話題を提供してしまいました



 ご支援、本当にありがとうございました。
 今回は八期目ですが、その間に七票差の落選、補欠選挙当選、トップ当選と最下位当選、今回ですべて体験したことになります。
 それにしても支持者のみなさんには最後までドキドキハラハラさせてしまい申し訳ありませんでした。多くの方から電話をいただき、叱られたり励まされたりしました。
 当選証書授与式の四月二十八日、ある議員が、私の顔を見るなり二の腕のあたりをドンとたたいて「よかった。うちの事務所じゃオレのことより、義孝議員が当選しなきゃ困ると大騒ぎだった」と言いました。ほかの議員も「義孝議員がいなければ議会にならない」と言いました。昨日までたたかった相手から喜ばれるのは妙な話ですが、お世辞と慰めが半分ずつとしても悪い気はせず「当選を実感」した瞬間でした。

充実した七日間

 選挙はかつてなく気持ちよくたたかうことができました。出陣式には近所の人や支持者が大勢集まり激励してくれました。宣伝物は夜を徹して作られ、献身的に配られました。候補者カーの運行計画はよく練られていて毎日二十数回の演説をこなしました。運転手とアナウンサーの気配りも最高で、ストレスがたまりませんでした。演説回数は百三十回におよび、くわえて二度、街の中を歩いてハンドマイクで訴えました。
 演説には積極的な反応がありました。東桂では演説のあと自転車に乗った小学生から、「東桂小学校のテレビを修理してください」と訴えられました。谷村町駅前では演説を聞いた女子高生が、都留二中の近くでは下校時の女子中学生が「よく分かりました。がんばってください」と大勢で握手を求めてきました。高齢者からは「あなただけが頼り」と強く手を握られました。
 あらかじめ知らせておいた演説場所は二ヶ所だけでしたが、それぞれ大勢の人が集まってくれました。そのほかでもほとんどの演説場所に聴衆が出てくれ、私は「自分の責任で一ヶ所一票」の思いをこめて訴えました。主観が入るのですが、演説は日を追って気持ちが乗り、数ヶ所では新しい境地に達したという演説ができました。
 結果が出た翌朝、私が心のよりどころとしている親戚の長老から電話があり、「君のような演説をした候補者はほかにいない。自信を持ってがんばってくれ」と励まされました。

 「出遅れ」でした

 次点と十三票差ということで、「私の票が生きた」と、喜びの声がたくさん寄せられました。選挙中、「考え抜かれた清潔な一票を」と訴えましたが、その重みを実感する結果でした。
 当然、「なぜ得票がこんなに少ないのか」という質問がありました。振り返って分かるのは「出遅れ」です。昨年の秋口(もっと早いかも)から動き出していた他陣営が、陣取り合戦を終え完全に陣地を固めたあとからの挑戦でした。
 くわえて、対話では少なからず「義孝さんは基礎票がある」「今度は一人だから」という反応がありました。これはほとんどが「ほかに決まっている」という意思表示でした。選対ではこれにどう対応するかと真剣に検討しました。毎晩の会議では「打つべき手は今夜のうちに」が合言葉のようにくり返されました。こうした前向きな姿勢と対策でようやく勝ち取った当選でした。
 これからの四年間、全力で奮闘しますので変わらぬご支援をお願いします。