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ピョートル・イリーチ・チャイコフスキー (1840〜1893) (ロシア) |
| 1840 | ロシア、ウラル地方で、音楽好きの鉱山技師の子として生まれる。 |
| 1844(4歳) | 美しい母、ファンニーにピアノの手ほどきを受ける。 |
| 1848(8歳) | オペラをはじめてみて、深く感動する。 |
| 1850(10歳) | 両親の勧めで、ペテルブルグの法律学校に入学し、寄宿舎に入る。が、親しい友人には音楽家になりたいと打ち明けている。 |
| 1854(14歳) | 最愛の母をコレラで失う。ピアノ曲を作曲し家庭教師に捧げる。 |
| 1859(19歳) | 法律学校を卒業、法務省の役人となる。 |
| 1861(21歳) | はじめての外国旅行をする。(ベルリン、ハンブルグ、ブリュッセル、ロンドン、パリ,...)役人をしながらにして、帰国後ペテルブルグ音楽院に入学する。 |
| 1863(23歳) | 法務省に辞表を提出し、音楽の道に進む決意をする。 |
| 1866(26歳) | ペテルブルグ音楽院を卒業し、モスクワ音楽院の講師となる。 |
| 1876(36歳) | このころ、作曲のほうでは成功をおさめてはいたものの、大きな借金をかかえていた。 |
| 1877(37歳) | 女性に全く興味がなかったにもかかわらず、ミリューコワと結婚するが、まもなく破綻。 神経衰弱にかかり、入水自殺をする。 メック夫人が経済的援助を申し出る。このことにより、チャイコフスキーとメック夫人の手紙のみの奇妙な交際が始まる。 |
| 1878(38歳) | 経済的に安定したチャイコフスキーはモスクワ音楽院を退職。精力的に作曲活動を繰り広げる。ヨーロッパ各地を旅行し、著名な音楽家たちとの交流を深める。 |
| 1890(50歳) | メック夫人から突然年金の援助を打ち切られ、大きなショックを受ける。 指揮者として、ヨーロッパ、アメリカを演奏旅行でまわるが、アルコールに溺れ、心身ともに不調をうったえるようになる。 |
| 1883(53歳) | 11月7日、ペテルブルグにて、生涯を閉じる。死因はコレラといわれてはいるが、真実はなぞである。 |