お題(アルバイト)
赤井ひんでん様( 磨更工房)



ドッキドキ!アルバイトNEWS



 
  その日は海馬邸のあちらこちらに白い薔薇が飾られていた。
  六月の第三日曜日・・・父の日である。
  この家の主 ー 海馬瀬人にとって、『父の日』は縁もゆかりも無い日のように思えた。
  しかし、家の中に飾られた薔薇の香りが、三千年には遠く及ばないもののそれなりに遠い日の記憶を呼び起こした。
 
 
  まだ瀬人とモクバがこの家に来て間もない六月の日曜日・・・
  やはりこの日も邸内には白い薔薇が飾られていた。
  モクバはその日、自室に閉じこもったまま一歩も外に出てこようとしない
  朝から姿を見せない弟を気遣った瀬人がモクバの部屋を訪ねるとモクバは幼稚園で作ったという『ちちのひのぷれぜんと』を目の前にして暗く沈んでいた。
 
  「そのプレゼント、剛三郎に渡すのか?」
  瀬人が訊くと、俯いたままモクバは首を振った。
  「これは・・・天国の父サマに作ったんだ・・・!、剛三郎になんかあげたくない・・・」
  モクバの語尾が震えていた。
  モクバにとっての父はあくまでも優しかった実の父で、養父の剛三郎ではなかった。
  だが実父は既にこの世に無く、瀬人は自分たちの夢の実現の為に自ら望んで剛三郎の養子になった事実は揺るぎない。
 
  「ごめんなさい、兄サマ・・・兄サマのお陰でオレもこの家の子供になれたのに・・・」
  モクバの眼からは涙がポロポロとこぼれ落ちた
  「でも・・・オレは・・・兄サマを鞭でぶつヤツは・・・絶対に好きになれない・・・!」
 
  モクバは兄が養父から虐待を受けてた事実を知っていた。
  躾という名目で行われる暴力・・・鞭を振るう養父の恍惚とした表情は明らかにサディストのそれだった。
  どんなに堪え難い苦痛を強いられても瀬人は自分さえ犠牲になればモクバはこの家で幸せに暮らせると思っていた
  だが現実は違った。モクバもまた瀬人が虐待を受けている事実に苦しみ、何も出来ない自分を責めていたのだ。
 
  「俺が犠牲になるだけじゃ駄目なんだ・・・」
 
  瀬人は自分に言い聞かせる様に静かに、だが力強く言葉を紡いだ。
  「モクバ・・・無理して剛三郎の事を好きになる必要は無い・・・
  それに俺はいつまでもただ殴られてばかりじゃいない、いつか誰よりも強くなってみせる。お前に俺の事で辛い思いはさせない。」
 
  「兄サマ・・・」
  瀬人はポケットからハンカチを取り出し、涙で濡れたモクバの顔を拭った。
  「お前のプレゼントは天国の父様の代わりに俺がもらう。剛三郎には執事が適当に選んできたものを渡す、お前は何も気を使う事は無い・・・だから もう泣くな・・・」
  「兄サマ、でもそれ『肩たたき券』だよ、兄サマ 肩こったりするの?」
  きょとんとした顔でモクバが言うと、瀬人は余裕たっぷりに答えた
  「じゃぁ、大人になったら使わさせてもらおう。」
  兄の言葉を聞いたモクバは「うん、いいよ」と くしゃくしゃの顔で笑った。
  その変化に瀬人は「『啼いたカラスがもう笑った』とはこの事だな」、と心の中でつぶやいた。
 
 
 
  「もうとっくの昔に忘れたつもりでいたが、どうやらあの日の薔薇の香りと共にオレの心の隅で眠っていただけのようだ。」
  いちいちポエマーな事を言って、瀬人は書斎にある数多くの古い本の中から例のプレゼントをあっさりと探し出した。
  手作りの封筒の中には まだ幼稚園児だったモクバのつたない字で『かたたたきけん』と書いてある紙切れが入っていた。
 
  「折角のモクバからのプレゼントだ。一度くらい使ってみるのもいいだろう・・・オプション付きでな・・・」
  自分のアイデアが気に入ったのか瀬人の高笑いは廊下にまで響き渡り、廊下を歩いていたモクバの背筋に寒いモノが走った。
  「い、今のは何だったんだろう?」
  悪い予感を抱きつつもモクバは瀬人の部屋のドアをノックした。
 
  「兄サマ、用って何?」
  モクバは部屋に入ると真っ先に訊いた。
  「モクバ、これを覚えているか?」
  瀬人は肩たたき券をモクバに見せた。
  「あ、それまだ持っててくれてたんだ。」
  モクバはあの日の事をずっと忘れずに覚えていた。
  紙屑同然の昔のプレゼントを兄がちゃんと保管してくれた事に少し驚き、照れくさくも嬉しくて自然に顔がほころぶ。
  「兄サマ、それ使うの? ここんところ仕事忙しかったから肩凝ったんだね」
  「ああ、そこで頼みがあるんだが・・・」
  「何? オレに出来る事なら何でも言ってよ。マッサージも付けようか?」
  一瞬、瀬人の眼が光った。その言葉は瀬人にとって まさに「渡りに船」だった。
  「ならば! これを身に付けてから肩叩きとマッサージをしてくれ!!」
  「え・・・!?」
  モクバは瀬人から差し出された服をおそるおそる手に取り、広げてみたそれは どこか見覚えのあるコスチュームだった・・・
  「ひょっとして、『お注射天使リリー』?」
  「ひょっとしなくても『リリー』だ、モクバ!それを着てこの俺に奉仕するが良い!!」
  「・・・マジ?」
 
