夏の暑さにも陰りが出てきたのだろうか。
時折頬に触れる風が心地よく、高くなった空を見上げて久しぶりに家に帰ろうと思った。
気まぐれのように帰ってきたモクバに気づき慌しく支度をする使用人達に、かまわないでいいからと声をかけ自室に入る。
閉めきりの部屋は熱気が立ち込めていて息苦しく、見慣れていたはずの家具はどことなくよそよそしくて寂しげに見えた。
いや、よそよそしいのも寂しいのも自分かもしれない。
以前の自分ならまっさきに使用人達に兄サマの居所を尋ね、走って会いに行っていたのだ。
けれども今ではどうだろう。それほど月日は経っていないというのに居所すら聞こうとしていない。
・・・兄サマを嫌いになったわけではないのに・・
小さく息を吐いて、空気を入れ替えようと窓を大きく開け放つと、玄関先に咲いている名前も知らない花が日暮れてくる橙色の日の光に染まっているのが見えた。 「あ・・」
以前見た同じ橙色に染まった情景を思い出す。 そして窓枠をぎゅっと掴んだ。 『兄サマは分かっていた?』
「十年後の自分について書けって宿題がでてるんだ」
「オレ、ずっとずーっと兄サマと一緒だからね?十年後も二十年後も」
宿題の相談をしている他愛ない形をとった、兄サマへの甘えと気持ちを推し量ろうとする子供じみた計算と確認。
「百年後だって一緒にいるんだ。そうでしょ?兄サマ」
日暮れていく柔らかな光の中、それまで自分の黒髪を梳いていた手がぴたりと止まる。 「百年か・・」 「兄サマ?」
「百年後には、お前も、オレも、そしてこの屋敷にいる者は誰一人生きてないだろう。誰の記憶にも残っていないかもしれない。百年というのは永遠ということだぞ、モクバ。」
同じ言葉が返ってくるものと思っていた自分はそんな返事に驚いて、その後しばらく拗ねてやったのだ。
なんて子供だったのだろう。
いつだっていつだって、自分は自分のことしか見えていなかったのだ。
その後、全寮制の学校に入ったのは自分の選択で、会社が忙しくなってきた兄サマの手伝いが少しでも出来るようになれればと、頑張って難関といわれる学校を受験した。 髪は短く切ったし、背だってあれからかなり伸びた。
そして勿論今でも兄サマのことは大好きだ。それは間違いなく。
けれど百年変わらないものがあることを信じられるほど、もう子供ではない。
時間が経つことで手に入れるものもあれば失うものもあるということを、最近になって知った。
あの頃のように鮮明でひたむきな感情はもう遠くに過ぎ去ってしまったのだ。 百年?
十年だってあの頃の感情は続かなかったじゃないか?
あの時兄サマはどんな気持ちで自分の言葉を聞いて、どんな気持ちであの言葉を口にしたのだろう。 兄サマは知っていたのだ。 いつか気持ちは薄らいでいくことを。
だからあの時寂しそうな表情だったのだろう。
いつの間にか日が暮れて薄暗くなっていることに気づき、慌てて窓を閉めると、視界がにじんでいることに気づいた。
ああ、自分は泣いているのだ。哀しくもないのに。
『ずっとずっ〜と兄サマと一緒だからね』 果たされない言葉、はりさけそうな想い。
今自分は生まれて初めて、深い孤独を知ったような気がした。
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