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バルトーク・ベーラ(1881〜1945) ルーマニア |
| 1881(0歳) | 3月25日、農学校の校長で、ピアノも弾き作曲もし、アマチュァのオーケストラのチェロ奏者の父の子として生まれる。 |
| 1886(5歳) | 母にピアノを習う。 |
| 1888(7歳) | 父の死により、一家はハンガリーを転々とする。 |
| 1892(11歳) | 町の慈善公演で、<作曲家・ピアニスト>として演奏している。 |
| 1894(13歳) | 母が教職に就いたボジョーニに定住する。 |
| 1899(18歳) | ブタペスト音楽院に入学。ピアノをリストの弟子トーマンに習う。 |
| 1905(24歳) | パリのルビンシュテイン・コンクールにピアノ、作曲部門の両方に参加。 ピアノ部門ではバックハウスが一位、バルトークは二位となる。作曲部門では選にもれた。 |
| 1907(26歳) | ブタペスト音楽院の教授に就任。ハンガリー民謡採集をする。 |
| 1909(28歳) | 16歳の教え子、マールタと結婚。 |
| 1911(30歳) | コダーイと<新ハンガリー音楽教会>を設立。自作の演奏の場を作ろうとしたが経済的理由で翌年解散。「土足でサロンを荒らす」と攻撃された。 |
| 1917(36歳) | バレエ<かかし王子>、オペラ<青髭公の城>の成功により、再び名声を博す。 |
| 1923(42歳) | マールタと離婚。ピアノの弟子20歳のディッタ・パーストリと結婚。ピアノの名作を次々に書き上げる。 |
| 1928(47歳) | モスクワ、ニューヨークでの演奏旅行で大きな成功を収め、音楽家としての地位を揺るぎないものにし、創作活動の頂点に達する。 |
| 1936(55歳) | ナチスの行った<堕落芸術展示会>に強烈な抗議文を送る。 |
| 1940(59歳) | アメリカに亡命。アメリカでは彼の音楽は理解されず、苦しい生活を送る。 |
| 1945(64歳) | 白血病に冒され、貧困と失意の中、ニューヨークのウエストサイド病院にてこの世を去った。 |