ばし続けることを止めない。
 何にも屈せず、諦めず、最後まで貫けたのなら、それこそがきっとただ一つの勝ち得たもの。


END