お題(最後の破片)
水無月るな様(Amulet of Wing)




最後の破片(ピース)


最後の破片(ピース)


モ…ク……バ………

 記憶は微かで、霧のようにつかみどころが無い。けれども、決して忘れてはいけない記憶の欠片…。
 無秩序な闇が全てを支配する魂の牢獄に閉じ込められてから、一体どれだけの時間が経ったのか…もはや、そんな事はどうでも良かった。何もかもが溶けてしまいそうな暗闇の中、自分が存在していた事さえ錯覚のように思う。そして圧倒的な孤独感が、オレに残された最後の記憶も奪おうとする…。
 やがて意識が断片的に途切れ途切れになり…このまま目を閉じてしまった方が楽になれる、そう脳裏にちらついた時だった。

…幻聴?
 虚無の底から、今にも消えてしまいそうな音が…オレの鼓膜を僅かに震わせた。
―聞こえる…声…?
 肉声ではなく、直接、脳に語りかけてくるような…そんな声だ。微かに響いてくる…懐かしくて、そしてどこか哀しさを秘めたトーン。それは意識が闇に囚われそうになると、必ず響いてくる。
 オレは何となく呼ばれたような気がして、少しだけ瞼を開けてみた…。朦朧とする意識の中、視界は曇りガラスで遮られているかのようにぼやけていて、鮮明には見えなかったが。
―皮紐でつながれた、カードらしき物…。
 それがオレの胸元で静かに揺れているのが、かろうじて視界に入ってくる。そして、そのカードのような物から不思議なぬくもりが伝わってきた。

…また「あの声」。
 その声の放つ柔らかい波動と、先程から伝わるぬくもりとが、まるで共鳴でもしているかのようだった。
 翳んだ視界に突如、何の前触れも無く光が燦然と輝いた。ふと光のあった方を見やるが、「あの声」から発しているのか、それとも懐からのぬくもりだったのかは、判断出来なかった。…いや、もしかするとその両方だったのかもしれない。
 光は、引き裂いた繊維質みたいに輝きを放っていたが…やがてそれを束ねたような強い光へと化す。どこかに吸い込まれてしまいそうな…そんな奇妙とも言える光ではあったが、決して不快ではない。
 この時何かが、オレの脳裏に閃光のごとく駆け抜けたような気がした…が、オレの意識とは無関係に、光はさらに輝きを増していく。それはやがて、昏い世界そのものを揺るがすような、純白の光となり―……

◆◇◆◇◆◇◆◇◆

「兄サマ?」
 自分を呼ぶ声に、瀬人はハッと気がついた。
「…まだどこか、具合でも悪いの?」
 瀬人の両腕の中でモクバが、呆然とした兄の表情を心配そうに見上げている。
「…ん?…あ…いや、大丈夫だ」
 反射的に答えたとはいえ、我ながら間の抜けた返事だと、瀬人は心の中で自嘲した。

 俄かには信じられなかったのだ…。あの悪夢とも言える世界から還り、弟と一緒に此処にいる事が。彼は目を疑うようにしばたいて、ゆっくりと辺りに視線を移す。
 空は青く滲み、少しずつ地上へと降りている。地平線に傾いた太陽は赤い日差しを投げかけて、辺り一面を薄紅のベールで包んでいた。それは小高い丘に聳える城からの眺めを、より偉観にしている。時折、城の中庭に流れ込む風は木々をサワサワと揺らし、そして瀬人の髪を撫でていく。
 そんな中、ようやく彼は闇からの帰還を少しずつ理解し始めていた。

 無言のまま、視線を弟の双眸へと戻す。これほど近しくモクバを見つめたのは、驚くほど久しぶりだった。
 モクバの瞳が、瀬人の瞳と合わせ鏡に鏡面を映している。幼少の頃の彼は、純粋な輝きを放つ弟の双眸に自分の姿を映し、そしてそれを見るのが何よりも好きだった。
 …もっとも、つい最近までは己の狂気じみた嗜虐な黒い心が映し出されるような気がして…蔑していたが。
(…モクバ…!)
 声には出さなかった、むしろ出せなかった。
 心底から湧き立つ激情に近い弟への愛しさと、過去の己の愚行が交錯し、瀬人の心を複雑に焦がしていたからだ。一瞬、目の前の…凛とした弟の姿に思わず表情がほころびそうになった。けれども、その想いが顔に出る前に押し込め、もう一度だけ静かにモクバを抱きしめる。全身全霊、ありったけの愛情を込めて。…もしかするとそれは、手を伸ばすと消えてしまいそうな、馬鹿げた恐怖感を拭い去る為だったのかもしれない。
 モクバは少し驚いた様子だったが、自分を優しく包み込んでくれる兄の紛れもない優しさを感じると、あどけないその顔を瀬人の胸に埋める。兄サマ…と、聞こえるか聞こえないかくらいの細い声ではあったが、瀬人には十分過ぎるほど聞こえていた。
 モクバを…弟をこの手で抱きしめたのはいつの事だったのか。彼は思い出せなかった。弟を侮蔑し続けた日々が罪悪感と忸怩となって、瀬人の心にいつまでも消える事の無い波紋を残し続けた…。それでも弟から伝わるぬくもりは、今、此処に存在している事を確信させてくれるには十分だったが。

