越中一国観音霊場巡拝

霊場巡拝を終えて

 越中一国観音霊場に関心をもったのは、いつの頃かはっきりとした記憶がありません。 たぶん、どこかの寺院を訪れたとき、一国観音霊場と書かれている表札等を見てのことでしょう。
 宮永正運著「越の下草」を知ったのは、商売をしながら郷土史を研究していた知人F氏がたびたび口にしていたからです。
 図書館でその本を手にしたところ、 その最初の章に一国の観音霊場についての記載が有り、 霊場の名前、所在をノートに写し採りました。それは、壮年期に入った頃 のことです。しかし、その後、江戸時代に書かれた寺院が、明治の廃仏毀釈の嵐を経て現在どうなっているのかと気にはしながら、いつの間にか時を過ごしました。
 それが、昨年、ホームページで、一国の観音様を取り上げたらどうかと思い立ち、ホームページ作成を念頭にまわることしました。観音巡礼の動機としては、不純ですね。まとめ方はNHKの四国八十八ヶ所のページを参考としました。

  巡礼の経験はありません。しかし、お寺様に聞けば教えていただけるのでないかと思い、幸い1番札所の安居寺が、私の住まいから比較的近いことから、安居寺を訪れ、一国の観音霊場のこと、巡礼のこと等を尋ねることにしました。
 安居寺様は、一国の寺院名簿を持っておられ、そこにはご本尊、所在地、電話番号が書かれていました。そして、現在の霊場は「越の下草」に書かれている寺院と若干違うこと、北陸と違い一国の寺院では留守のことがあるので、前もって連絡をとるようにとのご忠告も戴きました。寺院名簿のコピーを取らせていただき、朱印帳のことも教えていただいて巡拝が始まります。
 一国観音霊場は残っていたのだ。!

  次の第2番観音寺(北陸26番霊場)では「33霊場の御詠歌」のしおりをいただき幸先が良いと感じましたが、一国の観音霊場を巡礼する人は珍しいと云われて心細い思いもしました。実際、安居寺様より戴いた資料も新しいもので無く、電話番号も書かれていないところがありましたので。しかし、巡礼を終えてみると”朱印”は「越の下草」に書かれた34番岩峅寺は雄山神社名の朱印ですが、曲がりなりにも、すべての札所の朱印を揃えることができました。無主や、お寺が無かったりしたところがあったのですけど、近所を尋ね廻ったりする熱意を持てば願いがそれなりに叶うものなのですね。

 霊場紹介の各項目について調べることは当初より予定していましたが、縁起については、少しわかれば良いと思っていましたので、当初、「しおり」を戴けないお寺さんについても伝統の寺院であるから市史、町史をみれば簡単にわかると思っていました。しかし、そうでも無くまったく掴めず再訪問してご迷惑をおかけしたところもありました。分厚い資料や古文書を出してこられ、恐縮し、読めないので冷や汗をかいたりしたこと等は、今となっては良い思い出です。縁起等で知り得たことは、すべて書きたくなりますが、各寺院のバランスや、また長く書くとかえって皆さんが読まないと思い簡潔にを心がけました。結果はどう受け留められたでしょうか。

 最後に、巡礼に際し、ご縁を結ばせて戴いた皆様と付き合ってくれた妻に感謝し、そしてこのページを訪れたあなたに観音様のご加護をお祈りして 合掌。
2001/4/22


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