2006/9/15(金)
【尿意と思い出と回覧板】
突然ですが、おしっこに行きたくて仕方ないのに周りにトイレが無い場合、あなたはどうするだろうか。
話は約20年前にさかのぼる。
藤月5歳。
当時、僕は俗に言うガキ大将であった。近所の同年代の子供たちの長であると思っていたし、事実そうであったと思う。子供たちの間で何かグループに分かれることがあったとき、藤月を引き込むことに成功したグループが必ず優遇されるといった暗黙の了解が成立されていた。
女の子たちは皆、将来は藤月のお嫁さんになるのだと言ってはばからなかった。そして藤月のモテ期はこの時代に終結している。
その時代、当然ながら我が家にはトイレなど一つしかなかった。(今もだけど)
当時幼稚園児であった藤月が尿意をもよおしたとき、家族が入っていて使えないなんてことなどわりと日常茶飯事であったのだ。
しかし、一度もよおした尿意は止められない。むしろ意識した分だけ緊急度は高まっている。我慢できず「はやくでてください…ぉかあさま…」
と息も絶え絶え、蚊の鳴くような声で訴えたところ、帰ってくる答えはきまってこうであった。
「家の前のドブでしなさい。お前は幼稚園児だから許される」
その年代の僕にとって、親の言葉は神の言葉と同等。ドブで小便をすることになんら疑問をいだくことなく、僕は玄関をバーンと飛び出すやチンコをポローンと出してホイヤァ〜っと力の限り小便を垂れ流したのだった。
ところが、僕は当時ガキ大将なのであった。
ドブに向かって気持ちよさそうに小便を垂れ流す、そんな僕はいつしかカリスマとなり、近所の同年代の子供たちが皆ドブに小便を垂れ流すようになってしまったのだった。男女関係なく。道を歩いていたら、普通に少年少女がドブに小便を垂れ流しているのだ。今の時代ならワイドショーで取り上げられてもおかしくない話であるが、当時はそれが何の疑問もなく行われていたのである。そう、藤月が行っていたがゆえに。
ある日、回覧板にそのことが書かれた。
『子供たちがドブで排泄する行為が見られます。親の皆さんはお子さんたちがそのような行いをすることの無いようご注意云々』
そんな内容だったと記憶している。 何時代だ、と思う。今なら。
さすがにそんな回覧板が回ってきたからか、親は僕に堂々と『今トイレは使用中だから、お前はドブでやってこい』とは言わなくなった。
代わりに、『こっそりバレないようにやってこい』という指令に変わった。なんて親だ。だが当時の僕にとって、親の言葉は神の言葉。従うほか選択肢はないのだ。
やむを得ず僕は、紙にマジックで黒く塗り、そこを虫眼鏡で焼くという科学少年を演じつつ。そう、演じつつだ。地面に寝そべりチンコを排水溝の隙間にねじこんで用を足すという、今の僕でさえちょっと引くようなアイデアを用いて小便をしたのだった。これは見事にご近所の方々を欺いた。一見、地面に寝そべるようなちょっとやんちゃな少年が、虫眼鏡で紙を燃やすということに夢中になっていると思わせつつ、その実小便をドブへと垂れ流しているのだ。まさか、彼はすごく良い子だったのに…!という現代の若年層が犯す犯罪に対するご近所様の反応のようである。それを当時わずか5歳の藤月が駆使していたのだ。天才といえよう。
だが、そんな天才の藤月にも誤算があった。
その小便方法が、同年代の子供たちの間で、流行った。
なんたること!カリスマも良し悪しである。
だが、問題は女の子であった。同様の手法で用を足そうとすると、女の子はどうしても下半身を丸出しにして地面に寝そべる必要があるのだ。そんな異様な光景に目を留めぬ大人など、いつの時代にもいやしない。
というわけで、またも回覧板だ。
『子供たちがドブで排泄する行為が見られます。親の皆さんはお子さんたちがそのような行いをすることの無いようご注意云々』
文言そのものは変わらないが、今度は下に具体的な図解がなされている。
そう、子供たちが用を足す様を描いたものだ。
今ここにその当時の回覧板がないのが惜しいが、間違いなく傑作と呼ばれてもおかしくない図柄であった。日本広しといえど、あんな回覧板がまわされたのはうちの近所だけであるに違いない。
さすがにこれ以上、我が子を問題の源とすることに罪の意識を感じたのか、親が僕に向かって『外で用を足して来い』とは言わなくなった。
それに伴い、だんだんとドブで用を足すムーブメントは下火になっていき、やがてそれは完全に途絶えることになる。一つの時代の終結だ。僕は一抹の寂しさを抱えつつ、だがそんなものかと達観した笑みを浮かべるのだった。
そして時は流れ、藤月25歳。
本日高速道路移動中、尿意がついに我慢できず、飲み干したペットボトルの中へ運転しながら放尿するという歴史を作り出しました。
今、これを咎める回覧板が出回ったなら、
僕は死を選ぶことも辞さない覚悟です。 |