お題(人魚姫)
水口 樹雨様



夜の魔物





  「兄サマ、さすがI2社主催のパーティーだね。大企業の重役たちがゴロゴロしてるぜィ」
  深緑のスーツに身を包み、瀬人の二、三歩前へ走り出たモクバは、ホールを見渡してこう言った。
  瀬人にとってはこの手のパーティーなど、ありふれたものでしかない。今回も「お前は屋敷で大人しくしていろ」
  と、自分一人で出席する予定だった。
  しかし、普段一言もわがままを言わないモクバが、今日に限って強情だった。
  「いつもいつも、兄サマばかりずるい!オレも行くー!」
  言い張るモクバに仕方なく折れて、パーティー会場へ連れて来たのだが・・・モクバにとってパーティーは物珍しいもので、かつ好奇心を満たすのに充分なもののようだった。
 
 
  ホールを見渡したモクバは、背の高い兄を振り返ってイタズラっぽく笑った。そして近くのテーブルに飛びつき、目を輝かせてたくさん並んだ料理をのぞきこむ。
  (フッ・・・可愛い奴め・・・)
  くるくると変わるその表情に、瀬人は一瞬だけ優しい笑みを浮かべた。
  だがここは公式な場である。
  “モクバ、もう少し大人しくしていろ”
  そう弟をたしなめる。
  しかし、いつもの調子で発したはずのその声は、何故か音にはならなかった。
  (・・・・・・?)
  驚いて口元に手をやったが、のどの様子は普段と変わりないようだ。
  “・・・モクバ?”
  再び発した声も、音にならない。
  (これは、一体どういうことだ・・・?)
 
 
  「海馬くん、モクバくん!来てたんだ!」
  聞き覚えのある声に、モクバがぱっと振り返る。瀬人の思考も中断され、声のした方を振り返った。
  「あれ、遊戯!それに城之内!皆も!・・・あれ?でも何でここに・・・?」
  モクバの問いはもっとももだ。大企業の重役ばかりのこの場所で、一般人である彼らは完全に周囲から浮いていた。
  「ヘッ、オレたちも招待されたんだ。ペガサス島での健闘をたたえてってよ」
  「・・・でもボクたち、こういう場所は気がひけちゃって・・・」
  「そうよね。私たちが知ってる人って、海馬くんとモクバくんだけだもん・・・」
  知り合いを見つけたことでようやく安心したのだろう。全員が一斉に口を開く。それに答えるモクバは大わらわだ。
  (・・・面白くないな・・・)
  遊戯たちにモクバを奪われたような気がしないでもないが・・・瀬人はそれを表情には出さず、
  (これしきのパーティーでうろたえおって・・・フン、凡人共め・・・)
  と鼻で笑い飛ばした。
 
 
 
  * * *
 
 
 
  大人ばかりのこのパーティーで、遊戯たちはモクバにとって丁度いい話し相手だったようだ。
  遊戯たちにとっても二人の存在大きかったようで、気が付けばいつもの明るい笑顔になっていた。
  瀬人は、この穏やかな雰囲気の遊戯が、誰にでも心を開いて話すことができることを知っていた。・・・そして、モクバもそれが分かっているのか、遊戯にはよく懐いていた。
  しかし自分の目の前で、自分をはずして会話がはずむというのは気にくわない。
  “モクバ、そんな奴らなど相手にするな”
  (俺以外の者と話すんじゃない)
  そんな思いで言い放った・・・はずだった。だがどうしたことか、また瀬人の声は音にならない。
  (・・・何故だ?何故、声が出ない?)
  端から見れば、のどを悪くしているように見えるのだろう。何度か咳払いをしてみたり、水を口にはこんでみたが、声は出ないままだった。
  その時・・・困惑している瀬人の頭に、聞き覚えの無い声が響いた。
 
 
  『・・・にしてあげよう。ただし、お前のその声と引き替えだ』
 
 
  (誰だッ・・・!)
  ハッとして周囲を見渡す。
  しかし、ホールの客はそれぞれが好きなように談笑していて、瀬人の方を向いている者は一人もいない。
  ただ、察しの良すぎるウエイターが「お客様、いかがなさいましたか」と近づいて来ただけだった。
  ウエイターに「何でもない」と手で合図を送り、ふとモクバの方に目をやる。モクバは遊戯たちとの話に夢中で、瀬人の方を振り返りもしていなかった。
  (・・・・・・モクバ)
  瀬人の中で、怒りとも悲しみとも言えるものが渦を巻いた。
 
