ヨハン・セバスチャン・バッハ(1685〜1750)
      ドイツ  音楽の父
1685(0歳) ドイツ、アイゼナハの宮廷音楽家の第8子(末子)として生まれる。名門バッハ家は16世紀から200年に渡り50人以上の音楽家を輩出している。
    父の奉職する教会の少年聖歌隊に入り、音楽家の父より弦楽奏法の手ほどきを受ける。
1692(7歳) ラテン語学校に入学。(推定)
父の従兄のオルガン奏者、ヨハン・クリストフの作品と演奏に深く感銘し影響を受ける。
1695(10歳) 両親を相次いで失い、長兄のオルガン奏者に引き取られる。長兄によりオルガン・コーラル様式を伝授され、鍵盤楽器奏法も習得する。
1700(15歳) 兄の家族がふえたため、北ドイツに移住。聖ミカエル教会付属学校の給費生として学業を続行。
1703(18歳) アルンスタットでオルガン演奏を披露したのがきっかけで、法外な高給のオルガニストとなる。
1707(22歳) ミュールハウゼンの教会のオルガニストの死去のため、そのあとを継ぎこの地に赴き、オルガニストとして更に高い地位を得た。私生活では、双従姉のマリアと結婚。仕事に家庭に恵まれていた。マリアとの間には7人の子供が生まれている。
1708(23歳) ワイマールに移住。宮廷礼拝堂の楽師となる。前職の2倍近い高給のほかにライプチヒ、ドレスデン等への演奏旅行の機会に恵まれる。
1714(29歳) ワイマール宮廷音楽団の楽師長に昇進。
1717(32歳) ケーテンの宮廷学長に就任。領主レオポルド公は音楽への理解が深く、バッハを尊敬する友人として接した。
1720(35歳) 7月、妻が急死。出張中のできごとであった。
1721(36歳) 12月、宮廷トランペット奏者の娘であり、ソプラノ歌手のアンナ・マグダレーナと再婚。アンナとのとの間には13人の子が生まれた。
1723(38歳) ライプチヒの聖トマス教会の合唱長に就任。事実上、市の音楽総監督であった。
1750(65歳) 視力が衰え、2度の手術も失敗に終わり、体力も衰えた。1748年から着手した<フーガの技法>は未完のまま、逝去した。10歳で孤児となったバッハは音楽職人として注文に応じ作曲し演奏し、、高い報酬、高い地位を求め続けた。20人の子の父でもあったが、残した作品数も1100にも及ぶといわれてる。