五兆円にせまる軍事費



 八月二十九日に決定された来年度軍事費(防衛関係費)の概算要求をみてため息が出ました。ため息は当然のこととして怒りに変わります。総額は四兆九千八百六十五億円、ほとんど五兆円です。四兆円に達し、農林業予算を超えたと、この手紙に書いた覚えがあります。何年前のことでしょう。
 いつものことで、都留市の予算をものさしにして比べて見たくなります。都留市の一般会計は切り詰めて百二十二億円あまりです。

市の予算をものさしに
 これに近い額のものを見ると、90式戦車十七両が百三十七億円、戦闘ヘリコプターはたったの二機で百四十四億円です。昔、ある地方議員が「戦闘機の片羽分だけでも地方へくれ」と演説し感動したのを覚えています。戦争をしない憲法をもつ日本で、五兆円を国民のために使ったら、くらしはどんなに楽になるかと思わずにはいられません。
 「しんぶん赤旗」が指摘し問題にしているのはミサイル防衛システムの導入です。ミサイル迎撃は小銃の弾を小銃で撃ち落とすより困難で技術的に未完成なのですが、それに投じるお金は実に千三百四十一億円、市の一般会計の十倍以上です。しかもこれらの装備は米軍を補完するために購入しているのです。

思いやり予算2499億円
 日本が支出する義務のない「思いやり予算」は前年度比39億円増です。前から気になっていたので広辞苑で「思いやり」を調べてみました。
 おもいやり【思い遣り】@思いやること。想像。A気のつくこと。思慮。B自分の身に比べて人の身について思うこと。相手の立場や気持を理解しようとする心。同情。
 思いやりの行為は「気の毒に」という気持があってのものです。ときにその行為が「同情されたくない」と反発されるのは「自分より気の毒な境遇にある」というこちらの気持が相手に伝わるからでしょう。しかしアメリカは日本が同情するような立場にある国でしょうか。私がこの予算に嫌悪感をおぼえるのはその内容や額だけではなく、まったく両国関係の実体からはずれたこの言葉の使い方にもあります。「お追従(ついしょう)予算」というほうが的確でしょう。
 政府が思いやらなければならないのは塗炭の苦しみにあえぐ日本国民です。年に三万人以上もの自殺者、それも働き盛り、生活苦の自殺が増えているといいます。

米追従で憲法に魔の手
 根拠のなさがあきらかになったイラク攻撃、ブッシュ大統領とブレア首相は追いつめられています。それでもアメリカに尾を振り、一緒に戦争をする国になろうとする小泉首相。ついに憲法「改正」まで公然と打ち出しました。国民のくらし破壊の政治と戦争する国への危険な政治は表裏の関係にあります。
 「憲法」は衆院選の大テーマになります。私たちの時代に憲法「改正」が政治の舞台にのると誰が予想したでしょうか。この問題で「まさか、そこまでは」と楽観視することは危険です。国民の反撃と選挙結果だけが危険な道を阻止する力です。いまこそ歴史の教訓に学び生かすときではないでしょうか。