 
  『お前を人間にしてあげよう。ただし、お前のその声と引き替えだ』
 
 
  (何だとッ!?)
  今度はもっと大きく、耳元で言われたようにはっきりと聞こえた。
  (・・・声と、引き替え?馬鹿馬鹿しい!・・・大体、俺は人間以外のものになったことなぞないッ!)
  “・・・不愉快だ!帰るぞ、モクバ!”
  音にならない声で叫び、一歩を踏み出したその瞬間。
 
 
  『お前の新しくできた足は、歩くたびに燃えるように痛むだろう』
 
 
  またしても同じ声が頭に響き、瀬人の両足に燃えるような痛みが広がった。
  “ぐあ・・・ッ!”
  あまりの痛みに、思わず瀬人は顔をしかめ、近くのテーブルに手をついた。握りしめたテーブルクロスに放射状のすじが広がる。
  (くッ・・・何だこれは?一体、俺に何が起こっている?)
  「・・・兄サマッ?」
  モクバの声に顔を上げると、自分の傍らに駆け寄って心配そうに見つめるモクバがいた。
  「海馬くん・・・どうしたの?」
  「・・・具合でも悪いのか?」
  様子がおかしいことに気付いて、遊戯たちも自分の周りにやってきた。
  (・・・フン!)
  瀬人の額には汗がういていたが、ここで弱みを見せる訳にはいかなかった。それに、モクバに不安な思いはさせたくない。瀬人は少々強引に、普段会社で見せるようなキツイ表情をつくってみせた。握りしめた手に汗がにじむ。
  そのまま颯爽と歩き出し、パーティー会場を後にした。
  「・・・あ・・・皆、ゴメンね!・・・兄サマ・・・兄サマ、待ってよ!」
  自分を追いかけるモクバの気配を背中で感じながら、瀬人はロビーへ向かって歩き続ける。忠実な部下が、迎えの車をまわしているはずだ。
  「どうしたってんだよ、海馬の野郎・・・」
  城之内のつぶやきには、誰も答えられなかった。
 
 
  * * *
 
 
  車に戻ってからも口を開かない兄に、モクバは「・・・怒ってる?」と控えめに聞いてきた。
  (モクバ、お前のせいじゃない・・・俺は怒ってなどいない)
  そう言いたいのは山々なのだが、自分の声が出ないのを知ったら・・・またこの弟に心配をかけてしまう。
  モクバにだけ向ける優しい笑顔を作って見せ、強引に弟の頭を膝に引き寄せた。そうして膝枕をしたモクバの髪をゆっくりと撫でる・・・しばらくは体を強張らせていたモクバだったが、兄の態度がいつもと変わらないことに気付くと、安心して体の力を抜いた。
  さらさらとした手触りが瀬人の心を落ち着かせる。
  やがて、静かな寝息が聞こえ始めた。
  瀬人は弟の髪を撫でながら、会場で起こったことを思い出していた。
  遊戯たちとモクバの話が盛り上がっていた、ということを思い出すだけでも頭にくるのだが、それ以上に、自分に訳の分からない異変が起きている、ということが一層腹立たしい。
  (あの声といい、俺の声や足の痛みといい・・・一体、何だと言うのだ・・・!)
  瀬人は唇を噛んだ。
  その時。あの声がまた、聞こえてきた。
 
