11月21日、うぐいすホールで秋吉敏子ジャズオーケストラを聴きました。興奮はまだ続いています。
「まさか」が現実に
手元の古い「ジャズの事典」(昭和三二年八月刊)によると秋吉敏子さん(この公演では秋吉が穐吉に)はジャズの名手として、すでに四十七年も前に「日本を代表して世界に知られた最初の女性」と評価されています。
昨年十月、「秋吉敏子がうぐいすホールでピアノソロ」と聞いたときは「まさか」と驚きました。しかし、それが現実になり、「来年秋にオーケストラで来る」と聞いて以来、一年後を楽しみにしていました。しかも、直前になって「三十周年記念」ではなく「解散」コンサートだというのです。
私は音楽ダメ人間、マイルス・デヴィスに出会ったときから、かろうじて「ジャズはいいな」程度の人間ですが、この日来ていたSさんは音楽がわかる人、「解散公演は月末まであるが、ほかは競演、秋吉敏子オーケストラとしては今日が最後」と教えてくれました。
世界で最後のオーケストラの演奏を都留市で聴ける、「文化ホールがあればこそ」と話し合いました。
彼女の指揮する姿は若々しく華麗でした。
希望、ヒロシマを語る
「アメリカは人種の国」と語り演奏したのは「ロング・イエロー・ロード(黄色の長い道)」。言葉少なでしたが、マイルス・デヴィスが差別とたたかい、「黒人でなければ出せない音」と誇りをもって演奏したのと共通する思いが胸の底にあったと見ました。
きつかったヨーロッパ演奏旅行のエピソードをユーモラスに語り、その時に作曲した作品を演奏したあと、紹介したのは組曲「フォー・シーズンズ」。青森県森田村(森田村のホームページにはありませんでした)から依頼された曲。その中の「春」を演奏しました。
アンコールに応えて演奏したのは9・11直前に作曲した組曲「ヒロシマ・そして終焉」の最後の「ホープ(希望)」。「人間は希望がなければ生きられない。原爆反対。9・11のあと、戦争は増えているが世界から戦争がなくなると希望を捨てないで」と。
この日の演奏にNHKは大きいカメラを五台も投入しました。一月か二月にBSで再現されるそうです。楽しみです。
二十七日にはNHK総合「クローズアップ現代」で「秋吉敏子73歳ジャズへの挑戦」が放送されました。最後の部分しか見られませんでしたが、前向きに生きるモットーを「自分に親切に」(たえず自分にチャンスを与える)と語る秋吉敏子さんは魅力的でした。
十二月議会は五日から
二十七日、臨時議会が開かれ、市長、議員、職員給与の引き下げが決まりました。私は議員や特別職はともかく、一般職員の五年連続の引き下げはすべきでないと反対しました。くわしくは次号で報告します。
国会ではイラクや年金が論じられていますが、都留市の十二月議会は五日に開会です。みなさんの意見、要求をお寄せください。