  訊くまでもなく瀬人の眼は真剣そのものだった。例え眼の中に炎があったとしても、この兄なら何ら不思議な事ではない。
  「さっきお前は「オレに出来る事なら何でも言って」と言ったな?」
  「言ったけど・・・でも、イメクラみたいな事までするとは言ってないぜい! 第一そんな事、タダじゃできないぜい!!」
  言ってからモクバは「しまった」と思った。
  瀬人の行動パターンは把握している。こういう事を言えば瀬人が次に何を言い出すかなんて大体想像がつく。
  「ほう、「タダじゃできない」・・・では「金を払えばできる」という事だな」
  大企業の社長である瀬人にとって目的の為に大金を注ぎ込むのは何ら難しい事ではない。
  それどころか金を使うという事自体に喜びを見い出すタイプである。
  「えっと、それは言葉のあやだぜい・・・」
  全くもって予想を裏切らない瀬人の言葉にモクバはあわてて否定するが、瀬人は全く聞く耳など持たない。
  「割のいいアルバイトだと思えばいい。で、いくら欲しいんだ?五百万か、一千万か!?」
  「兄サマ、それじゃ援交オヤジだよ・・・」
  『援交』という言葉が気に入らなかったのか瀬人はムキになった
  「何を言うんだモクバ!!『援交』ごときにこれだけの金額を費やす者などいる訳なかろう!これは『至上の愛』だ!!」
  「そんな愛、聞いた事無いぜい」
  言ってみたが瀬人には聞こえなかったらしい。
  瀬人は金庫から小切手を取り出すと金額を書き入れてモクバに放り投げた。
  「十億の小切手だ!これでもお前は俺の愛を疑うのか!?」
  「兄サマ、方向間違えてる・・・うわ!」
  モクバが言うよりも早く、瀬人はモクバをソファーに投げた。
  「モクバ・・・お前は金を受け取ったんだ、あまり我が儘が過ぎると実力行使でいくぞ!」
  「どっちが我が儘だ」というツッコミは瀬人には通用しない。あくまでも天上天下唯我独尊の人である。
  瀬人はモクバに覆い被さるとTシャツを脱がせにかかったが、モクバは必死で抵抗する。
  「こ、小切手なら返すぜい!肩叩きとマッサージはタダでするから・・・!」
  「何ぃ!、お前は俺の愛を拒むというのか!?」
  「そうじゃなくて!こんなお金受け取れないぜい」
  「何故だ!?理由を言え!!」
  「だって・・・アレの時・・・」
  「アレとは何の時だ? モクバ」
 
  「確定申告の時 困るじゃないか! イメクラバイトで十億もらったなんて恥ずかしくて言えないぜい!!」
  その瞬間、瀬人の動きが止まった。
 
  「モ・・・モクバ、お前は律儀に確定申告してるのか?」
  「たりめーだよ、兄サマ。例え子供の小遣いだって高額になれば贈与税がかかるって事くらい とっくの昔に知ってるぜい」
 
  「では あの金も・・・」
  瀬人は頭を両手で抱え、必死で何か思い出そうとしているようだった。
  「兄サマ・・・?」
  兄の急激な変化にモクバは心配して声をかける。
  突然 瀬人は立ち上がると乱れた服を直し、バタバタと外出の支度を始めた。
  「兄サマ、何処か出かけるの?」
  「会社に行って来る!帰りは遅くなるからお前は先に寝てろ。それとアルバイトの話はまた今度だ。」
  言うが早いか瀬人は部屋を飛び出して行った。廊下で慌てる執事の声がしたがそれもすぐに消え、瀬人を乗せた車が海馬邸を後にした。
 
  たった一人、瀬人の部屋に残されたモクバは呆然としていた。
  「ひょっとしてオレの小遣いって出所のヤバい金だったのかな・・・? それとも兄サマ・・・・脱税してる?」
  モクバは床に落ちた小切手を拾いながらつぶやいた。
  「どっちにしろ、イメクラバイトは無しだよね。」
  モクバは躊躇もせず手の中の小切手を破って灰皿に入れ、火を点けて燃やした。
  十億円の小切手が灰になる姿は見ていて気分がいい。
 
 
  結局、瀬人はこの日海馬邸に戻ってくる事は無かった。
  モクバの想像が正しかったかどうかは瀬人が何も語らなかったのでモクバは知る由もない。
  ただ判るのは、その後の瀬人は二度とモクバにアルバイトの話を持ち掛ける事は無かったという事実だけだった。
 
 




■コメント(あとがきです)
  すみません、送るのが遅すぎました。反省してます。


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