 
  『所詮、我らは魔物と恐れられる存在。人間として生きていくには無理があったのだ』
 
 
  “魔物、だと・・・?”
  《そうだよ、瀬人》
  今までとはまた別の声。しかし今度の声には聞き覚えがあった。
 
 
  * * *
 
 
  《人魚というのは、光の届かない深海に住まう魔物。つまり、光のあふれる人間の世界に住めるはずはない・・・ってコトさ》
  “・・・今更、何の用だ”
  瀬人は怒りをむき出しにした瞳で、実体のない声の主をにらみつけた。
  《フフフ・・・君にふさわしい舞台はこちら側・・・闇の世界だって言ってるんだ。君はモクバという光に捕らわれることで、何とか光の中にとどまっているようだけど・・・君には光より闇の方がお似合いだ》
  “・・・俺が、モクバに捕らわれているだと?”
  聞き捨てならないな、と瀬人は続けた。
  “何の根拠があって貴様はそう言う?”
  《・・・君はモクバに依存しきっている。逆に、モクバは君だけに依存しているわけじゃない》
  高笑いと共に、声の主は言い放った。
  《現に、君がいなくても遊戯たちとパーティーを楽しんでいたじゃないか。モクバはね、いつまでも守ってあげなきゃいけない子供じゃないんだよ》
  瀬人は膝で眠るモクバに目を移した。
  (そうだ・・・モクバもいつまでも子供じゃない・・・これから先、だんだん自分の足で歩き始め・・・)
  恐ろしい考えに行き当たる。
  (・・・やがては・・・俺から、離れていく?)
  《だからその前にモクバを殺しなよ。永遠に君のものとしてとどめておくために・・・》
  その言葉に、瀬人の心は揺れた。
  (モクバを殺せば・・・モクバは永遠に俺のもの・・・?)
 
 
  ・・・俺の目の届かない所へ行くことも、俺以外の者を選ぶことなど無い・・・
  今なら・・・今なら、モクバを俺の手の中に、ずっととどめておくことが出来る・・・
 
 
  『・・・彼を殺して、魔物に戻ればよい』
 
 
  《そう、その通り。モクバがいなくなれば、君は闇に落ちるしかないんだよ》
  笑い声の混ざった声は続く。
  《さあ瀬人!君を、君だけを見ているモクバじゃなきゃ、いらないだろ?》
 
 
  そうだ、お前は俺だけを見ていればいい・・・
 
 
  声の主の言葉につられるように、瀬人の手がゆっくりとすべる。
  “俺はお前の為だけにここまで来た・・・なのに、お前は・・・もう俺などいらないと・・・俺から離れていくと言うのか?”
  瀬人の手がモクバの頬をつたい、その細い首筋に触れる。
  モクバの体温は悲しくなるほど温かかった。このまま指先に力を加えれば、窒息させることなど簡単だろう。
  “モクバ、俺は・・・”
  指にわずかだが力がこめられる。
 
 
  * * *
 
 
  しかし、瀬人は苦笑と共に、手に加えたはずの力を抜いた。
  “フ・・・馬鹿にするな、俺がモクバを手にかけるはずがないだろう”
  自分にとって、唯一の愛しい存在。
  (・・・殺せるものか)
  たった一人の肉親。二人だけの兄弟。そしてそれ以上の絆で結ばれた存在。
  何が起きても握りしめて歩いてきた弟の手を、今更離してなるものか。
  “俺はモクバを守ると約束した。約束を途中で放棄するわけにはいかないからな”
  《・・・愚かだよ、瀬人・・・》
 
 
  『・・・殺しなさい』
 
 
  またしてもあの声が頭に響く。
 
 
  『殺しなさい。さもなくばお前は泡になって消えるだろう』
 
 
  “何だと・・・!”
  モクバに触れているはずの手から、その体温が感じられなくなった。
  驚いて自分の手を見ると、その手が半分透き通っているのに気が付いた。手だけではない・・・足も、体も・・・だんだん見えなくなってゆく。
  自分はここに、こんなに近くにいるのにモクバに・・・あの手に、体に、触れられない。
  《だから言っただろ・・・でないと君は消えるんだ》
  “こんな事が、あるものか!”
  瀬人は必死の思いで叫んだ。
 
 
  『さもなくば、お前は・・・』
 
 
  “黙れ!”
  瀬人は叫んだ。
  (俺は・・・死ぬのか・・・?)
  一瞬、あきらめにも似た思いがよぎる。だが必死にその思いを振り払った。
  “俺は死にはしない!モクバを残して・・・死んでたまるかッ!”
  《まだそんなことが言えるのかい?》
  声の主は、あきれ果てたようだった。
  “・・・俺はモクバを守ると誓った・・・誓いも果たさず、モクバを残して逝けるはずがない!そのためにも・・・俺は死なない!”
 
