お題(月光)
あさこ様(Go,Go,HEAVEN)


月光




「行くぞ、モクバ」

制止するSPの声なんてまるで耳に届いていないかのように兄サマは車からスルリと降りた。
俺は慌ててシートから腰を上げて兄サマの後に続いた。

しかしもう夜中ですし暴漢にでも襲われもしたら、となおも引き留めようとするSPと、瀬人様は一度言い出したらお聞きになりませんから、と半ば諦め声で言う側近の磯野のやり取りが背中越しに聞こえる。

リムジンから降りて外に出ると昼間の暑さが嘘のような夜風が心地良く俺の両頬を、髪をすり抜けていった。

「散歩をするには丁度良いな」
そう言って兄サマはゆっくりとその歩を屋敷に向かって進めて行った。

道々、俺はたわいも無い事をひたすらしゃべり続けた。
最近やり始めたRPGがなかなか上手く進められない事、道ばたで見た捨て猫の両目の色が片方ずつ違っていた事、部屋のミニチュアサボテンに暫くの間全く水をやらなかったら枯れてしまってビックリした事、水族館で初めて見たマンボウの間抜けな行動に大笑いした事。昨日の事、過去の事。
とにかく何でも思いつくままに話した。
時にはオーバーアクションを交えながら大袈裟に話した。
それは多忙を極める兄サマと久しぶりに二人きりでいられる事にはしゃいでいた訳では無く(もちろん嬉しい気持ちはあったけど)兄サマの口から直接”あの事”を告げられるのが怖かったからだった。


「それでね、兄サマ。あ……」

流石にそんなおしゃべりにも限界が来た。

しん。

なんとなく重く静かな空気が俺と兄サマの間に流れた。
沈黙から生まれる恐怖に俺は怯えていた。
そして何か話す事が無いかと必至に頭をめぐらせた。
しかし考えれば考えるほど言葉は思考と共に身体の奥底に沈んでいった。

嗚呼、もうダメだ。

のろのろとした動作で頭をもたげ兄サマを見上げると自然、夜空をも見上げる格好になった。
何かを言おうと唇が開きかけた兄サマの頭越しに青々とした光を放つ満月がぽっかりと浮かんでいる事にその時初めて気が付いた。

「う、わ!月があんなに青いよ、兄サマ!」
俺は思わず兄サマの長いコートの裾を引っ張ってその月を指さした。
「そういえば今夜は満月だったな」
「すげぇ〜。俺、こんな青い月って初めて…」と言い
かけたその瞬間、突如としてひとつの記憶がフラッシュバックしてきた。

そうだ。
あれはまだ施設にいた頃、帰りの遅い俺の事を心配した兄サマが公園まで迎えに来てくれたあの日の帰り道にも同じ青い色をした満月が浮かんでいたんだっけ。
「迎えに来たよ、モクバ」
そう言いながら優しく笑う兄サマの顔が月明かりに照らされているのを見て、嗚呼、兄サマってお月様に似ているなぁと、ぼんやり思った事をふいに、でも今はっきりと想い出した。

「お月様ってさ」
なんだか兄サマに似ているね、と言おうとして俺は口をつぐんだ。
その想いを言葉にしてしまう事で今まで心の奥で大切にしていた何かが消えて無くなってしまいそうな気がしたからだ。

俺は言いかけたその会話をフォローしようと慌てて違う言葉を探した。
そして口を突いて出た言葉は

「アメリカでも同じに見えるよね」

だった。


…しまった。


”アメリカ”
それは決して言うまい触れまいと心に決めていたキーワードの一つだった。
意識しすぎたせいで逆に口を突いて出てしまうなんて、正に不覚としか言いようが無い。

そしてそのキーワードが兄サマに”あの事”についての口を開かせるきっかけを与える事になってしまったのは当然の成り行きだった。

「モクバ。大切な話があるんだが」
いつもより優しく、それでいて、兄サマらしいハッキリとした口調だった。

「知ってる…」
「え?」
「今日、会社で兄サマと磯野が話しているのを立ち聞きしちゃったんだ」
「そうか」
「立ち聞きなんてしちゃってごめんなさい」
「いや。それならそれで、良い」


新規プロジェクトの報告書を渡そうと社長室に居ない兄サマを捜して会議室を通りかかった時に扉の隙間から漏れ出る兄サマと磯野の会話を耳にしてしまったのは本当に偶然の事だった。

「それでは瀬人様お一人でアメリカへ?」
「仕方あるまい。日本と向こうとでは教育システムがまるで違うからな。どうせ小学校もあと半年余りで卒業だ。それまでは日本で教育を受けさせたほうが良かろう」
「しかしモクバ様が納得されるでしょうか?」
「モクバの為だ」

途端、俺の周りから全ての音と光がプツリと消えた。
扉1枚隔てただけの同じ場所にいるはずなのに俺だけが異空間にぽーんと放り出されたような奇妙な浮遊感に襲われた。
そして何が何だか分からなくなりながらも俺は誰にも気付かれる事もなくその場を立ち去ったのだった。



「モクバの為だ」

兄サマの言った言葉が幾度と無く頭の中を繰り返し響いている。
そう、兄サマはいつも俺の事を考えてくれている。
いつもいつも俺の事を想ってくれている。

それは敬愛して止まない兄サマの弟としてとても嬉しい事であり、逆に哀しい事でもあり…。

複雑に入り交じる感情をどう整理して良いか分からず俺はただ俯き黙ってじっと自分のスニーカーの紐の結び目に視線を落とし続けた。

不意に俺の頭上にふわりと兄サマの大きな手が乗った。そしてその刹那、頬を伝って涙がぽろぽろと流れた。
身体の機能のどこかが壊れてしまったように後から後から止めどなく涙がこぼれ落ちた。
それは暫くの間、兄サマと離れて暮らさなくてはならないという事に対してだけでは無く、今までのいろいろな出来事や想いが交錯して流れた涙だった。


「半年なんてアッという間だ」
「うん…うん…うん…」

兄サマはそれ以上何も言わなかったし俺もこれ以上は何も言えなかった。



そして二人でもうさほど無い屋敷までの道のりを遠回りして帰った。



月がうるんでいた。



-----end.





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 コメント

  駄文乱文稚拙文で申し訳有りません。実は小説は初トライでした(OH!NO!)
これがワタクシ最大の言い訳と逃げ口上です(^_^;)

兄サマが月ならモクバは太陽ですね。
太陽の光を受けて月は美しく輝くものですから!
(なんとなく自分で言っていて恥ずいです。かぁ///)

蛇足ですがこのお話のインスピレーションの元ネタはあの有名な昔の歌謡曲です。

【月がとっても青いから 遠回りして帰ろう】

末筆になりましたが素敵な企画に参加させていただけて本当に幸せです。
ありがとうございました。

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