「お前はこういう事はしなくていい」
兄サマが俺の手からベレッタを抜き取った。45口径のそれは俺の手には余るのに、兄様のてのひらの中に隠れる。
携帯に便利な小型だというのに、俺は持つのもぎこちない。兄サマのようにてのひらに吸いつくようには扱えない。 「木馬に持たせるな」
兄サマは射撃場の管理者にそう言うと、いつのまにかマガジンを抜いて使えなくしていた銃を渡す。そのときに耳打ちするように、
「立ち入りも禁じろ」 と言ったのが、小声だったけど俺には聞こえた。 「兄サマッ」
俺が不満を訴えると、兄サマは俺に不快を訴えた。もちろん、俺みたいに拗ねたりするんじゃなくて、上から冷たい目で見おろして、
「お前には必要のない物だ」 と言うだけだ。
でも兄サマは海馬家に来てから、帝王学や勉強以外にも、ずっとこういう訓練をさせられてきている。
俺なら一発撃ってみただけですごく揺れて、腕の筋を軋ませるくらい痛くなったのに、兄サマはそうじゃない。兄サマは平然と撃つし、必ずヘッドショットという、頭の形が書いてあるすごく難しいターゲットを使って、全部10点のところに集めて撃つことができる。 俺もそういうふうになりたかった。
「部屋に戻れ」 兄サマは俺の背中をそっと押して出口にうながす。
俺は、今まで兄様のおかげで剛三郎には何も強要されなかった。全部、兄サマが俺を庇護するために、俺が兄サマの過失のせいで何かさされないように、全身で守っていてくれたからだ。
だから今は、俺が兄サマを守りたかった。守れないにしても、せめて邪魔にならないくらいに力がほしかった。誘拐されたり、すぐに捕まって兄様の足手まといになり続けるのは、もう嫌だ。 「…でも兄サマッ、俺も」
「しなくていいと言っているんだッ!」 そう思って言い募ったのが、しつこかったみたいだ。
兄サマが急に怒鳴り、俺の二の腕をつかんで出口に早足で歩く。 「…痛…ッ」
俺が兄サマの足の長さについていけるはずもなく、俺は兄サマに腕をつかまれたまま、宙に浮くようにしてひきずられる。
自分の体重と怒っている兄サマの手の力で、腕は折れそうなくらい痛くて、俺は兄サマの手を外そうとする。 「兄サマ痛い…ッ!」
だけど兄サマは前だけを見てて、俺の方を見向きもしなかった。 「俺は必要ないと言ったな?」
俺の部屋のベッドに俺を放り投げ、兄サマはドアの前に立って、うなるような声で言った。 「……うん」
俺はそのときにはもう兄サマを怒らせたことの方がショックで、何で銃に固執したんだろうと自分を責めてさえいた。
使ったことがないから今はうまく使えなくても、大人になるまでにたくさん訓練して、そうすればいざというときに兄サマの盾になったり、兄様を守って闘えたり、できるかもしれないと思っていたのだ。
でもそういう物じゃなかったのかもしれない。俺にすごく才能がなかったとかで、それを兄サマは見抜いて、無駄なことだからやめさせようとしてるのかもしれない。 「……ごめんなさい」
他の、兄サマに喜ばれることを探そうと思いながら、俺は兄様に謝る。
兄サマは少し離れたところでしばらく俺を疑わしそうに見ていたんだけど、 「……もう、しないから」
俺がそう言うと、こっちに向かって歩いてきた。 「兄サマ…」 俺は横に立った兄サマの顔を見上げた。
兄サマはそこに来てもまだ無表情のままだったけれど、俺が反省していると分かったのか、少し笑顔になってうなずいてくれる。
「お前は何もやらなくていい。この頭で考えて──分かっただろう?」
兄サマは俺の頭を撫でながら、ゆっくりとさとすように言った。 いつも思うけど、兄サマの言い方は独善的だ。
それでも兄サマが喋るとそれで合ってるような、それでいいような気がしてくるから不思議だ。しかも、何もかも預けたくなるような気持ちになる。 「反省したな?」 「……ん」
俺がこくんとうなずくと、兄サマが、 「イイ子だ」
と頭の上にキスをくれた。最近兄サマは俺にそれをしてくれるようになった。 「へへ」
兄サマだけど、もっと絶対的な保護のある、まるで親にされているような気になって、俺はソレをされるのがとても好きだった。嬉しくて笑うと、兄サマはまた頭を撫でてくれて、
「もう勝手なことはするな」
