貴女はきっと知らないだろう。想像も付かないかもしれない。それでもこれは事実なのだ。確かに此処に、この感情が。
意識が次第に戻ってくる。窓からの日差しがやわらかい。ふわりとカーテンのドレープが揺れて、そっと吹き込む午後の風。頬に触れるのが気持ち良く、少しだけまどろんだうたた寝の途中に。
(手を伸ばしたその先で、白い服が風に揺れた。確かにこちらを向いて微笑んだのだ)
折角良い夢を見ていたのだが。体の位置を少しずらし、再度眠ろうと目を閉じる。願わくは今見た夢の続きを。
「兄サマ!!・・・あ」
「ん、何だ?」
「ごめん、眠っていたって知らなかったんだ。起こしちゃった?」
「いや構わん。既に目が覚めていたのだ」
そうか良かった、と言いながらモクバがこちらに走ってきた。その勢いのままカーテンに飛び付き、両手で勢い良く引き開けた。途端に広がる白の世界。
「いい天気なんだし、全開にしようよ」
「ああ・・・」
ぼんやりとした夢の世界から、一気に現実に引き戻される。確かに今日は天気が良い。この眩しい明るさが夢に影響したのかもしれない。
(たった今迄オレがいた、夏の眩しい白の世界。強過ぎない程度の眩しさに、オレは目を細めて迷っていた。夢の中だということも知らず、近付こうかどうしようか、声を掛けるのも躊躇えたので)
「アイスコーヒー持ってきたんだ、寝起きだったらちょうど良いよ。はいコレ!」
右手の傍にグラスが置かれた。中の氷が音を立てる。
「よく冷やしてあるよ」
「すまんな。ありがとう」
大概夏の日差しは強く、やはり今日も同様だ。グラスがきらりと日に透けて、一瞬の眩しさに目を細める。
不意に感じた懐かしさの、心当たりは先程の夢だ。
(あの時、どきりと目を細めたのは、明るさの問題だけではなく。理由は多分、いや確実だ。そっと差し出された眩しい何かが、何だったのかは分からない。はっきり見える前に消えてしまった。差し出してくれた姿ごと)
冷えたグラスを手にしてみる。ぼんやり夢を思い出しながら、特に意味の有る行動でもなく、何と無くグラスの側面を、そっと唇に押し当てた。そのまま目を閉じて息をつく。夏の冷たさは気持ち良い。
「・・・やめて、兄サマ」
呟く様な小さな声に振り返ってモクバを見ると、困った様に俯いていた。たった今迄元気だったのに、一体突然どうしたものか。
「どうした、モクバ」
「・・・・・・」
「モクバ?」
「・・・・・・」
俯いて表情は見えないが、何処と無く顔が赤い気がする。もしや熱でもあるのかと思い、モクバの額に手を伸ばしたが、酷く慌てて避けられた。心配になって見つめたところ、勢い良く横を向かれてしまった。最近よく目を逸らされる。
「・・・兄サマ」
「何だ?」
「・・・やっぱりいい」
こういった会話も最近多い。何を言いたいのか心配になるが、これも成長の一過程ならば、恐らく無理な詮索も良くない。オレにもこんな時期があっただろうか。
(避けた相手がモクバではなくて、もし、と想像して痛くなる。想像したのは先程の。白く、日に眩しい服を着て、ほんの数歩前で微笑んでいた。思わずどきりと目を細め、オレは暫し立ち尽し)
透き通ったグラスを傍に置くと、氷が小さな音を立てた。関係無いがこの音は、往々にして夏を感じさせる。夏は好きだが時折眩しい。
(話し掛けようと踏み出したとき、そっと何かを差し出された。大切そうに両手の中に包まれている眩しい何か。はっきりと見てもいない内に、その姿ごと消えてしまった。直ぐに躊躇を後悔しても、気付いたときには夢の終わり)
「兄サマ」
首にしがみ付かれて我に帰る。自分にしては珍しい、夢の回想に没頭するなど今までに無かったことなのだが。これも心境の変化に因るのか。
「重い?」
「いや、軽い」
オレにとっては軽い目方だが、モクバの成長に改めて気付く。その点オレはどうだろう、少しは大人になったのだろうか。教えて欲しい、知りたいんだ。貴女の綺麗な目から見て、オレはどんな風に見えている?
何度も何度も同じ問いを、自分の中で反芻してみる。
返事を聞くのは怖いので、いつも結局言えないのだが。
保障が有る上での行動ではない。貯蓄無しの小切手の様なものだ。言及の結果も確実ではないのに、それでも近付いてみたいと思い、思考はプリミティヴな欲求に向かう。夢と現実は違うのだ。思わずどきりとした姿、夢の中では掴めなかったが、きっと今度こそは傍に寄り。
「何かあったの、兄サマ」
「ん・・・何故だ?」
「・・・ううん、いい」
そして気持ちを伝えたならば、凄く幸せになれるのだろう。少なくとも答えを聞くまでは。それでも希望は失えない、或いはと思う期待に因って。
「でも、何かつらそうな顔だね」
「そうか?」
「あーまた、そうやって微笑む。何で?」
「まあ、な」
貴女はきっと知らないだろう。想像も付かないかもしれない。それでもこれは事実なのだ。貴女に向けて、この感情は。
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