 時間はそれほど経ってはいなかったと思う。少なくとも、瀬人はそう感じた。
 彼は抱きしめていた両腕を軽く緩め、両手を弟の華奢な肩に優しく落とした。
 モクバはやや緊張したような面持ちで、瀬人の仕草を一つ一つ見つめていたが、急に何かを思い出したかのように、
「兄サマ…オレ、守ったよ!オレ達の海馬コーポレーションを…!」
と、透き通るような声を弾ませた。
「あいつら、これが重要書類の保管庫のカードキーだとは、気付かなかったんだ!」
 少しばかり誇らしげに言うと、モクバは自分の首に掛けていたカード型のペンダントを大切そうに握りしめる。カチッと音を立てて、そのペンダントを開けると…チェスの駒を持った、幼い頃の瀬人がそこにいた。写真の中の、過去の己の姿を双眸に映しながら、瀬人も自分のペンダントを開く…。それは、いつしか見失ってしまった過去への扉を開く事に似ていると、瀬人は胸中で独りごちた。
 自分とモクバのペンダントを並べると、二枚に裂かれた写真は、いつしか一つの情景となって溶け合った。ペンダントの金属枠が壁のように二人を隔てても、決して裂く事が出来ない…そんな空間。時の流れを知らない写真の中の兄弟は、一瞬、微笑んだように見えた。もちろん、それは錯覚だったのだろうが…。

 古びた写真から目を逸らさず、モクバが口を開く。その声が小さく震えていた事を、瀬人は聞き逃さなかった。
「兄サマ…オレ…。兄サマは絶対に戻って来るって信じて…」

―――ぽたりっ…

 生暖かさの残る冷たい雫が、瀬人の手の甲を濡らした。
「…あ、あれ?涙が……」
 気丈に笑顔こそ保っているが、その幼い大きな眼は涙で濡れていた。モクバは、両頬に次から次へと滴る涙を必死に拭っている…が、それは無駄な事だと、モクバ自身にもわかっているらしい。
 …無理もない。
 いくら海馬コーポレーションの副社長と言えども、普通ならまだ遊んでいたい年頃のはず。それをこの弟は、いつ戻るともわからぬ兄の還りをただひたすら一人で待ち続け、必死に兄の会社を守ってきたのだから。痛々しいほどの健気さだ…。ピンと張りつめた緊張の糸が最愛の兄の生還によって断ち切られ、今までの身を貫くようなやる瀬無さが、怒濤のごとく押し寄せてきたのだろう。後から後から…止めようも無く涙が溢れ出るばかりだった。
 もちろん、それは瀬人にもよくわかっていた。だから彼も、モクバの気が済むまで、己の胸で存分に泣かせてやるつもりだった。
 瀬人は、未だなお小刻みに震える弟の肩をしっかりと抱きとめると、自分の胸へとやり、それからもう片方の手で弟の頭を撫でるように手を添えてやる。モクバの長く艶やかな黒髪の感触が、指先にふわりと絡みつくのを感じながら、瀬人はごくごく平らかな抑揚で語りかけた。
「海馬コーポレーションを…よく守ってくれた、モクバ」
 正直、どう言葉をかけてやれば良いのかわからなかった。…本当は、もっと先に伝えたい言葉があったはず…。心底に沈めた想いを言葉にする術を知らない自分に、この時だけは歯痒く思った。
 それから瀬人は無言のまま…モクバが泣き止むまで、ずっと静かに見守っていた…。

――――……。
とこしえに想う事こそが、共にあるという事…。
オレがオレで在り続ける為には、お前という「光」が必要で…それは永遠にオレの、心の破片(ピース)…。
―…そうだろう、モクバ?

 瀬人はモクバの頭を優しく撫でながら、胸中で独り言のように思い巡らせていた。
 …が、自分に似つかわしくないと思ったのか、瀬人は口元を苦笑まじりに歪ませる。そしてモクバから視線を外し、遥か彼方の夕闇へと向けた。
 虚空を見つめる彼の青い双眸は、いつも通りの冷たい眼だった。
 ――――けれども、それは確かに精悍な表情だった。


Fin


素敵なおまけ★(見ないと損です)


 



コメント

  作文の授業になると真っ先に逃げ出すような奴が、しかも初めて書いた小説で…本当にごめんなさい、お目汚しにも程があります。(泣)
 ストーリー構成力が皆無なので、原作(王国編)を深く掘り下げてみました。ストーリー展開がくどいワッ!!と思われた方、すみません…私もそう思います!しかも無駄に抽象的で、瀬人・モクバ共に、どうしようもなく別人ですよね…アイタタ…。(撲殺)
 ちなみに「あの声」はモクバです。魂は別々に封印されているハズですが…。いやいや、そんなモノごときで海馬兄弟の絆は切れぬわ!…という、独断に近い妄想です。そしてペンダントから伝わる「ぬくもり」も、やはりモクバの愛情です…そう、過去の写真のモクバかな。そんなアバウトな感じに思って頂ければ幸いです。(逃)
 最後になりましたが、こんな私に快く企画への参加を許可して下さり、本当に有難うございました!海馬兄弟、大好きですッ!兄サマーッ!モクバ!!