夢を見た。
「兄サマ、俺は決して逃がしはしないよ。」
夢の中のモクバは、釣鐘型の鳥籠をぶら下げて、不思議な笑みを洩らした。
モクバの鳥籠には、干からびた屍骸が入っている。
からからに乾いた青羽の塊が、籠の底にへばりついている。所詮、それを飼うことなど、できないのだ。 「捨てろ。もう、死んでいる。」 瀬人が言うと、モクバは鳥籠を両手に抱えた。
「ダメだよ、兄サマ。たとえ、死んでも、俺のそばに。」
「ただいまーっ。」
KC社の社長室の扉は、午後四時になると、下校してきたモクバを迎えるのが常だ。
「・・・モクバ、もう少し静かにしろ。」
瀬人は、青い視線をちらりと上げて、モクバをたしなめる。だが、ばたばたと廊下を走る靴音と元気のいい声は、瀬人の機嫌を損ねてはいなかった。むしろ、上機嫌と言ってもいいくらい、楽しげに見えた。
中学校に入り、幾分大人びたとは言え、瀬人にとっては、変わらぬ小さなモクバであった。モクバは、守るべき者、何にも変えられぬ愛しい者だった。 「今日さあ、数学の授業でさぁ・・」
鞄を放り投げ、上着を脱ぎながら、モクバは話し出す。彼は、学校での出来事を話すことが、兄を喜ばせると知っていた。“普通の中学生”をすることが、モクバの仕事の一つであることもわかっていた。モクバは、聡い少年であったし、もしかしたら、瀬人よりも駆け引きに長けていた。
「・・教師のくせに、あんな簡単な問題を間違えるなんて、マジびっくりだぜぃ。」
モクバは、笑いながら、兄のデスクを回り、ふいに押し黙る。
「おまえには、授業は退屈かもしれんな。・・・・ん?どうした?」 瀬人は、じっと見詰めてくるモクバに聞き返した。
潤むような大きな瞳が、うっとりとして間近にあった。 「・・・・・・・・兄サマ、久しぶり。」
瀬人は、モクバの言葉にちょっと戸惑った。 「今朝、会っただろう?」 「だって・・」
「朝食も一緒だったし、昨夜は俺のベットで寝ただろう?」 「そんなの・・もう、八時間も前だもの。」
モクバは、拗ねたように言い、兄に抱きついた。
一線を越えたのは、もう、随分前のことだった。最初にどちらが求めたのか、今はもうわからない。だが、行為のたび、兄には常に罪悪感がつきまとい、弟には一層の熱情を与えた。
「やめろ、モクバ。こんなところで。」
押し付けられた唇を、ゆっくりと離して、瀬人は言った。だが、拒否を示しながらも、急激に猛ってくるのがわかる。このデスクの上で、モクバの肉体を広げる妄想が、過ぎる。もう一度強請られたら、抑え切れないと、はっきりと感じる。
だが、モクバは、瀬人の拒否を、素直に受け入れた。 「ん・・・ごめんなさい、兄サマ。」
まさしく、後ろ髪を引くように、モクバの長い髪から残り香が匂った。
「四時半から、開発室の報告会があるんだ。」
モクバには、彼専用の執務室があり、副社長としての仕事もこなす。モクバは、ソファの上に投げ出されていた鞄を取り上げると、瀬人に背を向けて扉に向かった。
「今夜、俺のこと、死ぬほど抱いて。」
ドアノブに手をかけて、振り返る姿が、妙に艶めいて見えた。
「・・・・今夜は、遅くなる。」
瀬人は、火の付いた肉をなだめるように、少し息を吐いた。モクバがあっさりと去ることで、余計に滾ってくるようだった。だが、引き止めて、この場で行為を強いるほど、瀬人の理性は弱くはない。 「いいぜぃ、兄サマ。」
モクバは、瀬人の猛りを見透かすように笑った。きっと、今夜、兄の帰宅は早いに違いない。
「兄サマ、俺、待ってるよ。躯の隅から隅まできれいに洗って、ずっと、待ってるから。」
逃がさないよ・・というセリフが、続いて聞こえるように思えた。 モクバの右手に、釣鐘型の鳥籠が見える。
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