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ジャン・シベリウス(1865〜1957) (フィンランド) |
| 1865(0歳) | ヘメーリンナの教養のある医師の子として生まれる。 |
| 2歳8ヶ月のときに父を失い、母方の祖母のもとで育てられる。 | |
| 1870(5歳) | ピアノを始める。 |
| 1876(11歳) | 作曲をする。 |
| 1880(15歳) | ヴァイオリンに熱中する。 |
| 1885(20歳) | ヘルシンキ大学法科学生となるが、同時にヘルシンキ音楽院選科生としても学ぶ。音楽への傾倒のあまり法学の勉強を怠り、1886年には法科学を退学する。ヴァイオリン奏者を夢見ていたが、学内演奏会で失敗して、作曲家へ転ずる。 |
| 1889年(24歳) | 音楽院を卒業し、ベルリンに留学する。翌年ウィーンに赴き研鑽をつんだ。 |
| 1891年(26歳) | ヘルシンキ音楽院の教授に就任。 |
| 1892年(27歳) | アイノ・イェールネフェルトと結婚。次々と大作を手がけ,成功を修める。 |
| 1897年(32歳) | 終身年金を受ける身となる。 |
| 1900年(35歳) | パリで自作を指揮し、国際的に高い評価を得る。フィンランドの作曲家として、至高の昇華とも言うべき域に達した。 |
| 1904年(39歳) | 奥さんの名前を取った<アイノラ壮>を建て、生活の本拠地をヘルシンキ郊外のイェルベンバーに移す。これは社交への耽溺と耳疾の進行による精神的低迷の解決のためであったといわれる。 |
| 1923年(58歳) | 1923〜1925にかけて交響詩を発表するが、1929年以降は作曲がとぎれ、28年もの空白の時が流れる。 |
| 1957年(92歳) | 脳出血により没す。国葬が営まれ、棺はアイノラの庭に葬られた。 |