直線上に配置

私が周星馳(チャウ・シンチー)に転んだ理由

  私は一時期(1998年〜2000年頃)、金城武に転んでいました(笑)。その頃に「不夜城」の作者(馳星周)のペンネームは周星馳(チャウ・シンチー)という香港のコメディ俳優から取った、という話を聞きました。 当時は周星馳(チャウ・シンチー)のことを全然知らなかったので「ふーん」ぐらいしか思わなかったのですが、後で金城武と周星馳(チャウ・シンチー)に意外な繋がりがあることを知りました。

  当時の私は友人のhoneyさんのHP「honeybee」(現在は更新停止)で「鼻血研究所」というコンテンツを作り、金城武の出演作を「お笑い」の観点から研究していました(笑)。その研究の中で呉孟達(ン・マンタ)を取り上げました。実は金城武と呉孟達(ン・マンタ)は「炎の大捜査線2」、「チャイナ・ドラゴン」、「トラブル・メーカー」などのコメディ作品で共演しているのです。呉孟達(ン・マンタ)の経歴を調べていくうちに、映画で周星馳(チャウ・シンチー)と共演し名コンビとして知られていることが分かり、「じゃ、ちょっとビデオでも見てみるか」となったのです。

  早速、新宿TSUTAYAで「ゴッド・ギャンブラー賭聖外伝」を借りて見ました。この映画は周潤發(チョウ・ユンファ)の「ゴッド・ギャンブラー」のパロディですが、当時(1999年4月)の私はまだ本家を見たことがありませんでした(笑)。しかし、この映画のメチャクチャなくだらなさが私の「笑いのツボ」を刺激し、一気に周星馳(チャウ・シンチー)の虜になってしまったのです。

  その後は坂道を転げ落ちる如く、新宿TSUTAYAで周星馳(チャウ・シンチー)の作品を借り捲りました(^_^;)。不思議なもので、星馳に転んだ頃はNHK-BSで深夜に「ミラクルマスクマン 恋の大冒険」を放送したり、キネカ大森のレイトショーで「食神」を上映していたりと、私を後押しするような状況が揃っていました。「食神」をスクリーンで見たときは、衝撃的というか笑撃的でしたね(笑)。ストーリーがよく出来ていてテンポが良いし、何度見ても飽きが来ないのです。

  周星馳(チャウ・シンチー)のことを調べるうちに約50本の映画に出演しているのに、日本でビデオ化された作品は1999年当時で13本(既に廃盤になった作品もある)、映画館で公開された作品は更に少なく7本しかないことが分かりました。しかも未公開作の中にかなり面白い作品があるという話を聞き、私はどうしてもそれらの作品が見たくなりました。

  未公開作を見るために、私は中野「ジャスミンティー」、新宿「ビデオマーケット」などに足を運び、VCDを買い捲りました。当時はVCDを2400円ぐらいで売っていたのですが、私はCDと同じぐらいの値段だと思って気にせずどんどん買っていました。後で香港に行き、現地価格(日本円で約400〜600円)で売ってるのを見たときには、あまりの安さに店頭で失神しそうになりました(^_^;)。

  周星馳(チャウ・シンチー)のために買った物はVCDだけではありません。最初はノートPCでVCDを見ていましたが、PCのスペックが低いせいか再生中に省電力モードになって画面が真っ暗になる現象が頻繁に起こりました。あまりにもイラついた私はとうとうDVDプレーヤーを買ってしまいました(^_^;)。DVDプレーヤーだとTV(29インチ)の画面で見ることができるので、ノートPCとは比べ物にならないクリアな映像を楽しむことができました。

  未公開作の中で面白かったのは「逃學威龍」シリーズ、「整蠱専家」、「家有喜喜事」、「破壊之王」でした。古装片も沢山見ましたが、中英字幕だけでは分からない部分が多かったです。「周星馳(チャウ・シンチー)の映画をもっと理解したい」と思った私は、1999年10月から広東語を習い始めました。未だにヒアリングは上達していないので映画の内容を完全に理解できるとは言い難いんですけどね(^_^;)。

  未公開作をひと通り見終わった頃(1999年11月)、私は幸運にも周星馳(チャウ・シンチー)本人に会うことができました。星馳のことを知りたくて、唯一の公式ファンクラブ「星馳フレンズクラブ」に入会していたのですが、ファンクラブ主催で香港でパーティを行うことになったのです。そのパーティには星馳本人が来ると聞き、私は即申し込みました。このパーティには約35名の会員が参加しました。

  私にとっては初めての香港旅行でしたが、当時は広東語も全然話せなかったので、何回も香港に来ているベテランの人たちにくっついている感じでした。星馳は忙しい人なので、「当日ドタキャン」の可能性もあり、私はパーティが始まるまで半信半疑で妙に冷静でした(^_^;)。開始時間になっても星馳が現れないので、「やっぱり来ないのか」と思っていたら、ファンクラブの会長さんが「星馳さんがいま到着されました!」と叫びました。この声を聞いた瞬間にメチャクチャ緊張しました(笑)。

  会場(カオルーン・シャングリラの大ホール)のドアが開き、星馳が入ってきたとき、大歓声と拍手が起こりました。今までスクリーンやビデオでしか見たことがなかった大スターがそこにいるのですから、皆いきなり舞い上がっていました(笑)。でも、星馳本人はこのページ先頭の画像で分かるように、思いっきり普段着でした(爆)。

  このパーティでは質問コーナー、記念撮影、サイン会があったりと今から思えばオイシイ企画ばかりでしたね(笑)。質問コーナーで「次回作の予定は?」と聞かれ星馳は「サッカーとクンフーをミックスした映画を撮っています」と答えました。その答えを聞いた私たちは「何じゃそりゃ?」と思ったのですが(^_^;)、この映画が昨年日本でも大ヒットした「少林サッカー」だったのです。

  このパーティで最も印象に残ったのはサイン会の時に、私は星馳が敬愛する李小龍(ブルース・リー)の雑誌(大昔に買った「ロードショー」特集号)を上げました。星馳はサインをしながら、雑誌の表紙を見ると「いますぐ見たい!」という顔をしたのです(笑)。でも、我慢してサインを続けていました(爆)。この時の表情を見ることができただけでも、私は香港に行った甲斐がありました(*^_^*)。

  2001年の夏、劉コ華(アンディ・ラウ)の演唱会のために香港に行った私は現地で大ヒット中の「少林サッカー」を見ました。あまりの面白さに映画館で爆笑し、結局香港で2回見ました(^_^;)。
その後、「少林サッカー」の日本公開が決まったとき、嬉しい半面「日本でウケるかなぁ」という不安もありました(^_^;)。星馳は日本での知名度が低いので、かなり苦戦すると思ったのです。

  実は2002年3月に星馳が「少林サッカー」のPRで来日するという情報を得た私は成田までお迎えに行きました。その時に待っていたファンは私を含めてわずか5人(爆)。この時は「少林サッカー」があんなに大ヒットするとは誰も予想もしませんでした(^_^;)。

  それだけに「少林サッカー」が大ヒットしたのは、本当に嬉しかったです(*^_^*)。約1200名収容する新宿のミラノ座が満員になり、大爆笑の渦になっているのを見た時は感慨深いものがありました。
  「少林サッカー」のお陰で日本のDVDメーカーも星馳作品の面白さに気づいたらしく(笑)、2003年秋に未公開作が続々とDVD化されます。これからも星馳の新作が日本で公開され、ファンが増え続けて欲しいと思います。

Home Back


直線上に配置