お題(あなたのいる時間)
鬼灯杏様


0cm

タイトル:0cm】






『一番欲しい物は何だ?』

『もう貰ってるよ。』

『なんのことだ』

『分からない?』







もう幾日会っていないだろう。

自分の周りをうろちょろと駆け回っていた小さな存在。
とても小さく…だが、遙かに大きな存在。

俺の弟…モクバ。

俺にとって、モクバは傍らにいるのが当たり前だった。
恒星の周りを惑星が一定周期で回るのと同じく
何処へ行こうとも俺の周りに在るものだと思っていた。

だが、当の本人はそうは思っていなかったようで
成長と共に、俺の周りを駆け回るのをやめた。
俺の後ろを付いていくのではなく、隣に並んで歩きたいのだと
中学に成ったのを機に、俺の軌道から外れていった。

己の道を己で切り開こうとする気骨は
一人の人間として当然に持つべきものであって
自分の弟が無能でないことは素直に喜ばしく思えた。

だが、見上げてくる視線の角度が、段々と水平に変わりゆく早さに
俺は戸惑いを覚えた。


「あと5cmってところかな!」


自分の身長と俺の身長を手をかざして比べると
誕生日を祝うために久々に会った弟は、そうニッと笑った。

少年期の成長は早い。

その態度は昔と変わらない子供めいた反応だったが
その笑みは、子供のそれとは違って見えた。

「図体ばかりでは意味がないぞ。モクバ。」
「分かってます。
 チェ、兄サマってば、いつまでたっても子供扱いなんだから!」

モクバ、お前は分かっていない。
俺が本当にお前を子供だと思っていると思うのか…。

俺は大きくため息を吐いた。


あれから5年。

互いの生活周期の違いや、仕事の管轄の違いなどで
同じ邸に住んでいるとは思えないくらい
会う機会はめっきり減ってしまった。
同じ企画に携わっても、月に数度の会議以外は
違う場所…それこそ地球の反対側で別々に舵取りをしていた。
最近では部下から「まるで瀬人様が二人いるかのようです」とまで言われる始末だ。

俺にとってモクバは半身も同然だ。
モクバなら俺の意志を正確にくみ取ることが出来る。
だからこそ、俺の代理としての権限を与えたのだ。

モクバは俺の信頼に応え、期待以上の成果を返してきた。
モクバの判断力は時として俺をも凌駕し、折衝やトラブルなどを
八方丸く収める能力には、誰もが舌を巻くこととなった。

人づてに聞かされるモクバへの賞賛。
俺にはそれが酷く面白くなかった。

そんなことは言われるまでもなく俺が一番よく知っている。
まるで、自分が一番モクバの能力を理解しているかのような口ぶりで
手柄顔に説明する輩が俺には腹立たしくて仕方なかった。

何度「貴様の功績ではない。自慢をするのは筋違いだ。」と叱責したか覚えがない。

何より、
その成長を兄である俺よりもつぶさに見てきた輩が居るのかと思うと
どうしようもなく苦虫を噛み潰したような気分になる。


「あと5cmが縮まる間に、俺はどれだけ兄サマに近づけるだろうな…。」

不意に、モクバが独り言のように呟いた。

「近づく?離れるの間違いでは無いのか?」

興を乗せた俺の笑みに、モクバはふくれっ面で振り返った。

「近づくよ!これ以上離されてたまるもんか!」



それはこっちのセリフだ。



お前は俺を追いかけているつもりだろうが
俺にはお前が俺から離れていっているようにしか見えん。

水平になってくる紺碧の双眼は、時折俺の知らぬ色に思えた。

その瞳を見る度に、俺は時々思うことがある。


―――俺は本当にモクバのことを知っていたのだろうか?


モクバが俺の意志を正確にくみ取ることができるのと同じく
俺はモクバの意志をくみ取ってこれたのだろうか?
俺が“知っている”と思っていたモクバは、果たして“本当”だったのだろうか。
もしかすると、今のモクバが“本当”で、俺の傍らに居た時のモクバは
モクバが演じていた虚像だったのではないだろうか。

「どうしたの?兄サマ。」

俺の惑いを見抜いてモクバが問う。

「誕生日プレゼント、一番欲しい物は何だ?」

証拠に、俺は昔からモクバが欲する物を知り得なかった。
誰よりもモクバを知っていると自負していながら
こんな滑稽なことはあるまい。


「もう貰ってるよ。」


モクバはそう言って柔らかく笑った。
妙に大人びた笑みだ。

「なんのことだ。」
「分からない?」

そう言うと、モクバは俺の座るソファーの肘置きに両手を付いて
俺の視界を占領した。

興を乗せたモクバの笑み。
いつ、どこで、こんな会話の駆け引きを覚えたのだ。


「兄サマと過ごせる時間だよ。」


一呼吸置いて、モクバはそう言った。
予想外の言葉に俺は一瞬言葉を失った。

浮かべる笑みは冗談めかしていたが
その眼差しが偽りでないことを告げていた。


俺には分からん。


ならば何故、一番欲しい物を捨ててまで、
お前はこの道を選んだのだ?
昔と変わらず傍らに居れば、お前の欲しかったものは今より多く得られたはずだ。

「ならば、もっと望め。」

俺は手を伸ばし、その平をモクバの長い髪に分け入らせ自分に寄せた。
近づくモクバの瞳はその寸前で目蓋を降ろした。


恐らく俺は一生理解できないのだろう。



例えこの距離をゼロにしたところで……。





 



 コメント

  微妙に前回書かせて頂いたお題「日付変更線」の続編になっていたりします。
こちらは瀬人さん視点です。
成長していくモクバ、それを理解できない(認められない)瀬人。ってのが凄く好きなのでついつい妄想してしまいます。

ただ、何もかも分かってるつもりより、分からないところがあるってことに気付いただけ、瀬人さんに救いがあるのかもな〜と思ったり。
モクバ君は兄サマに夢見すぎててまだまだ追いつけないとおもってるようだけど案外足下にいたりするかもしれないよ。

何はともあれ、海馬兄弟を書く機会を与えてくださったタカツキミコ様に大感謝です!
ありがとうございました!

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