いつからか、オレの胸の中には、小さな金魚が住みついてる。
キラキラとウロコを輝かせて、ゆったりと泳ぎ回ってる。
それを感じるたびに、オレはいつだってとっても幸せな気持ちになるんだ。 でも、最近困っちゃうんだよな。
オレの中で、金魚は大きく大きくなりすぎて。
身をよじって、この狭い胸の中から逃げ出そうとするんだ。
だからオレはいつも唇を噛んで、ガマンしてる。 金魚が胸の中で暴れださないように。
まちがっても、一番近くにいるあの人に悟られないように。 あの人は今、オレのそばにいてくれる。
オレのこと弟として認めてくれて、オレにしか見せない笑顔で笑ってくれる。 もう、オレそれだけでいいよ。
一生、弟として、あの人のそばにいられるなら。 他に何もいらないよ。
あの人は「お前の望みはすべてかなえてやる」って言ってくれるけどね。 あの人の横顔を見上げるたびに。 大きくて暖かい掌で頭をなでられるたびに。
キラキラ、キラキラ、まるで宝石みたいにキレイになっていく金魚。 だけど、それは誰にも知られちゃいけない。
きっと知られたとたんに、それは胸からとびだして。 ひからびて、腐って、消えちゃうんだ。 あの人はそれから目を背けて。
オレに背を向けて行ってしまうんだろう。 そんな事になったら、オレ、きっと・・・ 「モクバ」
名前を呼ばれる。
振り向いたら、あの人はオレを見てた。『来い』って目が言ってる。
オレは笑って、椅子から離れてあの人のそばにいく。 金魚が、胸の中でくるくると回りだす。 ダメだよ、静かにしててくれよ。
お前は、オレの一生の秘密なんだぞ。
お前は、とってもキレイで、悲しくて、つらくて、でも、捨てられないから。
オレがずっと胸の中で、泳がせててやるからな。 あの人の前まで来て、オレは無邪気に笑ってみせた。 ほら、兄サマ。
オレ、弟でしょ。 「なあに、兄サマ?」 オレの中で泳ぎつづけてる。
『コイゴコロ』という名の。 凍える金魚。
Closed Water--Seto side
完璧な空調の施された室内に、書類をめくる音とキーボードの音だけが響く。
海馬邸内、執務室の窓からは柔らかな日差しが室内を照らしている。重要な、だが腹のたつほど退屈な決済書類から目を離すと、オレは傍らの壁面モニターの前に座った人間を見つめた。
この執務室に入って作業のできる人間は、オレ−海馬瀬人以外には声紋を特別登録された一人しかいない。そのたった一人、弟のモクバは背後からのオレの視線に気づくことなく、黙々とデータ入力をこなしている。
デュエル・キングダムから戻ってしばらく、モクバは以前にも増してオレの傍にいたがるようになった。 今日も土曜の午後、放課後の自由時間をオレの仕事のサポート作業に費やしている。遊びに行ってかまわないと言ったのだが、きかなかった。
だが、それがオレには気に入らない。
それだけそばにいたいのなら、何故何も言わず黙っているのだ。
まるでどこかの童話の人魚姫のようだと思い、陳腐なイメージだと胸の中で苦笑する。
モクバよ、オレが童話の王子のような愚鈍な男だと思うのか。
命の恩人がそばにいて、それに気づかずにのうのうと過ごし、あげくの果てに他の女と結婚してしまうような男に命を捧げるなど無智のなせる技とはいえ、無意味としか言いようが無い。
オレは気づいているぞ。
お前がオレに隠れてつく深い溜息も、お前が無邪気な笑顔の影でほんの一瞬みせる暗いまなざしも、何もかもだ。 そして、それがどういう意味を持つのかも、な。
お前は何を恐れている。 世間の常識か? 兄に対する恋情への罪悪感か? それをオレに知られた時の不安か?
すべて、くだらんものだ。
地下牢につながれたお前を見た時の胸の痛みと怒り。ペガサスとのデュエルで、お前を救い出せなかった無念。
そして、あの時。
お前がオレの胸に飛び込んできた時の、満ち足りた安堵感と心のざわめき。
それらのピース(欠片)がひとつになってオレに示した。
お前こそが、オレの『心』そのものだと。
そのお前が、オレに望むことで、かなえられないものなど何一つないのだ。
それがオレの望みでもあるならば、なおさらに・・・な。
オレは、手にした書類の束を未決済のトレイに放り込むと、卓上の電話へ手を伸ばした。
暗証番号を押し、外線・内線すべての電話をカットオフし、この部屋へ続く廊下のドアをロックする。
これで、オレからの指示が無い限り、この部屋に入ってくるものはない。
もっとも、この屋敷内に無断でこの部屋に近づくような度胸のある奴など、いはしないだろうがな。 「モクバ」
オレが声をかけると、モクバは一瞬肩をゆらして、だがすぐにこちらを振り向いた。
無言で顎を引くと、その意味を理解して椅子から立ち上がり、俺に向かって歩いてくる。
その無造作に切り放した長い黒髪が、まるでゆらゆらとゆらめく金魚の尾びれのようだと思う。
「なあに、兄サマ?」 無邪気に笑うモクバの顔を見て、胸の奥がざわりと動く。
デュエルの時とは質の違う、だが悪くは無い高揚感に口元に自然と笑みが沸いた。 そしてオレは立ち上がると。
微笑むモクバの頬に、両手をのばした。 そうだ、お前の望むとおり。
未来永劫閉じ込めてやろう。 どこにも繋がらない水の中に放たれた金魚のように。
海馬瀬人という名の、檻の中に。
--ende--
|