 
  《それだけの意志があれば・・・君は、大丈夫だね》
  その声はどこか安堵しているようだった。
  (貴様に言われなくても・・・俺は、モクバを・・・俺は・・・ッ・・・)
  薄れていく意識の中、最後に奴の声が聞こえた。
 
 
  《・・・頼んだよ、瀬人・・・》
 
 
  * * *
 
 
  「・・・サマ、兄サマ!」
  うっすらと目を開けると、モクバの顔が飛び込んできた。
  「兄サマ、起きた?」
  「・・・モク・・・バ・・・?・・・モクバっ!?」
  慌てて身を起こす。モクバは兄の反応に驚き、目を丸くした。
  「・・・兄サマ、どうしたの?」
  「どうしたもこうしたもあるかッ・・・ん?」
  周囲はいつの間にか明るくなっていた。モクバもパーティーで着ていたスーツではなく、いつものカジュアルな服を身につけている。
  モクバは頬をふくらませると、小さな子をたしなめるように言った。
  「・・・兄サマ。いくら疲れてるからって、ちゃんとベッドで寝ないと駄目だって!机で寝たら、風邪ひくよ!」
  「・・・む・・・?」
  瀬人はどうやら、本を読みながら眠ってしまったようだった。おかしな体勢で眠ったせいで、体が強張ってしまっている。
  ハッと気が付き、自分の手を見る。いつも通り、両手は変わらず存在した。
  そしてふと気が付く。
  「声が、出る・・・」
  足の痛みも消えている。
  「・・・おかしな兄サマ・・・」
  モクバが不思議そうにこちらを見ていた。
 
 
  傍らに立つモクバの元にひざまづいた瀬人は、そのまま弟を抱きしめた。
  「ちょッ・・・兄、サマ・・・?」
  突然のことに、モクバがうろたえる。
  「・・・嫌な夢を見た」
  「・・・ゆ・・・夢?」
  「お前が何処へ行こうと、何をしようと、俺が守ってやるからな・・・」
  「・・・よく分かんないけど・・・兄サマが心配しなくても、オレはずっと兄サマの傍にいるぜ・・・」
  瀬人の背中に手を回し、モクバがそっと囁いた。
  いつかは離れてゆくのだとしても、この瞬間、ここにモクバがいて、自分がモクバの体温を感じているのは現実なわけで・・・。
  モクバをきつく抱き寄せながら、瀬人は大きく息を吸い込んだ。
  嫌な夢は忘れてしまうのが一番良い。
 


 

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 コメント

   何処かのどなたかが書いた話になっていなければいいのですが。小説を書くのは難しいですね、性格が違っていませんように・・・。
  でも、小説を書くのは楽しかったし、参加できてとても嬉しいです。
 
 
  あとがきついでに(瀬人がこんな夢を見た訳)
 
  モクバのランドセルから飛び出た本に、瀬人が興味を示す。
  「・・・ずいぶんと女々しい本を読むんだな」
  「あ、それ?」
  宿題をしていたモクバが椅子ごとくるりと振り返った。
  「それ、オレが読むんじゃないよ。図工の課題なんだぜィ」
  「・・・ほぅ・・・こんなものが?」
  言いながら瀬人はページをめくる。人間の体だが足がなく、胴から下は魚のしっぽ・・・人魚が、挿し絵として描かれていた。
  「うん。低学年のヤツらに、手作りの絵本をプレゼントするんだ」
  そこでモクバは困った顔をする。
  「・・・って、本当はオレももっとカッコイイ話にしたかったんだけどさ。同じ話ばかりにならないようにってクジで
  決めたら、こんなの引いちゃった。・・・あ、でも、女子の間ではこの話が結構人気だったんだぜィ」
  「・・・ふむ。」
  瀬人がこういった童話の類を読んだのは、ずいぶん昔のことだった。
  (・・・施設暮らしの時、図書室で読んだのか?・・・少なくとも海馬家で英才教育を受けてきた時は、こんな本を読んでいる時間は一分一秒たりともなかった。・・・はて、どんな話だったか・・・?)
  この時、何故か瀬人はこの本に興味を持ったのだ。
  「これを少しの間、借りていいか?」
  「うん!」
  こうして自室に戻った瀬人は、本のページをめくったのである。

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