すぐに仕事に戻るために部屋を出て行ってしまうけど、あんまり寂しくならない。
頭を撫でられたりキスされたりして安心するなんて、まるでちっちゃい子どもみたいだなぁと思ったりもするけど、でもいいんだ。
「お見送りするッ」
俺があわててベッドから下りると、兄様が、ドアを開ける直前に振り向いて言う。
「駄目だ。今日の罰で、三日間は俺が帰るまで部屋から出るな」
それは俺にはよくある罰だった。何か、兄サマの頭には、俺は「ちょこまか動き回るモノ」っていう思い込みがあるみたいだ。
確かに部屋から出ちゃ駄目っていうのは窮屈に感じるときもあるけど、別に退屈したりはしない。
テレビはあるしバスもトイレも完備されていて、ご飯やお菓子は言えば持ってきてくれる。
何より兄サマが帰ってくるまで起きてていいし、その間は必ず兄サマは家に帰ってきてくれるってことだ。 「うんッ!」
あんまりきかない罰に、俺が笑顔でうなずくと、兄サマはきつくしようかなって悩むみたいな顔をした。だから俺はあわてて、
「兄サマ兄サマッお見送りもしちゃ駄目?」
って話を変える。兄サマもあんまり時間があるわけじゃないのか、
「ここからでいい」 結局罰を変えたりしないでドアを開けた。
そりゃそうだよ。兄サマは俺がそういうことしたいって言ってるってメイドから連絡を受けて、それで急に帰ってきてくれただけなんだもん。
「じゃあ、いってらっしゃい兄サマ。お仕事頑張って、気を付けてね」 俺はドアが閉まるまで、兄サマに手を振る。
兄サマはドアを閉めながら、フと笑ったみたいだった。 ドアを閉めたあと、海馬は後ろ手で鍵も閉める。
ドアごしなので見えないのだが、気持ち的に海馬は木馬に背を向けて、自分の表情を隠すためだ。
ドアのノブを握りしめるようにして離さないまま、 「──フ」
そして海馬は、髪の影で表情を隠したまま、声になるかならないかの極々小さなささやきを漏らした。 「成長するな、小さいままでいろ」
ゆっくりと、気配もなく海馬はドアから背を離す。チャリと胸のペンダントを鳴らして、 「それこそ容易く閉じ込めておけるくらいに」
射るような激しい目で、階下のフロアにいるSPを見おろす。 確かに海馬は射撃の腕も天才的だった。
素質があり、かつ手の皮など無くなるのではないかと思えるくらいの過酷な訓練もした。しかし銃の種類にはこだわらなかった。逆に、どんな物でも撃てるよう特訓されたと言っていい。
いざというときに、使えないだの苦手だのという武器があってもしょうがない。海馬は絨毯のしかれた階段を下りながら思う。
粗悪品も欠陥品も必要ならば使う。
しかしそれはその場だけにおいてだ。必要がなければ捨てる。それはある意味、用兵を雇う感覚に似ている。
武器など、質が良いにこしたことはないが、使える技能と経験さえ持っていれば、誰の物だろうが落ちているのもだろうが、関係なく、組み立て直してでも構えられる。
そして撃つことができる。瞬間の勝負に勝利できるのだ。
海馬はコンバット・シューティング、つまり戦闘射撃までをも学ばされていた。もちろん、それだけではないが、銃撃に関するならばその段階までも、だ。
完全ということは何もないが、ある程度をと望むならその程度はしなければ剛三郎は許さなかったし、海馬の考えとしても駄目だった。
しかし木馬に、そこまでさせる気は海馬には毛頭ない。
いってらっしゃいと無邪気に振るあの手を、トリガーに食わせて皮を破らせたり、暴発もありえる、暴発がなくても当然のように薬莢で火傷をしたり目や鼓膜を傷付けたりする物になど、近付かなくていい。
海馬はドアを開けられて待つベンツに乗りこみ、運転手に、運転席との間のカーテンを閉めさせる。
そして表情をさらす空間を得た海馬は、スモークガラスのために見えもしないのに畏まって見送る召使たちには目もくれず、木馬の部屋の窓を仰ぎ見た。
「…俺は、手放さないモノは、始めから消耗品と混ぜたりなどしないんだ、木馬」
メイドと、メイドという名のSPの張りつく家に、自分の帰りだけを待つただ一人きりの最愛の弟。
「お前に何もさせる気がないということを、そろそろ思い知ればいい…」 海馬は少し、嗤った。
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